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紺色のひと

思考整理とか表現とか環境について、自分のために考える。サイドバー「このブログについて」をご参照ください

「クマがかわいそうだから殺さないで」と感じる皆さんへ

ニセ科学 環境


クマ出没増加のニュースが広まっています。各地で捕殺されたツキノワグマは2010年のみで2,000頭を上回り、「かわいそう」「殺さないで」「残酷だ」などの声もあちらこちらで耳にします。実際、クマを殺処分した自治体や猟友会に「なぜ殺した」「麻酔銃を使えばよかったのでは」などと抗議が相次いでいるとのことです。
人間の生活空間に現れたクマは、人間に直接危害を加えない限り、殺さずに放獣するのが理想であるとは思いますが、そうもいかないのが現実のようです。なぜでしょう?
その理由のひとつに、人間にとって、クマは恐ろしい生物であることが挙げられます。
本エントリでは、僕がクマと遭遇したときに感じたこと、そして生活の中でツキノワグマの恐怖に晒されている方の手記を紹介します。エントリの趣旨は、

  • かわいいクマは、人間にとって恐ろしい生き物でもあるということ。
  • 日常的に、クマの被害に怯えて生活している方が現実にいるということ。
  • 自分の命や生活がクマによって脅かされているとき、「かわいそうだから殺さないで」と言えますか?、ということ。

の3点です。読み物としてもどうぞ。


11.10.10追記
札幌市にヒグマ出没というニュースを受けて、出没状況等をまとめたエントリを新たに作成しました。
札幌のヒグマ出没についてちょっとしたまとめ
ご興味がおありの方は併せてお読みください。

ある日森の中クマさんに出会ったらすごく怖かった話

僕が森を歩いていたら、ヒグマに出会いました。初めての経験でした。知識としては知っていたはずの”クマの恐ろしさ”について、身をもって体験したときのことを書きます。

昨年の5月のことです。僕は友人ふたりと3人で、森の中を歩いていました。河畔林(かはんりん)、つまり川の周りに育つ森の中を歩いていました。
春にだけ花を咲かせる種類の植物の写真を撮ろうと出かけたのです。森の中は明るく、目当てのクリンソウはあちこちで咲いていました。僕たちは夢中でシャッターを切りました。

ところで北海道の5月というのは、ヒグマが冬眠から目覚め、繁殖期を迎える前に単独行動している時期にあたります。
人家からも林道からも離れたところまで来ていた僕たちは、ヒグマに警戒しながら歩いていました。
ヒグマの対策としては、遭遇防止がもっとも一般的です。鈴を鳴らす、声を挙げるなどしてクマにこちらの存在を知らせ、いきなり出会って驚かせることを防ごうというものです。用心のため、クマ撃退用のトウガラシスプレーも持っていました。
風もなく、穏やかで気持ちのいい日でした。ひとしきり写真を撮った僕たちは、来た道を引き返し、車へと戻ることにしました。
しばらく歩いて、もう少しで林道が見えてきそうだ、と思ったときのことです。50メートルほど先のササ藪の中に、黒く動く影を僕は見たのです。
「ちょっと止まってください」
ふたりが気づいていないようだったので、僕は小さく声をかけました。揃って立ち止まり、影のほうを確認すると、腰くらいの高さのササの上に、黒くはみ出して動くものが確かに見えます。僕は双眼鏡を取り出して影を追いました。
黒い影は、間違いなくヒグマでした。あんなに黒く大きい生き物は、僕の知る限り、北海道では他にいません。せわしなく動く肩と背中の筋肉が、黒い毛を揺らしているのがはっきりと分かりました。自分が唾を呑む音がやけに大きく聞こえました。
年長で一番経験があったひとの判断で、準備を整えてからこちらの存在を相手に気づかせることにしました。ひとりがクマスプレーの安全ピンを抜き、トリガーに指をかけました。僕は双眼鏡を構え、クマの動きをうかがう用意をしました。そして車までの距離を確認したうえで、大声を出したのです。
年長の彼はオイッ、ともホイッ、とも聞き取れる大声を挙げました。さらにもう一度。
レンズの向こうで、揺れるササ藪がぴたりと止まり、そして、ヒグマが立ち上がってこちらを見ました。息を呑む間もなく、さらに、隣からもう一頭が頭を上げてこちらを見たのです。

個人的な話になりますが、僕は体も小さくありませんし、体力もない訳ではないし、ちょっとだけ武道の心得もあるし、子供の頃から山の中で遊んでいたこともあって、クマを恐ろしいと感じたことがありませんでした。
「斜面で出会ったら下に位置したほうが有利」とか、「ナタを持って戦ったほうが生存率が高い」などというクマと出会った体験談を読んで対策をした気になり、まぁ、なにかあっても僕はなんとか生き残れるだろう、と考えていました。
もちろん「クマに出会ったときに取るべき」とされる対策の知識もありました。


でも、2頭のヒグマがこちらを見たとき、ただ恐ろしいとしか感じることができませんでした。
あの肩の筋肉の盛り上がり、自分の腰くらいの高さのササから伸びる自分より高さも幅も大きい体。それが2頭で、こちらを向いているのです。あの腕でビンタされようものなら、いくら修業していようと、ガードした腕ごともっていかれて…つまり、腕や頭が吹っ飛ばされてしまうだろうな、と思いました。
何より、彼らは生き物なのです。あの大きい体を自らの意思で律しているのだ、と思ったとき、生物として人間よりも圧倒的に強いのだとようやく気づくことができたのです。


結局、3秒ほどにらみ合った後、クマは僕たちの車が置いてある林道とは反対方向、僕たちからも離れる方向に走って消えてゆきました。
その移動速度に僕は改めて驚きました。こちらがササを掻き分け進む場所を、ああも速く動けるのか、と。彼らが敵意を持ってこちらに向かってきたら、と考えると、必死で抵抗したとしても逃げ切れる自信はもうありませんでした。
僕たちはササ藪の揺れが見えなくなるのを確認し、言葉を交わさず、ホイッという声をしきりに出しながら、足早に車へと戻りました。
荷物を降ろしたとき、僕の足は震えていました。

山暮らしとツキノワグマ

続いて、日々生活の近くにツキノワグマの存在を感じることの多い、山暮らしの主婦の方の日記を紹介させていただきます。

私の家は山の中です。さして深いとも思いませんが、家の窓を開けたらカモシカ位ざらにいます。
…此処7〜8年で、そうなりました。
「熊にひっかかれました。」…と、報道されるたび、「ああ、その人が回復して、鏡を初めてみたときは・・。」と、必ず胸が張り裂けそうな気持になります。
熊の肩と腕は、骨が引っかかっていません。筋などでつながっていて、その重い腕を振って遠心力でなぎ倒すんです。その力で真横からハタかれると、柔らかな人の顔というものは、目玉と口と鼻の穴を残して、きれいにはぎとられてしまうんです。
熊の解体を見るたび、簡単に外れる腕にぞっとするのです。
命があるだけいいじゃないか!と言えますか?その立場に自分が立っても、そう言えますか?
太くて長い腕を広げて立つクマが、うちの周りにいるんです。柔らかで小さい子どもたちが歩くすぐそばに。
射殺すると言っても、必ずうまくいくわけじゃない。手負いのクマに襲われるのが何より恐ろしい。


そして、麻酔銃が当たったら、すぐに眠ると思いますか?
罠でつかまっても、檻の間から地面を掘り、血みどろになって何とか出ようとするクマを見ると、どんなに恐ろしいか。


趣味の金持ちハンターが意地の悪い笑みを浮かべてしとめる・・・そんなイメージで測ってもらっては困ります。
もがくクマに手を合わせ、引き金を引く。それだって、楽に死なせてやれるとは限らない。ゴルゴ13じゃあるまいし。


熊もヒトも恐ろしいのです。生き残るために必死なんです。
エサがないから 恐ろしいのをこらえて山を下りてくるのです。
よしんばうまく返せたとしても、また同じところに降りてくるのです。


自然に優しい人たちが、クマにえさを!と、集めたドングリやら果樹やらを置いて来たりもするんです。
彼らは私たちを殺す気なのかと思いました。


人が作ったものを与えたら、さらに味を占めるのに。
彼らは車で山に入るから、道があるところしか通れない。
道に近いところにえさをばらまいて、満足して帰っていくのです。
そんなもの、道路わきに捨てたコンビニ弁当のごみと同じです。
ケモノを呼び寄せているだけなのです。
山へ帰すために、寄生虫がいっぱいいる熊の体を みんなで何とか持ち上げる。そんな現実を想像さえできないでしょう。


人は恐ろしい。だから、山のここまでしか下りてはいけない。
…かつての獣たちがそうであったように、私たちは境界線を作り直さなければ、山はもっともっと荒廃してしまう…。
田んぼに まこもの刈り採りに行く時、必ず水神様に手を合わせて、「クマが近くに居たら、帰るように伝えてください。」と拝んでいます。それでも、葉のざわめきに、跳ねる水の音に、息がとまる…。
早朝に 主人が刈り入れに行く時は、泣きたいほどに恐ろしい気持ちになる。
それでも、大切な作物を無駄にはできない。
それでも、私たちは山も田んぼも捨てられない。


熊を殺したくなどない。
こんな寒いはずの地方にまで猪が溢れていることも受け止めざるを得ない。踏まれ、かじられした稲穂をじっと見ている。
ただでさえ借金が増えている農業も、獣の餌を作ってるようなありさまで、それでも、都会住まいの政治家には見ざる言わざる聞かざるOKで済んでしまうようだから。


ヒトのおごりの最たるものは、『だったら、対策を考えればいいじゃないか。』という気もちだと思う。
頭と金を使えばなんとでもなると思っている。何もしない・現場を見ない人ほどそんなもんだと思う。
何とかしようと四苦八苦している人は、この胸の思いをぶちまけるところさえない。
壊すのは一瞬だけど、直すのは大変な時間と労力が必要とはよくいうけれど、『直せると思ってるの?直し方もわからないのに!!』と、私は思っている。


なお、本文章はご本人の許可を得て転載しました。ありがとうございました。



「かわいい」「かわいそう」だけでなく、想像力をはたらかせるということ

長々と文章を連ねてきましたが、考えていただきたいことは、クマに被害を受けている方のことを考えたとき、安易に「かわいそうだから殺さないで」と言えるか、という一点です。
冒頭で紹介した、斜里町に出没した親子グマの射殺については、実際に多くの苦情が寄せられているようです。

北海道斜里町の小学校近くの林にヒグマがいるとの目撃情報が2010年10月18日午前11時半頃にあった。その後、市街地に現れ地元猟友会が2頭を射殺した。けが人はなかったが、クマはもう一頭いたとの情報があり、小学校は児童を集団下校させた。
射殺されたのは親子だった。このニュースが流れると、斜里町役場には電話とメール合計100件近くの苦情が来た。内容は「どうして殺傷したんだ。他の方法はなかったのか」というものが多かった。
「クマを殺さないで!」批判殺到 猟友会「現実分かっているか」と反発−J-castニュース


また、クマの保護活動を行っている団体の中にも、クマかわいさの余りか、読み手の感情を煽るような表現を用いるところもあります。

最初、子グマはショックのあまりか放心状態でした。
「山の実りなしという異常年なので、人里に出てきたのを許してやってほしい」
命を助けてやってほしいとお願いしましたが、うまくいきません。
安易に、大量の罠をかけ過ぎではないのか−日本熊森協会 くまもりNews同ウェブ魚拓


「クマは臆病でおとなしい動物だし、雑食だから、殺すのはかわいそうだ」という意見もあちこちで目にしました。
「臆病でおとなしい」というのは、言い換えれば「警戒心が強い」ことに該当し、人間に馴れていない野生動物はほぼ全て該当します。またヒグマもツキノワグマも雑食性であり、特にツキノワグマは植物食が主であるため、自らの食料として人間を襲うことは基本的にないと考えられます(ヒグマについては、人間を襲って食べた実際の事例があります)。
しかし、臆病でおとなしいからと言って、大きくて力の強い動物が、家の近所をうろついていたら、なにかの拍子に出くわして怪我をすることだって十分に考えられます(実際に、ツキノワグマによる人的被害も毎年発生しています)。また人間に対する被害というのは、人間を襲って危害を加えることだけではありません。農業を営まれている方にとって、畑の作物を荒らされたり、出荷前のニワトリ小屋が襲われたりした場合、何百万円という金額の損失が出ることも考えられます。


明記しておきますが、僕はクマに対する恐怖を煽りたいのではありません。クマを殺して解決すればいいと思っているのでもありません。クマの命がどうなってもいいと考えているのでもありません。殺さずに済む対処方法があれば、それに越したことはないと思っています。ただ、日常的にクマの被害を受け、生物としてのクマに怯えている方にとって、安心できるひとつの手段が殺処分であることは事実です。それでも問題の根本的な解決には至りません。


想像して、考えてみて欲しいのです。実際にクマの被害を受けている方にとって、「クマを排除して欲しい」という願いは不自然なものでしょうか? 自分の命や財産が失われる危機が迫っている方に対して「クマの命の大切さ」を説くのは、はたしてどのような印象を与えるでしょうか?
クマはとても愛らしく、命にあふれた力強く美しい生き物です。そのクマが捕獲されたり殺されたりすることには、何かしらの理由があります。「かわいいから」「かわいそうだから」と言う前に、クマの恐ろしさについてもよく知り、想像力を持って対策を考えてゆくことが必要ではないでしょうか。



【参考資料】

環境省−小中学生向け冊子「クマに注意!−思わぬ事故をさけよう−
 → 小中学生向けにわかりやすくまとめられた環境省の資料です。クマに出会ってしまったときの対策や、普段から気をつけるべき点をまとめています。


知床財団−お騒がせの斜里市街地ヒグマ出没
 → 冒頭に紹介した北海道斜里町のヒグマ出没について、専門家がクマ対策の現実的な手法について書いた記事です。麻酔銃を使えない理由や、殺さないようにする努力について。


三毛別羆事件
 → 北海道で実際に起こった、死亡7名、重症3名というヒグマによる被害の事例です。衝撃的な描写が多いです。





【追記】【熊森の活動に対する、これまでの僕の主張・まとめ】

このエントリ投下後も議論が続き、2011年2月現在、このエントリを含む5つの記事を書きました。上記の「日本熊森協会」が提示する「クマの餌としてドングリを森にまく活動」を、”野生動物への餌付け”という点から、クマと人間の双方にとって問題がある活動だと感じて批判しています。興味のある方はお読みいただけると嬉しいです。


野生のクマをなんとか助けたいと考える皆さんへ(10/10/24)
飢えたクマに餌を届けることが、本当にクマのためになるのだろうか?」というテーマで、自然保護観について考えました。

  • 野生動物は、厳しい自然の中で孤独に、しかし強く生きています。クマに餌を運んで“あげる”活動は、自立して生きている命を上から見下ろした、駆除や殺処分と同様の傲慢な行為だとは思いませんか?
  • 飢えたクマに餌を与えることで、餌を食べたクマはその冬を生き延びるかもしれません。冬眠の季節を終え、春になるとメスのクマは子供を産み、個体数は増えることでしょう。では、その翌年はどうでしょうか? このやり方を続ける限り、個体数は増え続け、クマは人間の与える餌に依存していることになります。果たしてそれは、自然な状態と言えるでしょうか?
  • 飢えたクマに餌を与えることで、クマは無事冬を越せるかもしれません。でも、お腹をすかせているのはきっとクマだけではないはずです。クマやドングリを餌とする動物だけに餌を与えて、森にすむ他の様々な動物たちを無視するのは、自然保護として不公平ではないでしょうか?
  • 「(ドングリ運びがたとえ)焼け石に水でも、1日1頭のクマを救うために」活動を続けているそうですが、人間が餌をくれることを覚えたクマが「もっと餌をくれ!」と人里に下りてきてしまったら、活動は逆効果になる可能性はないでしょうか?




絵本「どんぐりかいぎ」で学ぶ熊森ドングリ運びの問題点(10/11/27)
かがくのとも絵本「どんぐりかいぎ」を読み解き、種子の繁殖戦略からドングリ運びの問題点を指摘するとともに、代案の必要性について考えました。

「どんぐりかいぎ」では、ドングリが凶作の年には、何らかの理由で増えすぎた動物たち――リスやネズミ、それにクマ――を少し減らし、適正な個体数に戻す役割がある…とされていました。そこにドングリをまいてしまうとどうなるでしょう?
ドングリ運びは森全体にとって「余計なお世話」であると言えるのです。
自然保護や環境保全を考えるにあたっては、その場で死にそうになっている命を救うことよりも、その命が継続的に生きていけるための環境そのものを守ることを考える必要があります。「緊急」「お腹をすかせたクマ」「かわいそう」などの言葉に惑わされ、ひとつの命を救うことにこだわりすぎると、そのせいで失われるたくさんのものが見えなくなってしまうのです。




熊森関東支部の「春にもドングリをまく」案に反対します(10/12/13)
熊森関東支部の春にもドングリをまく・天皇陛下に手紙を書いてクマを天然記念物指定にしたいとの活動計画に対して、改めてドングリ運びの問題点を指摘しました。

仮に、秋に大量に集めたドングリを腐らせず、病原菌を発生させずに保存し、今秋のように山に運ぶことができたとしましょう。春先の山のあちこちに、10キロ20キロのドングリの山ができることになります。凶作だったはずの翌年に、芽も根も出さず大量に積まれたドングリ……。これが不自然でなくてなんでしょうか? 本来であれば山菜や若芽を食べる時期のはずですが、随分と食べ応えのありそうなドングリがそこかしこに山積みに。
この活動はクマにペットフードをあげて「お腹が一杯になったね、よかったね」と自己満足しているだけのものだと言いたいのです。それで、この後クマはどうなるのですか? あるはずのなかったドングリを探し求めるのですか? そうしたらまたドングリを運ぶのですか?
……いつまでそんなことを続けるつもりですか? クマはあなた方のペットではありません。自立して生きる野生動物なのですよ。



毎日新聞さん、熊森ドングリ運びはただの美談ですか?(10/11/27)
熊森協会の主張を鵜呑みにし、好意的で一面的な報道を行う毎日新聞ほかメディアの報道姿勢に疑問を投げかけたエントリです。

熊森協会のドングリ運びは、「全国から届けられたドングリを有志が山に運び、お腹をすかせたクマさんに届ける」という美談ですが、大きな矛盾や問題点をはらんでいます。「いい話だね、クマさんもお腹いっぱいでよかったね」なんて紹介で終わってしまうのは、「野生動物と人間はどう付き合うべきか?」という問題の本質から目を逸らした思考停止に他なりません。
ちょっと調べれば、分かり易い問題点の指摘がいくらでも見つかります。毎日新聞のみならず、提灯記事とも言える好意的な報道を続けるメディアに、僕は「それでいいのか?」と強く疑問を感じます。

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