紺色のひと

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にかいのひと

高校の後輩(id:gginc氏)に声をかけられて、さらにその後輩(id:i-Agさん)を含めた3人で話をした。と言ってしまえばおしまいなのだけれど、そういう訳にもいかない。
進学校だったせいもあって頭のいい人間も勉強ができるだけの人間もたくさんいて、僕はそういうひとたちの中で勉強がさっぱりできないポジションを維持しつつ好き勝手やっていたのだけれど、ちょうどその当時に「書く」ということに惹かれていた僕は学校規模で編集を行っていた文芸誌に投稿するということを始めて、そこで出会ったひとたちに種種の影響を受けた。その編集機関はとても高校生とは思えないような考え方や知識レベルのひとたちが集まった、一種の文科系サロンみたいな様相を呈していて、彼らはただ自我を振り回したいだけの僕を受け止めるでも弾き飛ばすでもなく、文章に載せたものを吸い取ってくれたのだった。
で、その編集機関の長となったひとつ下の後輩と、そのふたつ下の女の子と会って、昔の話や今の話をしたのだ。当時いたひとたちのこと、好きな本、お互いに今書いているブログの内容(3人ともはてなっこなのだ)、自分のこと。取り戻すようでもなく、振り返るようでもなく、盛り上がったり聞き入ったりしながら話をしたのだ。過去になったのは僕が書いた文だけで、彼らとの話は過去というよりも今このときのことだけを対象にしているように感じた。
「しげおさんの文章はフェアなんですよ、答えを出さない安心感があるというか、ボールのないレイアップシュートみたいな浮遊感というか」
彼らが評した僕のことは、ひとつひとつが言われてみればそういう面もあるかなぁと納得できるもので嬉しくなった。外見も口調も地に足が着いたいい男になっていた後輩と、言葉を振り回そうとしない素敵な女の子。言葉を武器に進む彼らはとても頼もしくて、ないものねだりをする僕も、自分にはなくても彼らにあるならいいか、と思えたのだった。