紺色のひと

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そんな宛名のない手紙 その3

こんにちは。
自分のために書くということを、少しずつ我がものにできてきているような気がするこの頃、あなたがいかがお過ごしか皆目見当もつきません。
以前だったら「これはこうやって言葉にすればいいんだ」とか、「こういう語り口だったら面白いんじゃないだろうか」と思うような出来事さえも、数分後には融けるように消えているのです。
出張先で海を見たこと、幼馴染と初めてふたりで酒を飲んだこと、唯一読んでいなかったムーミンシリーズをやっと手に入れたこと、宿で読んだ慣れないジャンルの本のこと、恋人が眠っている横で睡眠時間を削って読んだ本から考えたこと、それらひとつひとつに対して、言葉にする意味が僕の中で失われてゆくのがわかります。メモ帳は寮のことばかりですから、きっとそっちに……ええと、なにを割くと言えばいいのでしたっけ、リソース、たぶんリソースを割いているというのが現状なのだと思います。恐らく、まだ僕は、自分の感じていることを言葉にしないではいられないのです。
だから残業中の休憩がてらこうしてあなたに手紙を書いているし、書こうとしていたことを書き出すことで自分の中からそれらの感情が消えてしまわないように留めている。書くための思考ではなくて、思考のための書くであるはずなのに、どうも本末転倒だとも思います、本当はね。
最近、少しだけ痩せました。春先なまけて肉がついていたから、少しだけ元に戻ったというほうが正しいのでしょうけど(メタボ検診は問題ない程度ですよ、念の為!)、いずれにせよ僕は外で体を動かしているほうが性に合っているのだと思います。だから6月は調子がいいのです。その6月に、昔のことをただ思い出そうとしている今の頭脳の使い方は、すごく効率が悪い気もしますけれど、締め切りなのだから仕方ないのないことですものね。
この街ではようやくプールサイドの季節になってきました。あの5月の半ばに感じたプールサイドは、この街で今、7月になろうという初夏の今、ようやく訪れました。夏が来ようとしているのです。春と、長すぎる初夏が過ぎて、夏が来ようとしているのです。
次の月が終われば、僕も"あの24歳"ではなくなる。恋人は三十路に近づくことを恐れていて、僕は24という数字が失われることを、そして老いを恐れている。きっと自覚する間もなく体は動かなくなるでしょう。せいぜいそれまでの間、しかるべき相手と、たとえばあなたと、いろんなところを走り回れたらいいと思っています。
では、また。