「楽しく田舎で暮らすために移住するのは質の低い移住者」と言われた気がした
この町では梅が見ごろです。古いレンズをここぞとばかりに引っ張り出して撮ってみています。妻と娘と一緒に食べた花見団子、本当においしかった。
こんなブログ記事を読みました。
http://yanodaichi.blog.jp/archives/1054603439.html
これを書いた方は矢野大地さん。かの高名なイケダハヤトさんのアシスタント第一号だそうです。矢野さんご本人も、自分の出身地ではない高知県への移住組とのことで、ブログには移住に関連した記事が多く見受けられます。
僕がこの記事を書く動機
さて、冒頭の記事。「移住しやすい田舎と移住しにくい田舎」というタイトルに惹かれて読んでみた僕の最初の感想は「読みにくいし、記事の結論に空き家関係ないじゃん」でした。別にそれだけであれば、残念参考にはならなかったな、とブラウザを閉じれば済む話だったんです。
正直なところ、記事中の日本語にはかなり問題点が多く、読んだだけでは「書き手が空き家問題をきちんと理解できていない」のか「理解できているけれど文章表現が下手で伝えきれていない」のか、わからなかったんです。別記事でも「僕は文章が下手、ブログで伝えられない面白さが僕の売りです。直接会いに来てください」と開き直ったことを書いているし、判断がつきませんでした。
しかし、それはそれとして、僕は記事の内容に怒りを覚えました。
一行一行引用して、上記おかしいところを指摘するのは簡単なのですが、僕がこの記事を読んでなぜ怒りを覚えたのか、自分のためにきちんと言語化しておく必要があるな、と思ったので続けて以下の文章を書きます。
当該記事「移住しやすい田舎と移住しにくい田舎-自由になったサル」を読んで僕が不快に思った理由
当該記事の概要と僕が引っかかった箇所
当該記事の論の流れは、だいたい以下のようになっています*1。
- 空き家契約数ダントツ一位の長野県佐久市を訪ねた。
- 関係者に話を聞くと、空き家問題に関して行政と民間が分野を切り分けているのがその理由のようだ。
- 長野県には、東京から気軽に行けて利便性のいい都会田舎がある。
- それに比べ、矢野さんの済む高知県は(高知市内は別にせよ)ド田舎。同じ田舎でも全然違う。
- 移住のしやすさ、しにくさから考えると、高知県は移住へのハードルが高い。
- 多くの移住者が来ることを見込めない高知は移住者の”質”を上げるべきだ。
- 長野と高知を比較しても意味がない、地域の文化や歴史、環境を大事にしながら新しい風を呼び込み、盛り上げていきたい。
僕がひっかかったのは、この「移住者の"質"」に関する部分でした。引用します。
高知は新たな開拓民の土地になるべきだと思う
でも、ハードル高くていいとも思えた。
— 矢野大地@絶対に死なないシェアハウスCF (@123Vaal) 2016年3月19日
本気でやってくれる人だけ受け入れる。そうして、本気で革命を起こしていける県になれると思う。
長野では正直起こりにくいと思った。
高知は起こせる。
では、多くの移住者が来ることを見込めない高知がすべきこと。
それは、移住者の”質”を上げることだと思っています。
”質”と一言で言ってもざっくりしたものですが、簡単に言えば「ただ楽しく田舎暮らししたいというような人ではない、田舎にある価値を再発掘してそれを利用して何か始めようとするような人」を呼ぶことなのではないかと思ったんです。
(移住しやすい田舎と移住しにくい田舎 | 自由になったサルより引用)(魚拓)
こっちから願い下げです
まず真っ先に思い浮かんだのは、「楽しく田舎で暮らすために地方移住して何が悪いんだよ」という言葉です。
これ、他ならぬ僕のことなんです。僕は一年前に「自分が好きな土地で、家族と生活したかった」ことを理由にやまがた県に移住しました。田舎暮らしが目的だったわけでも、「この町でなにかでっかいことやってやろう」のような意識高い系の志があったわけでもなく、この土地で暮らしたい、という気持ちありきの移住でした*2。
そんな僕ですから、左様ですかそんな価値観はこっちから願い下げだよ、と言うほかはないのです。
だって、どう読んだって「地方の価値を再発掘して、地域を盛り上げる意識の高さがないと、質の低い移住者です」みたいな意味ですよ、この文章じゃ。
無論、質は高い低いの二元論のみで語られるものではないので、逆を取って批判するのが極端なのは承知の上です。ただ、「ただ楽しく田舎暮らししたいというような人ではない」なんて言われてしまうと、さすがにカチンと来ます。
誰のための、何のための"質"なのか?
矢野さんが書いているように、志の高いひとが「その土地にある価値を発掘して活用出来るプレイヤー」になっていく事例、実際にありますよね。そして、そういう方を増やすことこそが"地域を盛り上げる"に繋がっていく――矢野さんの言う"質"の高さって、こういうことではないでしょうか。
ところで、僕は気になります。その"質"って、誰が評価して、誰が担保するんですか?
行政の移住担当者? 地域住民? 先輩移住者コミュニティ? 移住者の"質"を上げることで、誰のためになるんですか? それは元からいるひとたちが望んだことなんですか?
そもそも論として、移住という行為は自分で住むところを決めて新たに生活をつくっていくことです。その決断を下して一番大きな変化があるのは自分、そして家族です。移住なんて、自分(たち)のためというのが大前提で、「地域をよくしたい」なんていうのはその動機のひとつでしかないんじゃないのか、と僕は思います。
そりゃあ動機の重みは人によって違うので、「誰かの役に立ちたい」「人の少ないところで珍しいことをやって有名になりたい」「お世話になった○○地域の方のために一生を捧げたい」などの理由が第一に来たっていいんです。
けれど、移住者を呼ぶ側――例えば行政や、矢野さんのような先輩移住者――の視点として、「移住者の"質"を上げるべき」なんていうのは、あまりにも迂闊で傲慢だと思うんですよ。
例えば行政が移住者に支援しようとしたら、移住しやすい/生活しやすい町づくりのための手法を検討する……冒頭にあった空き家の整備や空き家バンク事業、また医療や育児に関する各種の支援ができるでしょう。
また先輩移住者が他にも移住者を呼ぼうと思ったら、積極的な情報発信や、コミュニティを形成して受け入れやすい雰囲気づくりをするとか、また違ったアプローチが期待できるでしょう。
いずれにせよこういった取り組みは、地域をどうしたいか、どうやったら来てもらえるか、地域住民はそれによりどう影響を受けるのか……という様々な状況の中で、合意形成の末に実行されるものだと僕は認識していました。
それを言うに事欠いて「本気でやってくれる人だけ受け入れる」「"質"を上げる」って。矢野さんのその発言や態度は、誰かに「高知県に移住したいな」と思わせるものですか? 呼ぶ側が、もっと言えば移住者に来てもらう側が移住者を選別するようなスタンスの土地で、誰が新しい生活を営もうと思うでしょうか?
高知県の移住のハードルは確かに高いかもしれません。矢野さんの発言は、そのハードルを自ら上げているのではありませんか?
一言で言うとですね
一言で言えば「何様のつもりだ」ということですね。
さいごに
この記事が矢野さんに読んでいただけるかはわかりません。徹頭徹尾自分の思考整理のために書いたつもりなので、どう受け取られるかもあまり考えませんでした。webに公開されているものを読んで、僕はこう思った、という記録として残しておこうと思います。
矢野さんの批判に対するスタンスがこの記事(ブログをしてたらdisられるのは一つの指標? | 自由になったサル)の通りだとして、こういった内容を書く方と建設的なお話ができるとも思えないので、本記事は「僕が不快に思った」ということを主張するだけにさせていただきます。
ちょうどタイミングよく、こういう記事を読んだのでリンクしておきます。
「今まで放置してきたネットの「邪悪」(悪性ナルシシズムのせいで成長を拒否する人たち)の扱いをどうしていくべきかはそろそろ考えるべき時期なのではないか」(小見出しより)ということを僕なりに考えた結果、不快だと思ったことをちゃんと書くことにしました。これが「ちゃんとした批判」になっているかは、自信がないのですけれど。
矢野さんから(4/7追記)
ご紹介ありがとうございます!
— 矢野大地@絶対に死なないシェアハウスCF (@123Vaal) 2016年4月4日
まあ、受け取り方は様々でいいんじゃないでしょうか?
実際、僕はど田舎の地域側としてはただ人が移住してくるだけの楽しい場作りではダメだと思っていますよ。
そういう移住者の方を否定してるわけでもないですよ笑 https://t.co/xzgRpaUrxo
移住者の受け入れに関して地域側のすべきことはいろいろあるとは思うけど、その一つに地域を盛り上げたいという想いのある人を積極的に呼ぶことが必要だと思っている。
— 矢野大地@絶対に死なないシェアハウスCF (@123Vaal) 2016年4月4日
移住してくる人が田舎にくる理由は、「ただ楽しく暮らしたい」だけではない地域を目指すべきだと。
— 矢野大地@絶対に死なないシェアハウスCF (@123Vaal) 2016年4月4日
そういう地域を作るのはもちろん地域側のすべきこと。移住者の人はそれを選ぶ側なんだからね!
- ど田舎の地域側としてはただ人が移住してくるだけの楽しい場作りではダメ
- 地域を盛り上げたいという想いのある人を積極的に呼ぶことが必要
- 移住してくる人が田舎にくる理由は、「ただ楽しく暮らしたい」だけではない地域を目指すべきだ
- 移住者の人はそれ(地域)を選ぶ側
この記事を読んでいただけたのかそうでないのか、よくわからないお返事でした。上記で指摘した「移住者を受け入れる地域の側がハードルを上げる、選別する姿勢」については一応否定されていますが、ツイートを読む限り"質"に関する部分の考え方は特に変わらないようです。
「受け取り方は様々」……人それぞれ、と同じくこれもひとつの真理なので、僕の記事を矢野さんがどうどう受け取ったのか、僕には想像もつきません。
なお、僕の予想を超えて本記事を読んでいただけたようで、いくつか言及いただきました。ブログ記事を2件追記します。
◆高知県にお住まいの方から。「ハードルを上げる」ことに関して。
イケダハヤトさんをはじめ多くのお弟子さんが来て色々ブログを書いたりして、高知を開拓してくれるってのはめちゃめちゃありがたいことなんです
イケハヤさんに会いに来ましたとか、感化されて高知に住みましたとか
やっぱり嬉しいよ在住しているものとしてでもアサイさんみたく、「楽しく田舎で暮らすために地方移住」も同じぐらいありがたいことなんだ
圧倒的に足りないのはその土地にある価値を発掘して活用出来るプレイヤーじゃないんです
暮らしてくれる、遊びに来てくれる人なんですよーー!
プレイヤーばっかり来てもしょうがないじゃないですか矢野さんみたく、その土地にある価値を発掘して活用するの実際の内容がよくわからないけれども、それは少なくても高知で楽しく暮らしたいって方に関してハードルをあげることではないはず
◆批判に対する態度について。
無駄かもしれなくても、やはり批判すべき行為があれば、その都度指摘していく人は必要なんじゃないかと私は思います。まあ、ネット上の人間なんて他人だから無視すればいいのかもしれないですけどね。「わざわざ相手するなんて暇人だね」だの「僕の事好きなんだね」とか「粘着するな」と嫌がらせをしてくる人までいて、何一つ得しませんし、ほんと馬鹿馬鹿しくなりますけどね……。
(2016.04.06 12:30 誤字やてにをはを中心に、文章表現を一部修正・追記しました。)
(2016.04.07 20:00 矢野さんの反応ツイート、この件の言及などを追記しました。)