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紺色のひと

思考整理とか表現とか環境について、自分のために考える。サイドバー「このブログについて」をご参照ください

鮭累々

生活 写真 環境

サケが累々としていた。
そこは孵化場で、川から引かれた水路に導かれるようになだれ込んできたサケが、すのこの上に次々と揚げられて、システマチックに――と表現するにはあまりに原始的だけれどシンプルで美しい手法によって、腹を割かれてゆく。卵はひとところに集められ、受精ののち施設で海に降る日を待つのだ。


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FacebookやTwitterで狩猟の話題が出るとき、その公開範囲や表現の話になることがよくある。
こういうやりとりがまとめられていた。
狩猟「かわいそう!」「あなたは肉を食べないの?」を巡って - Togetterまとめ

このまとめ登場する人物やそれら意見――写真家の方も、ライターの方も、途中で取り上げられている年上の方にも――に関して、僕は特に語る言葉を持たない。頷けるところもあるし、「いやそれは思考停止でしょ」と思うところもあるし、様々だ。僕がこの場にサケの写真をあげたのも、「鳥類や哺乳類は気を遣わないといけないなら、魚は? 昆虫は? どこで線を引くの?」みたいなことを言いたいがためではない。僕にとってサケが身近で、興味深い被写体であるという以上の理由はない。


いちおう僕も狩猟者であり、鉄砲撃ちなので、上記の話題に関して思うところは多くある。ただ僕は写真家ではなく、それを生業にするライターでもなく、そして狩猟を通じて命や食べ物について不特定多数に表現しようという動機を持っていない。立場も、表現者としても異なるひとの意見について、軽々しく同意はできないと思う。一方で、「内容には頷けるけれどこの書き方じゃ反発を招くだけだよなあ…」と感じることは(狩猟の話題に限らず)多く見てきたこともあって、いわゆる”書き手の態度の問題”を思い出したりもする。


という、特に言いたいこともないけれど、サケの写真をあげたくなった夜のこと。

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