紺色のひと

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アウトプットに関する日記

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いい加減、自分のことを「移住者」というくくりで見るのは止めたいと思っているのだけれど、暮らしの中でこの町の生まれでないことを強く意識することが多い分、まあ仕方ないかと半ばあきらめている。別にそれは悪い感覚ではなくて、この土地の方言を飲み会のたびにメモする行為が面白がられたり、僕自身も面白がって余所生まれを前面に押し出したりもしている。それはそうと、どうしても生活の大きな転換点であった移住前後でなにかを考えてしまうことがあって、例えばブログなんかでの文章のアウトプットの頻度が明らかに減っているのは生活に精神的な余裕がなくなった移住以降の減少とみていいのだろうけれど、それを言い訳のように理由にしたくない気持ちも確かにある。とはいえこういうのは波なので、無理に言葉をひねり出すこともせず、追われながら毎日を過ごしている。そのうち書きたくなれば書くのだろう。

アウトプットといえば、学生の頃に結成していたユニットのようなものを再結成した。音楽やろうぜ! バンドやろうぜ! という熱意は既に僕にも相方(連れだのなんだのという言い方もあるが、便宜的にこう表現する)にもなく、ある種の必然として練習したり、歌ったり、楽器を弾いたりしている。妻があいほんで撮ってくれた動画を見ると、気持ちよく弾いていたつもりがひどい音になっていて、二度と人前で弾くものかと思ったりもするのだけれど、それでも楽しいことは楽しいこととして続けていきたい。

大変なことも多いけれど、大きな楽しみをいくつも抱えながら暮らしてゆけているように思う。その楽しみ方が、妻や家族の幸せな生活とイコールであって欲しいと思うのだけれど、そのあたりは微調整を怠らないようにしたい。