紺色のひと

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さらば従兄の背中よ、ケムール人よ

僕にはイトコ兄弟が多いが、うち従兄と呼べるのはひとりしかいない。僕よりも二週間だけ年上の、同い年の従兄がそうだ。彼、貞光の話をしよう。

僕と彼はほとんど双子のようにして育った。家は隣同士で、一緒にチャンバラをして、近所の同じ幼稚園に通い、雪球を投げ合いながら同じ小学校に通い、一緒に地下鉄とバスに乗って同じ中学校に通い、一緒に近所の高校に進学した。彼と僕がイトコ同士だというのは友人みんなが知っていて、あまり話したことのない女子にも話が伝わっていた。僕は廊下を歩いていると、こんなふうに声をかけられた。
「ねぇ、アサイって、貞光くんのイトコなんでしょ?」
何度も、何度もそう言われたと思う。僕が違和感を覚えたのは高校に入ってからだった。『僕が貞光のイトコだ、と言われるけれど、貞光が僕のイトコだ、と言われたことがない』ことに気づいたのだった。話の主体は常に貞光だった。僕が目立たなかった訳ではない。悪い意味で知名度はあったようだし、思い出すのも恥ずかしいエピソードで名を知れ渡らせたこともあった。いや、それはいいのだけれど。
『僕が貞光のイトコ』であり続けたのには、大きな理由がある。


有り体な言い方をすれば、貞光は完璧超人だったのだ。


貞光は頭がいい。のみならず成績もいい。高校は道内一の進学校に進み、関東にある大学の医学部に進学した。
貞光は格好いい。イケメンであり、メガネをかけてもなおイケメンである。お洒落に気を遣い、髪もサラサラで、身長もちょうど良いくらいに高く、痩せすぎも太りすぎもせず、かといって中肉中背でもない細マッチョである。
貞光はスポーツもできる。ずっと続けているテニスでは、ラケットワークに特に定評があるらしい。部長もしていた。
貞光は人気者だ。気取らず、友人も多く、話も面白い。中学の頃にはかわいいと噂の同級生とお付き合いしていた。
彼の大学のテニスサークルwebページでは、彼の紹介をこう結んでいる、『神はひとりに万物を与えもうた。』と。彼に初めて会ったとき、妻は僕にこう言った、『少女マンガに出てくるヒーローみたいなひとだね』と。

ここまで書いて僕は既に泣きそうになっている。唯一彼について汚点となり得る要素と言えば、中学生の頃、モーニング娘。を好んで聞いていたことくらいだろうか。そうやって無理やり汚点をほじくり出して書いて、僕はまた泣きそうになっている。「恋のダンスサイト」の曲の出来如何についてここで述べるつもりはない。


閑話休題


ともかく、彼は絵に描いたような完璧超人で、僕は常に彼と比べられていた。彼が比べていたのではなくて、親や、親戚や、おそらく友人たちが。僕は比較されることを意識してはいなかったと思うけれど、常に『自分よりもデキる存在』が近くに居たことは、僕の幼少期からアドレッセンス中葉にかけての人格形成において、ある程度大きな影響があったのだと感じている。
ここで僕が彼のことを憎んでいたりすれば話は分かり易くもなるのだろうけれど、僕は彼のことが好きだし、大学で住処が別れて連絡の頻度が少なくなった今も仲が良い存在だと思っている。
学校でつるんでいたりはしなかったし、彼女が出来ただのどんなことがあっただのといちいち連絡も来ないししないので、僕は彼の高校時代から先の出来事についてはほとんど知らない。それでも、僕が高校を出て生まれ変わったと感じたように彼が成長していても、僕が彼と過ごした時間は長いし、どこか幼い頃のまま、分かりあったように繋がってゆけるのだと思っている。僕がどういう奴だと知っているか、ということについては、大学寮の連中のほうがずっと深いのだろうけれど、生まれたときから一緒だというのは、それとはまた別の関係が生まれるものだ。


そんな貞光が、明日、結婚する。
ひと足先に一家の長となった僕だけれど、もちろんそんなことに優位を感じてはいない。そうではなくて、並んだということが大事なのだ。僕はこれを機会にして、この出来すぎた従兄と自分を比べることを止めなければならない。比べていたのは誰かではなくて、他ならぬ僕なのだから。
これまでの生活で、何度も「今が生まれ変わる瞬間だ」と思ったことがあった。それは何らかの出来事だったり、自分の気づきだったりしたけれど、その頻度は年を経るに従ってどんどんと少なくなってきている。それでも自覚ができているからこそ、僕は声を挙げて成長しなければならない。re:birthしなければならないのだ。恐らく最も近しいであろう関係者と別れて、自分のことを見つめなおすために。この先そう何度もある訳ではないだろうと分かっているからこそ、僕は意識的にre:birthしなければいけないと思う。



ひとつ、覚えていることがある。幼稚園の運動会の記憶だ。
僕と貞光は別の組で、どちらもリレーのアンカーだった。最終周、僕と貞光にバトンが渡り、走り出す。当時は僕のほうが足が速かった。このまま走ればキク組が優勝できていたはずだった、と思う。何を思ったか僕はそこで、ケムール人の走法を真似て走り出した。貞光はぴょんぴょん飛び跳ねながら走る僕をコーナーで追い抜き、バラ組が優勝した。「ケムール人ではしれば速いとおもった」とかなんとか、僕は言ったと思う。

多分あの日から、僕は貞光の後ろを走るようになったのだ。僕は思う。明日から、いや明日は、ケムール人を僕の足で追い抜いてやるのだ、と。奴の背中を夢に見るのは今晩が最後だ。