紺色のひと

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からだの経験値を稼ごう

4月の末くらいまで、家のすぐ裏でウドとタラの芽、コゴミがたくさん採れた。シドキと呼んでいたモミジガサも少し生えていたので、一度摘んできた。5月に入るとフキが伸び始め、作業道の脇にはミズと呼ばれる青い葉がだんだんと丈を高くしていった。

ミズ、フキ、ミツバ。ミズは家の近くで一番多い山菜で、青ミズと赤ミズの2種類がある。フキは北海道のアキタブキよりも大分細い。味はあまり変わらない。


親戚と連れ立って5月のはじめに山菜取りに行くのが毎年の恒例だった。北海道の春の山菜はタラの芽、アキタブキ、シドキ、そして何といってもアイヌネギ(ギョウジャニンニク)で、親戚筋ではワラビの類は処理の面倒臭さからあまり採るひとは居なかった。タケノコと呼ぶチシマザサの小さいのを藪に潜って採りに行った。山形ではそれを月山竹と呼び、こちらに来てからはまだ食べていないけれど、豚バラと鍋にして黒胡椒を効かせたものがとてもうまかった。

コゴミ、茹でてマヨネーズと胡麻和え。あっさりしているが、あまりたくさん食べたい味ではないかも。


ここに越してきて、ふた月。カエルを探しに行ったり、倒れた竹を片付けたり、なるべく積極的に山に入るようにしている。山に入ると言っても、庭のすぐ裏は杉林の斜面だし、庭から続く作業道がそのまま沢筋に繋がっていて、その境界はとても曖昧なので、何か覚悟のようなものがいるわけではない。それはともかく僕は、入るたびに何かしら食べられるものを持ち帰るようにしていたのだけれど、その理由にようやく気づいた。

作業道をさかのぼっていくといつの間にか沢に入っていて、さらに上へ行くと広葉樹林になる。春に芽が出たトチノキの実生が沢沿いに密生している。


僕は地方都市で生まれ、図鑑や本から自然に親しみ、外で遊ぶようになった子供だった。キャンプや山菜採りのことも、本で得た知識やひとから聞いたものが先行する頭でっかちで、特に本州のものは「本でしか見たことがないもの」ばかりだ。僕は、先走っていた知識に対する経験を埋め合わせようとしていたのだ。食べられる山野草の類なんかはまさにそれで、庭の竹林の林床から覗くタケノコを、僕はどう掘っていいのかまるでわからなかったのだ。初めて見るものだったし、本に書いていなかったから。

ミズのオイスターソース炒めととろろ。


少しずつ、「知識でしか知らなかったこと」が自分の身の回りに起きている。その体験を蓄積できるのがたまらなく嬉しい。

赤ミズの根回りを包丁でたたくとねばりが出てとろろになる。白いご飯にのせて食うとうまい。