紺色のひと

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学生の祭り気分とその中の若い大人について

近所の大学の大学祭に、恋人とふたり出かけてきた。僕は大学祭などに合わせて発行される紙媒体の創作活動記録、つまり文芸部の部誌などを集めるのが大変好きだ。ということで、お好み焼きで腹を満たし、恋人の手を引いて探した。
パンフレットに目を通してみても文芸部のブースは見つからず(調べてみると、この大学の文芸部は7月に部誌を発行するそうだ)、同じく文科系の部が展示を行っている棟へ向かった。漫研アニ研、写真部を覗き、アンケート記入と100円の出費で4冊のコピー誌を手に入れた。
「嬉しそうだね」と恋人が言った。もちろん嬉しいとも、と僕は答え、ああいう場の雰囲気とか、冊子の中で力の入っているところとそうでないところのアンバランスさが生じるところや、それらが生み出すなにかが様々な形で僕に創作意欲を与えてくれることについて、多分熱っぽく語った。
模擬店をひと回りし、教育実習のときの教え子が関わっている学生演劇を見、そのあまりのひどさに途中で抜け、ぐったりして大学を後にした。ぽつりぽつりとその劇について感想を述べ合いながら、自分が演劇向きだと言われた言葉の意味や、芝居がかった言動で今までどれだけのひとに不快感を与えてきたかについて考えた。
ずいぶんと密度の濃い時間を過ごし、いろいろなことを考えた。ひとつ、気づいたことがある。学生の頃を懐かしく思うことはあっても、羨ましいと思うことはなくなってきた。年の近いはずの彼らが幼く見え始めている。僕も少しずつ、大人になっているのだ。