ただ春を待つのが
よく晴れた、明るい週末になった。
少し乾いた空気、強い西日。日が沈んだときの大気の匂いは、10年以上前にひとり暮らしを始めたばかりの時のそれによく似ていて、新しい季節の高揚感を思い出させる。
恩義ある方の訃報が届き、通夜と告別式に参列した。式の前の空いた時間に、川を見に行ってしまう。冷たい風に体を晒してから、川辺で喪服に着替える。
ヒートウエイヴ「ゆきてかえらず」は友人が教えてくれた歌だが、恐らく彼の意図するところとは別の理由で、誰かを喪ったときに僕が拠り所とする音楽になった。
悲しみは人に告げず / この胸にしまっておけるなら
橋を渡り 河を越え / 永遠の旅人よ
想いはゆきてかえらず
遺された側の責任てもんがあるよな、と似合わないことを考えてみたりする。生き急いだように見えるあのひとの熱量に負けないように、僕も生き急がねばならないと強く思う。だけど、こういう哀しませ方をするところは見習わねーぞ、と小さく毒づいておく。
参列した若いひとびとの誰もが、哀しみの中で、あのひとから教わったことを噛み締めているのがとても強く感じられた。これこそがいわゆるミームに違いないのだ、と納得する。
天には光、地に花開く。あの樹の下にも光は注ぎ、林床にも木漏れ日が、届き、
そしてブナも芽吹く。
こういう、取り残されたような気持ちで写真を撮るのは初めてではない。これからも増えるんだろ、わかってるよ。
やはり生きるしかあるまい。