紺色のひと

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時には自覚の話を

妻の出産予定日まで、あと20日。休日は家で過ごすことが多くなった。いや、いつもどおり出かけているような気もするし、いつもどおり家でだらだらしている気もする。休日は留守番していることが多かったプッセ、部屋の中をあちこち走り回ったり、暖房の上で眠っていたりする。








妻の定位置はソファの上に移りつつある。




プッセが妻を追って、腹の上に乗る。妻曰く「プッセには姉になる自覚がない」とのこと。
なお、妻がワンピース一枚なのは「道民は真冬に暖房ガンガン焚いて薄着で室内アイスをキメる」からではなく、週ごとにお腹の写真を撮っているから。





自覚どころか、実感なんて、そんなの僕にもない。






弟の就職祝いに、実家でご飯を食べる。同席した祖母が「(弟が)就職だなんて早いねぇ」なんて言うけれど、祖母は僕が結婚したときにも「26年なんてあっという間だねぇ」なんて言うので、全然参考にならない。
やっとここまで来たと思ったのに、あっという間なんて言葉で片付けられてたまるか。






「赤ちゃんが親にしてくれるんだよ」
それは、僕はまだ首を縦に振ることができない言葉じゃないか。






まだ雪の中に出る機会がありそうなので、真冬用のブーツを買った。箱と見れば入りたがるプッセ。
三月の下旬になっても雪はまだ止まないけれど、積もった雪で雪球を作り易くなるくらいにはあたたかくなってきている。






ともかく、春が、この街の最も汚い季節が近づいた今日この頃、彼女の定位置は、ソファの上の妻の腹の上になりつつある。
皆様いかがお過ごしか皆目見当もつきません。






何度言っても腹の真上に乗ろうとするので、妻が身をよじって胸の上とか腹と背もたれとの隙間とかに誘導している。






娘の名前はまだ決まらない。親としての実感とか、芯から湧き出る覚悟とか、そういうのは一体いつになったら持つことができるのだろう。







……という他人事みたいな言葉で締めくくるのも嫌なので、もう少し言葉を尽くす。もやもやとしたイメージを具体的に捉えようというふうに考えるようにはしていて、僕がまだ子どもの頃に「こんな大人になりたかったな」と思っていたビジョンを、「こんな親になりたい」と自分の今に写し込めることができるように、そういう成長をしなければならないと思っている。























正直、自信がないけれど、あんまり悲観的にはなっていないんだよ。



2012.03.26 12:15 改題