紺色のひと

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西の・光が・強い・ところ

十年前、この土地で暮らしていたときから、西日の強さが気になっていた。春霞のけぶる稜線がシルエットとなり、近くの小高い山々の、スギや葉桜、竹林が明るく浮かび上がる。水が入る前の田はトラクターで掘り起こされ、乾いた空気に細かな土ぼこりを舞い上がらせている。
六畳間のアパートの西の窓から傾いた光が差し込んでいた。当時、僕は飲み慣れない酒をちびちびとやっては、目を細めてその光を浴び、窓の外の公園から聞こえる子供と母親の声に耳を傾けていたのだ。あれから時間が経って、僕は日の長くなった郊外の道を、小さな車を走らせている。目を細めながら、西日を浴びながら。


「よく奥さんが決断したねえ」
移住のことを誰に話してもそう言われる。僕もそう思う。信じられないという意味ではなく、強い感謝の念を込めてそう思うのだ。まだ明るいうちに家について、光の入る部屋の中で晩御飯の支度ができることをとても喜ばしく思う。晴れた土曜の午前中、妻と娘の遊ぶ声を背中で聞きながら洗い物をする幸せ。ある意味、人生を大きく動かした判断だったわけで、それを成功とか失敗とか評価するのはずっと後でいいし、どちらに転んでも楽しかったと言いたい。生活が変わっても、妻と家族と楽しく生きることを第一に考えてゆきたい。
そういうことを考えながら、小さな車を走らせている。家に向かって、西日を浴びながら。