紺色のひと

思考整理とか表現とか環境について、自分のために考える。サイドバー「このブログについて」をご参照ください

小学生女子にチョコをもらう独身男性(25)のひと

子細な状況は伏せるけれど、小学生の女の子にチョコレートをもらってしまった。ガチの手作りである。とりあえず見てもらいたい。

美加ちゃん(仮)とは、月に一度会うくらいの仲だ。彼女の年齢を考慮するまでもなく、会うときはお母様も一緒のことが多い。たまにお父様にも会ったりもする。
美加ちゃん(仮)は黒いストレートの髪をいつもきれいにまとめていて、三つ編みだったりふたつに分けてしばったりしている。この間、その三つ編みがいつもより短いことを指摘すると、恥ずかしがりの彼女に代わり、お母様が「あらそうなのよ、美加(仮)ったら今日はこうしてくれって」と左右の三つ編みを頭上で交差させた旨を手振りで僕に教えてくれた。そうなんだ、似合ってるね、と僕が言うと、美加ちゃん(仮)は視線を逸らし、そう? と呟いた。
と、ここまで書いて、僕は彼女の年齢を覚えていないことに気づいた。多分小学校の3年生か4年生、9歳から10歳くらいだったとは思うのだけれど、あの頃の女の子は本当に大人っぽくて、男子どもの年齢ならぴたりと言い当てられるのに、僕から見て5年生くらいかなと思った女の子が実は2年生になったばかりだったりと、驚かされることが多い。僕もおじさんになってしまったのかなとは思いたくないけれど、小学生からすれば10も20も年上の男なんて立派なおじさんだろう(参考画像:http://nagare.info/so/06/1211/atu/a39.jpg)。
話が逸れた。美加ちゃん(仮)から届いたチョコレートには手書きのメッセージが添えてあって、小さな封筒の表には「アサちゃんへ(>o<)」と書かれていた。これも諸事情があって、僕は美加ちゃん(仮)に本名を明かしてはおらず、「アサ」と名乗っているのだ。封筒の中にはメッセージカードが入っていて、カタカナで「ハッピーバレンタイン」と、そして次の言葉が書かれていた。

いつも いっぱい
あそんでくれて ありがとう!
これからも いっぱい
あそんでね(>-Q)
     みか(かり)より

封筒を開けるとき、僕は小学生の頃のことを思い出していた。あれは4年生だったか、それとも5年生だったか。自分の給食を取りに席を立ち、戻ると机の上に小さな封筒が載っていた。今も鮮明に覚えている、黄色とオレンジの水玉模様の封筒だった。隣の席の女子に「これなに?」と聞いても「知らない」と言う。僕はそれを持って廊下に出、中身を見ると、今日の帰りの時間、玄関で待っていると書かれていた。僕は無表情を装った複雑な表情で封筒をポケットにしまい、席に戻って給食を食べた。
放課後、玄関には誰も来なかった。学校から帰る生徒とは異なる動きをする女子ふたりが一度僕のほうを見たけれど、たぶん彼女らはまったく関係がないと僕は思った。
結局、隣の席の女子が誰かに頼まれたのか、それともその女子が書き主だったのか、今となってはまったくわからない。その手紙を開けるときの、焦りが首から上にせり上がってくる微妙な感情を、僕はそれこそ15年振りとか、そういうスパンで思い出している。


美加ちゃん(仮)のチョコレートは手作りの生チョコだった。恋人が横から覗き込んで、おかあさんと一緒に作ったのかな、と言った。僕はそうだね、と言って、手をべたべたにしながらチョコを食べた。
書き忘れていたが、僕の学生時代のリングネームは「アサイ・ローリー・シゲオ」であった。友人がつけたので理由は知らない。