紺色のひと

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ちゅうがくのひと

中学校の同窓会に出席してきた。一学年の人数が少なかったのでいつも集まるのは学年単位で、今年は30人くらいが集まった。
イジラれでひ弱だったあいつは正義を振りかざす立派な警察官になり、まだ学生のひと、医者を目指している少なくないひとたち、フラフラしているどうしようもないあいつ、中学のときに一度も喋らないままだったひと、人数はあまり多くないのに、卒業からこれだけの分岐があったのだと思える程度にさまざまな人間が集まっていた。
悪いイジラれだった僕は、こういう集まりで自分の役割がまた復権するのを恐れ、低いテンションで大人しくしていたのだけれど、見つかって引きずり出されて好きだった子の前で胸をはだけられて乳首を刺身でなでられた。冷たい、冷たいって。エビはちくちくするって。エビは向かいに座っていた友人の口に入った。
男どもはきれいになった女の子たちのうち誰とやりたいかという話題で盛り上がっていて、初めて同窓会に出てきた地味だった子に票が集まっているという話だった。僕が好きだった子は誰もが落ち着いた美人と評するくらいきれいになっていて、今さらのように女の子見る目あるなぁと友人たちからほめられたのだけれど、僕は彼女に積極的に声をかけることをせず、刺身のあとにやれやれといった感じでぽつりぽつりと今の現状を伝えた。


たぶん、僕はずっとびびっていた、というよりも、あの空間を怖れていた。苦手だったやつも親しく話せるし、他愛の無い話題で盛り上がることができるけれど、僕はびくびくしながら話をしている自分を再確認してひどく嫌な気分になった。ひとつだけ嬉しかったのは、誰も自分を必要としていない空間にあえている、ということが心地いいものだ、と気づいたことだ。2次会を終え、カラオケに向かう15人くらいと別れ、小学校から高校までずっと一緒だった僕と同い年の従兄、もうひとりの友人の3人でラーメン屋に入り、カラオケで始発を待った。眠っていた友人が部屋の暑さに耐えられず、4時に店を出て、家の近い彼らはタクシーで、実家に帰れば方向は同じだけれどテレビが怖い僕は歩いてアパートまで帰った。