紺色のひと

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10周年!幻の広葉樹林に伝説の森ガールは実在した!!

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「もし森ガールがゆるゆるファッションで実際に森に入ったら」。2010年7月19日に森ガール風に女装した男が実際に森に入ってナタやチェーンソーを振りまわす猟奇ブログ記事がアップされて今日で10年になります。あの「みやまちゃん」なる森ガールはなんだったのか? 僕が見た幻影だったのか?
根拠のない焦燥感に襲われた僕は、みやまちゃんに出会ったのと同じ場所、東北地方のとある森へ向かいました。

雨が続き、水量が増えた川。まだ小さい入道雲。沢沿いのオニグルミ。今日は久しぶりの晴れ間で、林道に溜まった水にはミヤマカラスアゲハが給水で群れていました。

ふと目の端をよぎる白いスカート。目をこすると、すぐに見えなくなってしまいました。
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あっ、あれはみやまちゃんが隠れていた木だ。覚えているものだな……
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……
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10年、あれからあまりに色々なことがありました。娘が生まれて、北海道を離れ、本州に移り住んで、息子が生まれて……。ブログの更新もすっかりしなくなってしまったけれど、それは僕にとって思考のアウトプットの場が変化したということだけでなく、アウトプットの必要性がそもそも薄れてきているということなのかもしれません。それを衰えとは呼びたくないけれど、自分の考えをひとに伝えるため、自分の思考を文字化する訓練としてはじめたのがひとつのきっかけであったことを思うと、僕にとってブログという媒体が役割を終えつつあるのかもしれないな、とかそういうことを考えていました。

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森の奥に白い影がよぎったように思いましたが、僕はその場を後にし、家へと帰りました。


帰宅後、妻がなんだかにやにやしながら、僕を椅子に座らせました。
「どうしたの? なんか企んでる顔だけど」
「どうもこうも、目をつぶって」


「はい、いいよ」
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「10歳のお誕生日おめでとう、みやまちゃん」

あとがき

完全な内輪ネタにお付き合いいただきありがとうございました。本ブログ「紺色のひと」でよくも悪くも一番読まれたのが、ここで取り上げた「もし森ガールがゆるゆるファッションで実際に『森』へ入ったら」です。
僕はいきもの系技術者を生業としていますが、元々好きなフィールドは森ではなく川で、みやまちゃんよりも派生して生まれた妹「みなもちゃん」のほうがよりハッスルして書けたと感じています。
2020年現在とはtwitterでの取り上げられ方も異なり、当時ははてなブックマークを中心に盛り上げていただきました。著名な方に読んでいただけたり、勿体ないお言葉をいただいたり、個人的にも大変楽しませていただいたこと、みやまちゃんを生み出すのに協力してくださった読者の皆さまにも、この場をお借りして感謝申し上げます。
この盛り上がりで、テレビ出演のお声がけをいただいたり(結局流れてしまいましたが)、webメディアにインタビューしていただいたり、しまいには中国の雑誌「知日」に取り上げていただいたりと、インターネッツで書いていなければ起こり得ないような体験をしました。
仮に、10年後のこの時代にこの記事がアップされたらどうだったろう、と考えたことがあります。そもそも「森ガール」が2000年代後半に生まれたファッション概念であったこともあり、このときほど読まれることはなかったでしょう。一方、(これは今も大きな反省点なのですが)チェーンソーの扱い方が非常に危険で、事故につながりかねないものであることから、悪いほうに炎上していたかもしれないな、とも感じています。
先に書いたとおり、本ブログの位置付け自体が僕の中で変化してきています。それに伴い、みやまちゃんの登場機会はこれが最後になるなと感じています(これ以上続けて娘と息子にバレるのが嫌です)。自分のために書く文章だ、というのがこのブログの基本スタンスですが、誰かのお役に立てれば、と思って書くときも、キャッチーさに頼らず、必要なことを必要な方に届けられるよう、言葉を選んでいきたいと思っています。
引き続き、よろしくお願いいたします。