紺色のひと

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同窓会の季節がやってまいりました

今年もまた同窓会の季節が来る。毎年1月頭、みなが帰省しているときに開かれる。中学の同窓会なのだけれど、場所柄ほとんど小学校と面子と同じで、小学校の同窓会の幹事である僕は今までまったく仕事をしたことがない。まぁ、幹事が苦手なせいもある。
中学生の頃はいい思いでもなく、恥ずかしかったり痛々しかったりであまり思い出したくなくて、幸いなことに普段生活するうえではほとんどまったく思い出さなくなっていて、時々それを淋しく思ったりもするけれど、思い出さないのだからそれでいい。ただ、周囲が中学の面子だと、僕は精神的に萎縮するのか、立場も口調もどこか中学生の頃に戻ってしまうみたいで、それがすごく嫌な居心地の悪さをつくりだす。周りも周りで、中学生同士のように話が進むから、若々しいというよりガキくさいノリで騒ぎ、そのギャップに耐えられなくなっているのは僕だけではないと思うけれど、今更卒業後10年の精神的肉体的変化を飲み会の数時間で埋められるはずもなく、心の底から笑っている連中と、爆苦笑している連中とで飲み会は続いてゆく(多分)。爆苦笑の連中の頭(ヘッド)であるところの僕は、爆苦笑を崩さず、最後のほうまで残っている。マゾヒストの所業だと自分でも思うけれど、理由は自分でもよくわからない。
「どうしてつまらない飲み会にいつまでもいるのか?」「誰も自分と話すことはないと伝わってくる気がするのに?」「たまに口を開くと『アサイの癖になに言ってんだ』みたいに見られるのに?」
たぶん、僕は再確認している。どうしようもなかった時期の、どうしようもなかった自分のことを。そうやって、取り戻そうとも思わない昔のことを思い出している。