紺色のひと

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熊森協会「ヒグマを殺せばいいという道民は野蛮」←道民は怒っていい

札幌の街中でヒグマ出没が相次ぐ、というニュースが流れています。本件に対して「日本熊森協会」がコメントを出していますが、記述があまりに不正確なうえ、北海道民を明らかに侮辱する内容であると感じ、批判するとともに主張内容を分析しました。


なお、ヒグマの出没に関してのまとめ・状況分析は、「札幌のヒグマ出没についてちょっとしたまとめ」において行っています。併せてお読みください。



日本熊森協会の主張

日本熊森協会(以下「熊森」)は札幌市でのヒグマ出没および近郊の恵庭市における射殺など、一連のヒグマに関して、公式ブログの10月7日付けの記事で見解を述べています。本エントリでは、これをヒグマ出没および北海道の獣害対策に関する熊森協会の公式な見解であると捉え、内容を分析します。
以下の引用部については、全て当該記事:大量に捕殺されていく北海道のヒグマ  6日恵庭市で殺されたのは、胃の中空っぽ−くまもりNews(日本熊森協会公式ブログ)web魚拓)からの引用とします。なお、強調部は全て記事著者のアサイによるものです。

ヒグマの捕殺数について

推定2000頭の北海道のヒグマですが、3年前から大量に殺されています。
この原因の一つは、3年前にヒグマの駆除許可権限が、道庁から市町村に降ろされたことだという指摘があります。

平成22年度に行われた環境省の調査によると、ヒグマの推定個体数は1,771〜3,628頭(中央値2,700頭)となっています。なお本報告書では、ヒグマの個体数を科学的に推定・算出した結果、「ヒグマが自然に減少していることはまずあり得ない」としています*1
また、「3年前から大量に殺されています」とのことですが、北海道が発表しているヒグマの捕獲数(pdf)を見ると、ここ10年の捕獲数は約300〜650頭で推移しており、ここ3年が特に多いというデータはありません。平成17年には、22年よりも多い頭数が捕獲されています。
これは、駆除許可権限が市町村に移管されたから大量に殺されたのだ、という主張をしたいがための、意図的な数字の引用であると言えます。


行政の対応と人命

とにかく、行政担当者がクマのことはよくわからないので、人間に何事も起こらないうちに殺しておこうと、捕殺一辺倒になっているというのです。

問題のある認識だと感じます。行政、すなわち市町村の職員として、住民の安全を守るというのはごく当たり前で真っ当なものです。熊森さんは「実際に人間に何事かあってから対策すべき」とでも仰りたいのでしょうか>
ヒグマの出没に対して、現在北海道では狩猟および許可による捕獲駆除が行われており、出没の際にはヒグマ出没フロー(pdf資料)に基づき、出没状況および目撃された個体の行動に応じて、どう対応するかがフロー化されています。


例えば、市街地で人間を襲った個体は確実に排除するが、農耕地周辺で出没が確認された場合は農業被害防止措置を行う、など、地域性・出没個体の状況に応じた獣害対策を行うように指導されているようです。


確かに、行政ではヒグマ発見→捕獲(射殺)という安易な対応が取られがちであるという点については、研究者からも問題点が指摘されている部分ではあります*2。しかし、ヒグマでなにか事故があってからではあまりに遅すぎます。


その数字の根拠は?

2009年・・・・601頭
2010年・・・・540頭
2011年・・・・約500頭???(10月7日現在??)

いきなり数字が出てきました。各年度の捕獲数を示したものだとは思うのですが、出典が分かりません。先に示した北海道のヒグマ捕獲数は、2009年:649頭、2010年:561頭、2011年は9月12日現在で343頭です。熊森協会では、環境省地方自治体の発表した捕獲数データを用いて話を進めていると思うのですが、この「601頭」「540頭」という数字は根拠が不明であり、発言全体の信頼度を損ねるものです。




愛猫プッセ画像でクールダウン。


ミズナラの凶作はすべての木で起こっているものではない

北海道の今年のミズナラの実りは道庁発表では大凶作です。しかし、北海道で調査されている研究者に聞くと、結構ミズナラはなっているということです。場所によって違うのでしょうか。

平成23年時におけるミズナラや秋に実をつける植物の実りについては、各地で出された予報に基づいてヒグマの出没状況を予測します。北海道では、平成23年のミズナラ・ブナ・ヤマブドウ・サルナシについての実りを「不作〜凶作」と発表しています(平成23年秋季のヒグマ出没予想【警報】−北海道(pdf))。「不作〜凶作」と発表されているのに、無闇に「大」凶作と煽るような書き方をするのは感心しません。
また、ミズナラ等の堅果類は、前年の気象条件や芽の状況などの複合的な要因を元に豊凶を予測するため、「北海道では不作〜凶作」という予報でも、全道すべてのミズナラが不作となるわけではありません。北海道は広いですし、場所によって気候に差があるのも当たり前の話です。北海道に限らず、昨年のドングリ類凶作の際にも、あちこちで「凶作だけどうちの近所では生ったよ」という報告はありました。
それを今更「場所によって違うのでしょうか」など、認識不足にも程があります。本当に、熊森さんはクマの専門家なのでしょうか?


実行不可能な案と、道民への侮辱

電気柵とか使って守りたいところを防除するならともかく、お金や力は使わずに罠をかけて次々と捕まえて殺してしまえばいいというのが、北海道の大勢だそうで、道民の中から、あまりの残酷さに胸のつぶれる思いだ、野蛮すぎるという声も入っています。

ヒグマの防除対策についてはこのように述べています。
この文の問題点は大きく2点あって、「現実的に実行不可能な案を挙げている点」「伝聞形式を取り責任逃れをしながら『道民は野蛮だ』と主張している点」です。
北海道の面積は約8万弱km2あります。人間が利用している土地とその周囲延長を算出することはできませんが、「電気柵とか使って守りたいところを防除する」を実行しようとすれば、中世の城壁のごとく市街地を電気柵で囲わざるを得ません。この広大な大地で、電気柵の維持費をかけながらやれと仰るのでしょうか。あまりに非現実的です。また好意的に「優先度の高いところを電気柵で囲えばいい」と読んでも、「そんなのはとっくに実施されている」と反論できます。
熊森さんは、「お金や力は使わずに罠をかけて次々と捕まえて殺してしまえばいい」のが「北海道の大勢」で、それは「あまりの残酷さ」「野蛮すぎる」と主張しているわけです。しかも、電気柵による防除は既にあちこちで実施されているし、大勢の道民が「捕まえて殺してしまえばいい」と思っているなんて根拠はどこにもありません。
「道民の中から〜声も入っています」「だそうで」なんて誰から聞いたかわかりませんが、公式ブログに書いている以上、これは協会の主張と判断できます。これが道民に対する侮辱でなくてなんでしょう?




怒りのあまり、ラーメン屋さんで味噌ラーメンを食べました。



専門家への根拠なき非難

「ヒグマ凶暴」というテレビのテロップや、冬ごもり前の食い込み用食料がなくてひもじい思いをしているヒグマの心がわからずに、味しめ説・人なめ説など唱え、一方的にクマを悪者にしている専門家が、「ヒグマなんか殺してしまえ」という世論を形成していっているということです。

文の構造が分かりにくいですが、これは「ひもじい思いをしているヒグマの心がわから」ない「テレビのテロップ」や「専門家」が「一方的にクマを悪者にして」「『ヒグマなんか殺してしまえ』という世論を形成していっている」という主張と読めますね。
ここで言う「味しめ説」とは、人間の食物を一度食べたクマがその味を覚え、再度それを狙って出没するようになる、とするもの、また「人なめ説」とは、人間が恐ろしくないと学習した若いクマが人里近くに頻繁に出没するようになる、とするものでしょう。どちらの説も、ヒグマ・ツキノワグマの行動要素を分析した結果、広く受け入れられているものです。
熊森さんが反論するには、両説が間違っているという根拠を提出する必要があると感じますが、例によってそれはなく、「ひもじい思いをしているヒグマの心がわからず」と物言わぬ動物を代弁するのみです。
熊森さんはどうやらヒグマの心がわかるようですが、大型の野生動物が住居の周りに現れたり、子供が学校帰りに襲われたりしないかと心配する人間の心はわかっていただけないようです。


ヒグマへの共存を語る

とてもこんな状態では、ヒグマとの共存などできそうにありませんね。最近の日本人の、他生物の命への軽視、蔑視には恐ろしいものがあります。人間としての温かさを取り戻しましょう。

ヒグマが、状況によっては人間に害なすこともある野生動物である、というのはもはや説明の必要を感じません。もちろん、そうならないようにすべきですし、お互いが生活を脅かさないようにするにはどうしたらいいか、お互いが被害を最小限にするにはどうしたらいいか……そういうことを考えた結果が、電気柵や刈り払いによる住み分けと、その枠を越えてきた個体はやむなく捕殺する、という対策のあり方なのです。
これまでの熊森さんの主張を見ていると、そういった経緯や現状についてはまったく無知のまま、「ヒグマが殺されている」「胃が空っぽで食べ物がない」「そんなクマを殺すとは射殺は残酷で野蛮な行為」といった感情的な面のみで反論を行っているのがよくわかります。現状の獣害対策を知っていれば、「電気柵とか使って守りたいところを防除する」なんて今更のように書けるわけがないのです。
このように、無知と無理解のまま印象と伝聞だけで論を重ね、挙句の果てに「こんな状態では、ヒグマとの共存などできそうにありませんね」と結ぶ。おまけに「他生物の命を軽視・蔑視」するような「最近の日本人」――文脈から、これはイコール道民のこととも読めますが――には、人間の温かさはない、とまで言ってしまう。
こんな主張をする団体にヒグマを語る資格はない、と僕は思います。




熊森協会の主張の問題点

熊森さんは、ツキノワグマを中心とした野生動物保護に熱心に活動してきました。しかし、その手法については以前から「ツキノワグマの生態や習性を知らずに、『頭の中にいるかわいいクマさん』向けの活動だ」などと批判されてきました。今回も同様です。ヒグマの生態やその対策についてよく知りもせず、感情のみで反論しているように僕には思えました。


北海道では、ヒグマの脅威について、色々な場面で学ぶ機会があります。もちろん、それはただ「ヒグマが怖い」というだけを理解するためではなく、自分たちが住んでいる土地に大型の野生動物が生息していて、それらとうまく付き合っていくにはどうしたらいいのか――という点について考えるためだ、と僕は思っています。
ヒグマは恐ろしい。人間の生活のあり方は変わったけれど、だからこそ尚更、ヒグマとはうまく付き合っていかなければいけないし、昔の人たちもそうやって試行錯誤しながら暮らしてきたのだ、と感じているのです。
そのせいなのか、北海道のひとは「クマ」という生き物に対して、ただ「かわいい」だけではなく「恐ろしい」も同時に、そしてもしかしたらある種の「畏れ」のようなものも抱いている、そんな印象があるのです。


今回の熊森協会の主張は、ヒグマの生態・対策のみではなく、そういったヒグマに対する認識そのものがズレているものだと感じます。
現実的な被害を考えたとき、「全く殺さない」ことは事実上不可能な野性動物がヒグマです。そのヒグマの問題に対して、「かわいそうだから一頭たりとも殺すな」という偏った愛護精神では太刀打ちできません。認識を改め、ぜひ有用な獣害対策について述べていただきたいと切に望みます。



□参考
ヒグマの保護管理−北海道環境生活部自然環境課
ヒグマ捕獲数の増加を読み解く−北海道環境科学研究センター(pdf)