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紺色のひと

思考整理とか表現とか環境について、自分のために考える。サイドバー「このブログについて」をご参照ください

「なぜ金魚を川に放流してはいけないの?」から外来生物問題を考える

環境

大阪府泉佐野市の「犬鳴山納涼カーニバル」では、夏の風物詩として川に金魚を放流して参加者にすくい取らせるというイベントが行われているそうです。
2016年7月、このイベントを問題視する声がtwitterを中心に挙がり、実際に主催者に指摘や問い合わせ等を行った方が現れ、結果的に今年の金魚放流が中止になる……ということがありました。

僕の感想は「川に金魚を放流する? 外来生物問題が取りざたされる現代で、そんなとんでもないイベントがまだ行われていたんだな」というものでしたが、どうも「金魚を放流して何が悪い」「伝統ある行事を中止させるなんて」という反応の方も多くいらっしゃった様子です。

本エントリでは、この案件を題材として、以下の大きく2点について考えてみたいと思います。

  • 「なぜ金魚を放流してはいけないのか?」という外来生物問題
  • webでの炎上がイベント中止に繋がる、クレームにかかわる問題

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事態の経緯

日付 できごと URL
7月14日頃 twitterに当該イベントのポスター画像が貼られ、問題視する声が高まる。これを見た方が、主催である泉佐野市観光協会や泉佐野市に電話で問い合わせ・苦情・問題点指摘を行う ツイッターをまとめよう - Togetterまとめ※コメント欄に執拗な書き込みを繰り返す方が現れ、7/22現在非公開
7月15日早朝 主催者:観光協会が「金魚の放流の中止」を決定、facebookおよびtwitterで発表。なおイベント自体は行われ、金魚は来場者への配布という形をとることに。 https://twitter.com/Kanko_Izumisano/status/753921302507950080
7月15日夜 webメディア媒体のねとらぼが記事に。本記事はニコニコニュースmixiニュースなどでも配信され、話題を呼んだ模様。 「虐待でしかない」 30年以上開催されている“金魚放流イベント”で物議、開催地の泉佐野市に聞いた - ねとらぼ
7月15日夜 同じくwebメディア、Buzzfeed日本版が記事に。 金魚8000匹放流イベントは動物虐待? 担当者「すべて捕まえるので問題ない」
7月15日夜 悪名高きコピペブログ「ハムスター速報」もこれに便乗し、記事を作成。 はてなブックマーク - 泉佐野市で40年行われている金魚放流祭りがネットで問題視される:ハムスター速報
7月23日昼 産経新聞が取り上げ、記事に 金魚放流イベントがネット炎上で中止に 「生態系に影響」「虐待」… 主催の泉佐野市観光協会は「30年続くイベントなので実施したいが」(1/4ページ) - 産経WEST(魚拓1.2.3
7月24~25日 関西方面で、朝の情報番組等で取り上げられる
7月26日 朝日新聞地方版(大阪・堺泉州)に記事が掲載 https://pbs.twimg.com/media/CoPxg9CUkAA7j5t.jpg
7月28~29日 テレビ朝日系列「羽鳥慎一モーニングショー」等で取り上げられる キャプチャ動画
7月29日 泉佐野市観光協会が「下流に網を設置」「金魚の飼い方チラシを配布」を併せて行ったうえ放流の実施を決定 観光協会FB
7月29日 観光協会の判断を受け、産経新聞が「放流を行います」と記事に 〝ネット炎上〟金魚放流イベント、予定通り行います!…下流に網設置、生態系に影響出ないよう 泉佐野市「続けたい」 - 産経WEST


7月18日頃まで、各記事コメント欄等で盛んに議論が続いていましたが、その後7月23日の産経新聞掲載を皮切りに再び議論が白熱し、関西圏のテレビなどでも取り上げられる事態に発展しています。また産経記事以降にコピペサイトも乱立。ほとんどが「ネット民のクレームで放流イベントが中止」という論調でまとめられています。
最終的に、7月29日に泉佐野市観光協会が条件付きでの金魚放流を決定しました。


このイベントは、自然河川に金魚を直接放流し、子供ら参加者に網ですくってもらう……という内容です。主催側によると「30年以上続いていている」一方、過去にも外来生物問題として指摘された経緯があるようです。今年は8,000尾の放流を予定しており、過去のイベントの記事では1万尾を放流していたことも。
泉佐野市観光協会Facebookページ

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犬鳴山納涼カーニバル(金魚の放流)|泉佐野市観光協会


続いて、外来生物問題としての金魚の放流の是非を考えてみましょう。


外来生物問題としての金魚の放流

「なぜ、金魚を放流してはいけないのか?」

一言で言えば、「そこに昔からいたいきものが困るから」です。
現在、「他所から持ってきたいきものを自然環境に放してはいけない」ことは、だいぶ広まってきているかと思います。
まずは、環境省による外来生物に関する説明ページから解説画像をみてみましょう。

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日本の外来種対策 | 外来生物法


続いて、twitterなどでとても可愛らしくわかりやすいいきもの絵を描いておられるツク之助 さん、外来生物に関する著書もあるさくま功さんの画像をここで紹介します。


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※本画像はさくまさんからご提供いただきました。紹介します。


これらを踏まえて、金魚について考えてみましょう。大きく2つの「放流してはいけない」理由があります。

  • 金魚が他のいきものに病気を移してしまうかもしれないよ

観賞魚、特に金魚は高密度で飼育されることが多く、魚や他のいきものに悪影響を及ぼす病気を持っている危険性があります。実際、放流した魚によって病気が流行した事例*1があります。

  • 本来いなかった金魚を放すことで、どのような問題が起きるのかすべてはわからないよ

たとえば、金魚が他のいきもの――水草や小さな虫など――を食べることで、それらを餌にしていた他のいきものと競争になってしまうかもしれません。また、よく目立ち動きも早くない金魚はサギなどの鳥に食べられるでしょうが、本来それらの鳥が食べていたものが増えてしまうかもしれません。自然の中のいきものは複雑に関係しており、そこに本来いなかったいきものが入ることで、どのような影響が起こるかわからないのです。


おおもとの考え方としてわかっていただきたいのは、多くの生き物が相互に関係性を保っている「生態系」は、現在の状況になるまで長い時間をかけてつくられてきたものだ、ということです。そして、何かの拍子にバランスが崩れたとき、それを元の状態に戻すことはできない不可逆のものなのです。

「なぜいきものを放していけないのか?」という問いは、「今まで長い時間をかけてつくられてきたものを、人間の都合で改変していいのか?(いやよくない)」という問いでもあるのです。

また「生態系サービス」という概念があります。
「生態系や自然、種や遺伝子には未知の部分が多く、難病の特効薬や食糧難の解決など、これから人間のために活用できるものがたくさんあるはずだ。だから、今ある自然環境をできるかぎり大切に保全しておこう」というものです。ある意味人間中心の考え方ではありますが、「元からある自然環境を保全しよう」という結論は同じです。
解説記事→生態系機能と生態系サービス (2002年度 21巻3号)|国環研ニュース 21巻|国立環境研究所

例えば、2015年にノーベル医学・生理学賞を受賞した大村智先生の研究は「土壌中の微生物から有用な薬を見つけた」ものです。また古い例として、抗生物質であるペニシリンが青カビから見つかった例もあります。このように「今あるいきものや自然環境、遺伝子を(人間が利用するためにも)なるべく損なわないようにしよう、そのために生態系を保全しよう」という考え方ですね。エゴといえばエゴなのですが、エゴで何が悪い、生態系を守るのは人間のためでもあるんだ、地球環境が大切なのは同じだ……というある種開き直った考え方でしょうか。

なお、泉佐野市のある大阪府の府立環境農林水産総合研究所では、よくある質問として「Q.川や池などに淡水魚を放流したい」に、以下のように答えています。

川や池などに淡水魚を放流しないでください。
コイやフナを放流すると、捕食や競合などがおこり、在来の多くの魚の生態系に悪影響を与えます。また、近縁種と交配し、遺伝、形態、生態的に変化します。さらに、種内の(遺伝的)多様性が損なわれ地域環境への適応度が下がるなどの事例も明らかになってきました。
日本魚類学会でも「魚類の放流ガイドライン」を定め、生物多様性保全のために安易な放流は慎むべきと提言しています。
川や池などに淡水魚を放流したい。 | 大阪府立環境農林水産総合研究所

放流を容認、あるいは賛成する意見に対して

さて、いろいろな意見を見ていくうち、「別に放流してもいいだろ」という放流賛成・容認派とも呼ぶような層があることに気づきました。代表的なものをピックアップしてみましたので、これらについて考えてみましょう。

  • 30年も続いてるんだから既に生態系は壊れてる(金魚を含んだものになっている)だろ

→確かに、何年も放流が続いていれば、放流する前の状況とは既に変わっていることが予測されます。しかし、放流はそのたびに環境悪化リスクを生じるものですし、見える影響ばかりが生じるわけではありません。既に完全な状態ではないからとはいえ、リスクがあることを続けることが容認されるわけではありません。ゴミが既に落ちている道端だからといって、ポイ捨てが容認されないのと同様です。始めてしまっていたことについては、一年でも早く止めることが解決策のひとつです。

  • ブラックバスと違って金魚は魚を食べないし、影響はない
  • どうせ全部死ぬか食われるかするだろうし(全部下流で回収するし)影響はない

→川に棲んでいるのは魚だけではありません。また病気の感染源という観点からは、個体を回収しようと放流した時点で既に環境を悪化させていることになります。

  • 金魚はフナだから放しても影響はない

→金魚は元々、フナの仲間を品種改良してつくられた観賞魚です*2。しかし日本には在来フナが複数種類おり、こうした近縁種の魚が放されることで交雑してしまうという別のリスクがあります。

  • 人間だって自然の一部なんだから、人間がやること(放流)で生態系が変わってもそれも自然の一部

→「自然」という言葉を拡大解釈しています。人間はヒトといういち動物種であると同時に、その知能・技術による自然環境への影響力は他の生物種と比べ物にならないくらい大きいものです。ヒトは、自然の一部であることを自覚しながら、自らを含む生態系への影響を抑えつつ暮らしていかなければならないと僕は思っています。

  • イベントを批判するなら調査して影響がないことを調べてから反対しろ

→検証の主体が逆です。本来は、放流する側が、調査結果や有識者への相談などの根拠を揃えて「影響がないと思われる」と検証しなければなりません。また「金魚の放流」という点で既に悪影響は容易に予測されるため、なお放流しようと思うのであれば、これら指摘に対して答えるべきでしょう。
※参考:科学の立証責任について→「批判する前に自分でもやってみろ」という詭弁 - バッタもん日記
また、外来生物問題は対策が遅れると甚大な影響が出ることがあるため、「入れない・捨てない・広げない」という予防原則という考え方があります。「調べてから動く」では遅すぎるので、まず持ち込むことを止めましょうということです。
外来生物被害予防三原則[外来生物法]

炎上…「金魚を放流すべきでない」という問題点指摘に批判が集まった理由

さて、本件は「川に金魚を放すのはよくないよ」という話だけでは済みませんでした。電話で本イベントに関する苦情・問題点指摘を行った側に対する批判も多く見られたのです。イベントを批判した側をシーシェパードやグリーンピース、動物愛護団体、果てはなぜかIS(イスラミック・ステート、テロ組織のイスラム国)になぞらえて批判する方まで現れました。

これは、「苦情を受けてイベントが中止になった」という関係性を取り上げ、ネット発の炎上によるスクラム……すなわち「声の大きなクレーマーが祭りを中止に追い込んだ」ということに対する反発なのではと考えられます。
心当たりのひとつとして、webで炎上しやすい話題のひとつである「過剰な動物愛護」があります。今回はwebメディアで取り上げられた際の記事タイトルに「虐待」という言葉が入っており、そうした反発を引き寄せやすかったのではないかと推察します。その言葉を入れたほうがアクセスが集めやすいだろうという判断があったのかもしれません。
実際には、イベントの問題点は外来生物の移入・放流による生態系への影響という観点が主であり、「金魚への虐待」というのは論点のごく一部でした。それを殊更に取り上げたため、煽られて「またクレーマーか」といった反応を呼んでしまったのではと考えます。
こういったタイトル付けに至った理由がアクセス数向上のためなのか、あるいは記者の方が「なぜ話題になっているか」をきちんと掬い上げられていなかったのか、いずれにせよねとらぼ、Buzzfeedの両メディアの姿勢は好ましいものとは思えません。

今回は、社会的に正当性のある(と僕のようないきもの好きは認識している)指摘だったと思いますが、特に興味のない方からは「まーたイチャモンつけてるよ」と思われかねない流れ……というか、実際にそう思われていたように感じます。
環境を悪化させる行為を止めたという点では、結果的に中止という判断に至ったのはよかったと思いますが、同様のイベントにこうした圧力を加えることがよいことだとは思いません。あくまで問題点の指摘に留め、主催側の判断を待つべきでしょう。

例えば、僕の話です。
僕が小学生だった20年以上前には、札幌市内の豊平川にヤマメとニジマスを放流し、釣り大会が行われていました。毎年夏、当日の朝放流して昼からの開始です。当然、上下流に仕切りなんてありませんでしたし、全部の魚が釣り切られるわけでもないから、残りはそのまんまです。かなりの数が残ったでしょう。今のご時勢では絶対続けられない類のイベントです。
外来生物や放流に対する考え方はこの20年で大きく変わり、北海道では外来種の放流・放逐に対する罰則付きの条例ができたりもしています(ニジマスは対象外になったとはいえ)。20年前に普通に行われていたことが、学術的知見の積み重ねや問題意識の広まりによって新たに問題視されることは往々にしてあるのです。こうしたイベントも、社会的な要請や価値観で変わらざるを得ないのだなと思います。



放流の中止という判断――イベント主催側の対応について

ねとらぼの記事では、「このイベントは30年以上前から行われている」「既に生態系などに関する質問を数件もらっているものの、30年以上続いているこのイベントにこれほどの意見をもらうのは初めて」という主催者側の意見が紹介されています。

最初にこの話を聞いたとき、僕は「まだこんなことやってるの!?」と思いました。
正直なところ、人口10万人を数える泉佐野市ほどの規模の自治体で、「金魚放流」なんてイベントが20年以上も続いてたのには、驚きを隠せません。内部や参加者などから「これ放流して大丈夫なの?」という声が挙がらなかったのでしょうか?
一方で、地方自治体の環境行政担当者では、30年以上続いているイベントの問題点を指摘するのも難しいかな、と半ば諦めのように理解できる気持ちもありました。

実際、放流に関する問題点が指摘されたのは今回が初めてではないらしく、それを認識しながらも続けられてきたと考えられます。
ガタコオヤジ 38k(@mairin13813)/2010年07月16日 - Twilog(2010年の問い合わせに関するつぶやき)


そういう意味では、いかに反対意見の数が集まったとはいえ、イベント前日に「放流中止」の判断を行うのはとても困難なことだったと思います。そのご英断に、僕は敬意を表したいです。

僕には、中止の判断に至った詳しい経緯がわかりません。「以前から内部でも問題視する声があり、外部からの苦情でそれが表面化した」のか、「ただネットで炎上したからとりあえず中止した」のかはわからないのです。
僕が望むのは、主催者である観光協会内や市役所担当課内で「放流イベントの何が問題だったのか」「なぜ抗議が来たのか」「どういったイベントなら環境に配慮しつつ楽しんでもらえるか」……といった建設的な話が進むことです。

夏に川に入って魚を捕るの、楽しいですよね。まだ慣れてない子供が、目立つ金魚を追いかけて網でばちゃばちゃやるのは微笑ましいですし、子供にとってもとても楽しい体験になると思います。それでも、やってはいけないラインは存在します。涼しげで楽しいイベントに、ついでに川のいきものや環境について学べるようなイベントにするにはどうしたらいいのか、考えてみていただけると嬉しいなと思います。
金魚を放流しなくても魚捕り体験はできますし*3、ゴムチューブやライフジャケットを用いた川流れ体験みたいなのをしてみてもいいでしょう。こうしたイベントをきっかけに、川に親しみ、いきもの好きになってくれる子供たちが増えることを強く望んでいます。


以下、補足など

「○○はどうなんだ」について

本記事では、あくまで「観賞魚である金魚を自然河川に放流すること」という事例に対しての解説を試みたものです。外来生物にかかわる問題としてよく出てくるお話である「野菜だって人間がつくったものだろ」「ニジマスの放流はいいのか」「人間だって外来種だ」「国際結婚や混血にも反対するのか」などは外来生物問題に関連して頻出する質問ですが、それぞれ答えが異なる層の問題になります。
ここですべてを説明することはできません。ご了承ください。

魚類の放流に関するガイドラインについて

日本では古くから「放流はいいこと」とされ、アユやヤマメ、コイなどの放流が積極的に行われてきた歴史的経緯があります。他方、生態学的観点から「他の地域の魚を放流すること」の問題点が広まってきており、数十年前のように軽々しく放流が行われることは少なくなってきたと言えます。

生物多様性の保全をめざした魚類の放流ガイドライン(日本魚類学会・2004年)では、こうした保全目的の放流を絶対的に否定はしないものの、放流に関わる生物多様性に対する問題点として以下を挙げ、注意喚起を行っています。

  • 生息に適さない環境に放流した場合には,放流個体が短期間のうちに死滅するだけに終わる
  • 在来集団・他種・群集に生態学的負荷(捕食,競合,病気・寄生虫の伝染など)を与える.ひいては生態系に不可逆的な負荷を与えうる
  • 在来の近縁種と交雑する.その結果,遺伝・形態・生態的に変化し,地域環境への対象種の適応度が下がる.交雑個体に稔性がない場合には,直接的に在来・放流両集団の縮小につながる
  • 在来の同種集団が,遺伝的多様性(※3)が小さい,あるいは在来集団と異なる遺伝的性質をもつ放流個体と混合したり,置き換わることにより,地域環境への適応度が下がる
その他の観点(環境教育の場として)

本イベントは、子供に自然と触れ合う機会をつくる環境教育の場としても見ることができます。企画・主催側にそういった意図があるのかは不明ですが、「池や水槽の中にいる金魚を自然の川に放してもいい、と思わせてしまう」という観点から、環境教育としては悪手だと考えます。
上記「放流の中止という判断」でも述べたように、この機会を活かし、より広く川といきものに親しんでもらえるイベントになることを望んでいます。僕も、自分が住んでいる町で、子供を川で遊ばせたり魚を一緒につかまえるイベントに携わっています。

【7/23、29追記】他メディアでの扱い

7/23付け産経WEBに、本イベントが炎上により中止になった件の記事が掲載されました。これまでのwebメディアの記事よりも詳しく、流れや担当者側の感じ方などが取材されています。また有識者として、近畿大農学部の教授からのコメントを紹介しているほか、金魚愛好家の方のコメントも併せて書いています。
www.sankei.com
以下抜粋します

今月15日、協会事務局を担う泉佐野市まちの活性課に「川に金魚を放流するって本当ですか」という問い合わせの電話が相次いだ。職員がインターネットで調べると、イベントを批判する内容のツイッターの投稿が相次いでいた。
「元々の生態系に影響をあたえる」という環境保全の視点からの批判が多く、「かわいそう」などとする意見もあった。時間を追うごとにコメント数は増え、なかには「環境テロ」「虐待」といった過激な内容もあった。
想定外の反響に、協会側は同日夜、急遽対策を検討。16日は放流は行わず、来場者に直接配る形式に変更し、フェイスブックなどで告知した。当日は約700人が来場し、川で捕まえることができないことを残念がる人はいたものの、抗議する人はなかったという。
市の担当者は「これまで生態系への影響というのはきちんと考えたことはなかった。いろんな考えがあることが分かった」と話す。30日の放流については、法律や環境の専門家の意見を聞くなどして実施するかどうかを検討している。
川への金魚の放流について、大阪府環境農林水産部水産課は「法律に触れるものではないが、いいとはいえない」と指摘する。同課にはイベントで魚を川に放流したいが、許可が必要かといった問い合わせが時折あるというが、「ダメとはいわないが、控えてもらったほうがいい」と指導しているという。

日本魚類学会副会長で近畿大農学部の細谷和海教授の話
「元の生態系にない生き物を、外から持ち込み大量に放流するのは自然破壊であって、信じられない行為。在来種との交雑や病気を持ち込む可能性など多くの問題点がある。子供への環境教育の視点からも問題で、自然を保護することを教えるべきなのに真逆のことを示している。生物多様性の保全が重視される今、時代遅れの感覚だ」
金魚に関する著書が多い金魚愛好家の杉野裕志さんの話
「自然環境を守る視点は重要。ただ、金魚は川で生きていくのは難しい生き物で生態系への影響は考えにくく、30年も地域の楽しみとして続いているのなら認めてもいいのではないか。持ち帰った金魚から命を学ぶこともある。インターネットではダメだという意見で盛り上がったようだが、一方的に決めつけるのではなく幅広く考えるべきではないか」

またその後、全国区のテレビ朝日系列の番組「羽鳥慎一モーニングショー」等でも取り上げられました。
番組では金魚の業者さんや近畿大学農学部の教授等のコメント、泉佐野市まちの活性課からのコメント等を紹介し、9分程度の扱いだったそうです。番組を見た方の感想を総合すると、総じて放流には賛成の雰囲気で「100%回収すればやってもいいのでは」という雰囲気だったようです。webでの炎上でイベントを中止にするかどうかという観点のみで、外来生物問題としての掘り下げがないのは大変残念です。


【7/29追記】7/30イベントでの放流実施について所感


7/29 10時頃の泉佐野市観光協会フェイスブックページで、30日の金魚放流について条件付きで実施する旨の告知がありました。

各方面から多くのご意見をいただき、協会内部で検討しました結果、皆様からのご意見を踏まえ、
①イベント会場の下流に網を設け、金魚の流出を防止します。
②ご来場いただき、金魚をすくって持ち帰っていただいた皆様に、
 より一層金魚を大切に育てていただけるよう、
 「金魚の育て方」 チラシを会場にご用意します。
以上2点を今回から新たに実施し、予定どおり金魚の放流を行います。

とのことです。
全国的に騒ぎになった後の決定、関係者の方は色々とご苦労なされたと思います。まずはお疲れさまでした。
実施が決まってしまったのは仕方ないとして、「逃がさないこと、大切に飼うよう周知すること」は必須だと思うので、きちんと対応してもらいたいと思っています。本来であればいきものを放すことに対する注意喚起も行ってもらいたいところですが、実施側の立場に立てば、放流したうえで「いきものを放流するのは止しましょう」という外来生物問題に関するチラシなどを配れるわけもないので、そこは求めても仕方ないことでしょう。
「これまで生態系について考えたことはなかった」という実施側には、問題の存在と今後のよりよいイベントの在り方について再度考えてほしいところです。ただ、報道を通じて実施側から受けた印象として、外来生物問題に対する意識があるようには見えませんでした。大阪府の「法で禁じられてはいないがいいとはいえない」、近大農学部教授の「放流は自然破壊であって信じられない行為」といったコメントをどう受け止めるのかは気になるところです。

「webで炎上、主催者に問い合わせが→イベント1回目の放流を中止に→テレビ等で再燃→2回目は(条件付きで)放流」という流れになってしまったので、結果的に「金魚を放流していい」と判断されてしまったのが残念でなりません。環境教育的な意味からも影響が大きいと思います。



参考文献など

移入・外来・侵入種―生物多様性を脅かすもの

移入・外来・侵入種―生物多様性を脅かすもの

外来水生生物事典

外来水生生物事典


本ブログで外来生物について取り上げた記事です。

本件に関し、当初1万RT以上され注目を集めるきっかけのひとつとなったMistirさんの記事です。
mistclast.hatenablog.com


2016.7.21 9:00追記:生態系サービスに関連して、微生物の利用例としてノーベル賞受賞者の大村先生について記載しました。
2016.7.21 12:00追記:外来生物対策の「予防原則」について追記しました。
2016.7.23 21:15追記:産経WEBの記事について追記しました。
2016.7.26 9:15追記:7/23以降のメディア掲載状況について追記しました。
2016.7.29 12:50追記:報道状況および泉佐野市の放流決定について追記しました。

*1:農林水産省/コイヘルペスウイルス病に関するQ&Aや、農林水産省/レッドマウス病の発生及び今後の防疫対応など

*2:大陸原産のギベリオブナが原種であるとの説をはじめ、諸説あり:ナーフー(その2) - 湿地帯中毒

*3:土地勘がないので、魚種や安全面からこの川のこの場所でできるかどうかの判断までは僕にはできませんが……

あっちぇえランド

思考 生活 私小説

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県民河川愛護デーには、家の近所や河川敷、海岸の清掃をするのがこのまちの定例行事だ。大家さんから貸し与えられた刈り払い機の試動を済ませ、集合時間の6時少し前にゴミステーションに向かった。二軒隣に住んでいるおじさんがちょうど出てきたところだったので、合流した。

「朝からあっちぇえの」
「ほんとですね、風もねっしや」

通りすがりに、3枚貼られた選挙ポスターをちらりと眺めた。妻が「しげるくんが寝入ろうとするときに選挙カーが通って起きちゃうんだよね」と言っていたのはどの候補だったか。

僕は山際のあぜ道沿い、やや草丈の高い部分を任された。刈り払い機は何度か使ったことがある程度で、まだ手に馴染むようには扱えない。学生の頃、北海道で仕事をしていた頃、どちらともちょっとタイプの違う新しいものだ。ベルトの長さをもう一度調整し、腰を曲げなくても刃先が地表すれすれに届くことを確認してから、強くひもを引いた。試動のおかげか、2回目でスタート。眼前のイタドリに取り掛かることにした。
僕は野外での単純作業が結構好きだ。思考リソースを大きく二つに分けて、半分は作業の効率化に充て、もう半分であれこれと思いを巡らせながら、とりとめも無いことを考えるのがいい。ひとつのことに思考を絞り込まずに、なるべく散逸させながら進めるのだ。
(オオイタドリより背が低いわりに茎が固いのは気温のせいか、水分条件なのか)((まだ集落のひとの名前覚えきれてないけど、次の夏祭りでもうちょっとわかるかな))(クズの蔓、本当に邪魔だ)((朝イチで選挙行っちゃいたいけど、混みそうだな))(石跳ね防止カバー、こういう環境だとかえって引っかかって危ない)((……))(……)


風が吹かず、草むらで停滞した空気を刈り払い機でかき混ぜながら進んでいるようだった。雨が降りそうだからとTシャツの上に薄手の作業用パーカを羽織ってきたはいいが、上半身全体が蒸し上げられてゆくようでとても不快だった。思考が攻撃的になってゆくのが自覚できた。半分のリソースはなるべく冷やしたまま、効率化のことだけを考えるようにした。右手をやや強く握り込んで刃の回転数を上げ、軽く振りぬくように桑の幼木の根元を撫でた。


((参院選と都知事選が近づくにつれ、いつも眺めているディスプレイの向こう側での空気の変化が強く伝わってくるようになった。twitterは元より、Facebookにそれが顕著だった。顔見知りの、あるいは親しい友人たちの、これまで語ることのなかった政治的な思想が強く表出してくる。僕にはそれが、ひどくグロテスクなものに感じられた。))
((僕は自分の政治信条を他者に向けて語ることを好まず、webではもちろん、友人たちともそういった話題を取り上げることを避けてきた。そういったひと付き合いをうわべだけのものだと呼ぶひとがいるのは知っていたが、僕は気の合う友人たちだからこそすべての分野について言葉を尽くさなくてもいいと思っているし、たとえ政治的な考え方が異なったとしても、それを殊更に取り上げて溝を深める必要はないと考えているからだ。))
((それでも、実際に「彼/彼女がこう考えていたんだ」と可視化されてしまうと、意識せざるを得なくなる。知らなければ気にしなくてよかったものを、知る必要がないと思っていたはずのものを、自分と考えが異なるという理由で「がっかりした」と思ってしまう。それはすなわち僕が、政治的な意見を他者の評価基準のひとつに据えているということで、『たとえ政治的な考え方が異なったとしても、それを殊更に取り上げて溝を深める必要はない』という自分の考えと矛盾していることに気づいてしまうのだ。))


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((ふと、今年の連休に、大学寮にいた頃の友人たちと集まったことを思い出した。上野で集合し、国立博物館で「黄金のアフガニスタン」展を見た後、上野公園の端にシートを敷き、真昼間から酒を飲んだのだ。それぞれの仕事の話を少しずつし、今の生活の話を少しずつした。重苦しい話はなにひとつなかった。久しぶりの再会、だらだらと続く時間、少しずつ冷えてゆく空気、すばらしい時間だった。))
((友人のひとりと後日やり取りしたとき、彼がメッセージにこう書いてきた。「SNSだと過激というか極端になりがちだし、文字だとうまく伝わらないことも多い」「酒飲みながら公園でおしゃべりくらいで」「逃げ道あるといいよね」。たくさん気が合う部分があっても、ひとつの合わない部分が決定的になり得るなら、それを表出させないことこそが解決策のひとつのはずだ。))

((僕は誰かが「いいね!」してフィードに表示された情報を、何かそのひとの重大な意思表明だと思ってはいなかっただろうか。僕が『表出した』と感じていたことは、僕が勝手に想像した藁人形ではなかっただろうか。他人の「いいね!」ひとつの重みや意味を僕が決めることこそが、僕が嫌う他者の代弁行為そのものではないだろうか。))


ヴィン! 既に誰かによって伐られていたヤナギの低木に刃がかすり、高い音を立てた。僕は両手に力を入れて体勢を立て直し、同時に思考の配分がうまくいっていなかったことに気づく。
慣れない機械を扱うときは、それ相応の思考配分をしなければいけない。当たり前のことだ。道具に使われてどうする。思考を御し、それを使う体を御して、自分の思うことを実行するのだ。表現だって、言葉だって、多分似たようなもののはずだ。誰かのエンジン音に心をざわつかせてはいけない。少しずつ右手を握り込んで、だんだんと早くなる刃の回転を操るのだ。


「おーいしげおくん、そろそろ時間だっし、あがろうやあ」
「はーい!」
「しっかしあっちぇえの、結局降らなかったしや」
「んだですの」

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