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紺色のひと

思考整理とか表現とか環境について、自分のために考える。サイドバー「このブログについて」をご参照ください

幼い日の手のぬくもりはおっくせんまんの価値があるか?

小学校から高校まで一緒だった連中がいくらかいる。親同士の付き合いが続いていたりするせいもあり、僕が連絡を取っていなくても、母から彼らの近況を聞くことが少なくない。
ケンちゃんが、今度しげ(僕のことだ)と飲みたがっていたよ、と母からのメールには書かれていた。ケンちゃんとは小学校から高校まで一緒で、高校の部活でも一時期一緒だったけれど、僕が辞めてからはそれほど話すこともなかった。卒業してからは一度も会っていない。僕は地元を離れてあまり帰ってこなかったし、高校のときに携帯電話を持っていなかった僕は、当時の友人たちと帰省の際に連絡を取り合うこともできなかった。知っていたとしても、積極的に僕から連絡を取ろうとしたかは甚だ疑問ではあるけれど。いやはっきり言うと、取らないだろう。
週末、小学校の同級生の結婚式がある。同級生の結婚式に出るのは生まれて初めてのことになる。彼とは家が近かったし、小さい頃は同じプール教室に通ったりしていたけれど、中学を出てからは同窓会で顔を合わすくらいだった。僕なんかに声がかかるくらいだから、きっと小中の連中はみんな呼ばれているのだろう。
中学校の同窓会は何度か開かれていて、そのたび僕はなんとも言えない気分になっている*1。今度はどういう集まりになるだろう。同窓会に来ていない連中にも会えるかもしれない。大きく変わったであろう僕のことを彼らがどう思うかはもはやどうでもよくて、幼い顔しか思い出せない彼らのことをもう少し知りたいと思った。

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