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紺色のひと

思考整理とか表現とか環境について、自分のために考える。サイドバー「このブログについて」をご参照ください

トルコで僕はなにを考えようとしていたか(トルコ旅行記その1)

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妻がトルコへ行きたいと言った。彼女が何処其処へ行きたい、というのはごく日常的なことなので、いつ言われたのかは覚えていない。
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「子供を産んだり、今後人生に転機が訪れたら、きっと遠くへ行くのは難しくなると思うの。私、トルコに行きたい」
その話を聞いたとき、僕には反対する理由も、賛成する理由もなかった。「ああ」とだけ返事をした。あえて言うのであれば、賛成する理由は妻が喜ぶこと、だ。とにかく、僕は積極的ではなかった。なぜかと言えば、語学力に甚だ自信のない僕にとって海外に行くというのはひとつの恐怖であったし、国内に行きたいところがあまりに多すぎて海外の旅先のことなどほとんど考えたことがなかったのだ。
なんでトルコなの? 僕が聞くと、妻は「だって三大美食のひとつだし」と言った。言い切った。正直なところ、その程度の理由で海外に行きたいという欲求が成立し得るのかは非常に疑問だったが、旅のみならず日常生活においても、おいしいものを食べたいという妻の欲求は非常に大きいものであることを思い出し、僕は納得した。一年前、山形に連れて行ったときも妻は「クラゲラーメンと酒」という理由で快諾したのだから。
ともかく、僕の、僕たちの初の海外旅行先はこうして決定した。目的地はトルコ、(妻の)動機は食べ物。飛行機や宿の手配は妻が中心となって行い、トルコと言えば椎名誠のエッセイ(「イスタンブールでなまず釣り。」)とイエニ・チェリのイメージくらいしかなかった僕は村上春樹のエッセイ(「雨天炎天」)や関連書籍を読むことに時間を費やした。

そして全ての準備を終えた僕たちは、自分たちのはてなダイアリを更新した後、哀の巣のドアに鍵をかけ、6泊8日の旅に出発した。多分、これも新婚旅行と言うのだろう。後々、新婚旅行として思い出すのだろう、と考えながら。

4月3日 土曜日(1日目)

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僕たちが持った荷物は、30リットルくらいのリュックサックと、15〜20リットルくらいの肩掛け鞄がお互いひとつずつ。着替えはシャツとジャケットとパンツが一枚、Tシャツが2枚、下着が3組。妻はパンツがワンピースになった程度で似たようなもの。上着は父のお下がりのマウンテンパーカ、靴はさんざん迷った挙句、走って蹴れるデザートブーツを選んだ。
記録装置として、僕がデジタル一眼レフ(canon EOS50D+SIGMA 18-50mm f2.8)と野帖(コクヨのレベルブック)を持ったのに対し、妻はデジタル一眼レフ(PENTAX K100D+標準ズーム)とフィルム一眼レフ(CONTAX RTS3+planer 50mm f1.4)の大型カメラ2台。バッグの総容量は僕のほうが多いのに、行動用装備の重量は妻のほうが重い。肩と首から凶器を出したりしまったりしながらシャッターを切りまくっている妻を見て、早くも不安になる。首、こらないといいけど…。


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新千歳空港へ向かう。汽車の窓からは痩せたシラカバ林と融け始めた雪野原が見える。僕にとって土地の違いのひとつが植生の違いだ。北海道特有とも言えるこの風景ともしばしのお別れ。ただ、僕はこのシラカバ林が好きではないので、別に淋しくもならない。緑色の手帖を取り出し、行動の記録を可能な限りその場でつけることにし、始める。思えば10年前、高校の修学旅行でも同じことをしていた。当時と同じように、萩原朔太郎の詩を口の中で諳んじる。「ふらんすへ行きたしと思へども、ふらんすはあまりに遠し」。


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新千歳空港発、関西国際空港行き。午後遅くの出発。日が沈む。


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関空でうどんを食べる。讃岐うどんのチェーン店が出ていることで、四国に近い場所に来ていることを実感する。向かいに蓬莱も出店しており、肉まんを食べたくなるが、相談して無事に帰ってきたときに食べることにする。


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パスポート審査。ゲート前で、妻が笑いを堪えながら「ちょっと、私すごいもの持って来ちゃった…大丈夫かな」と言うので鞄を覗くと、なんとアンパンが入っている。覚せい剤の隠語であるところのアンパンではなく、文字通りのアンパンである。こんな体を張ったギャグをやらなくてもいいのに、と思ったが、聞くと賞味期限が切れそうだったので家から持って来た、とのこと。ひやひや(hをnに代えても可)しながらも無事通過。
関空から、エミレーツ航空の便でドバイを経由してイスタンブールのアタテュルク空港へ向かうことになる。ドバイ行きを待つ客の中にアメリカンなハイスクールストゥーデンツが群れている。背中に「JAPAN2010」とプリントされたパーカーを着て笑い合っている。これからどこに帰るのか知らないけれど、彼らの日本での滞在が幸せなものであればよかった、と思う。


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初めての国際線機内に興奮しながら乗り込む。アラブ首長国連邦の会社であるところのエミレーツ航空の添乗員さんは、皆帽子から布が垂れ下がっていた。夜中だというのに早速機内食が出て、妻は早速ビールを飲んでいる。アムステル、薄いとのこと。


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眼前のモニタでは映画やら音楽やらが妙に充実しており、退屈はしなさそう。「アバター」でも見てみるかな、とパンフレットをめくっていたら、日本の音楽の欄に気になる表記を。「井上揚水」。「揚水」て。水揚げかい。どこの港町だ。
ともかく、ドバイまで11時間、眠ったり原住民と交流する車椅子の男を観たり起きたりしながら過ごす。



4月4日 日曜日(2日目)

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気づけばドバイまであと少し。着陸時間のアナウンスを聞き、時計を5時間戻す。窓の外を覗けば、埃っぽい海と、色々な高さの建物が見える。画面を操作し、井上揚水の名曲「手引きのようなもの」を聞きながら着陸。




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さあ、ドゥーバイだ。妻がはしゃぎながら「ドバイは空港の時計が全部ロレックスなんだよ!」と写真を撮っている。可愛い。


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ドバイおよびUAEにはトルコ以上に馴染みがないが、空港はなんか近未来的。周りに黄色人種の割合が極端に少なくなったことで、日本近海の外に来たことを実感する。ほら、道民には内地も海外じゃから。


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入国手続き。僕の真っ白なパスポートにおける最初の海外のスタンプはトルコではなくUAEとなった。換金所にてこの国の通貨、Dhl(ディルハム)に少々換金。レートは1円=0.335Dhl。乗り換えまでの時間で街に出てみることにし、メトロ乗り場へ。英語が通じるようなので切符を買い、ショッピングモールっぽい駅へ。


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窓の外に見える景色は、ビル、ビル、建設中のビル、ビル、廃墟のビル、ビル。都市計画的な意味で、どういう意図で町づくりをしているのか大変興味深い。


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ドバイモール駅にて降りる。地面の砂でここが異国であることをまた思い知る。人の流れる方向へ進むが、駅の近くからはバスや車でないとモールへ行けない模様。時計を見るとまだ朝の7時、さっきの人たちは職員さんか。


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買い物は諦め、駅の近くを歩いてみることにして、反対側の出口へ。


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おや、こんなところにボウリング場が。


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廃墟だった。飛ぶ鳥に違和感を覚えたので注視すると、ハトの仲間ではあるが頭が黒い。


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空港に戻り、腹拵えを。エミレーツ利用者は無料でバイキングが食べられるらしいよ! と妻が張り切っているので探すが見つからず。やっと発見した挙句、係員に「時間オーバーだから」と断わられる。表記を見てもオーバーはしていなかったが、抗議するにはお腹が空き過ぎていた。バーガーキングに入る。大味。
続いて出国手続き。妻が鞄につけたヨンダパンダのストラップを突っ込まれる。危険物だとでも思われたのだろうか。
イスタンブール行きへ乗り、3時間半。また機内食。「2012」を観るが、パニック映画としてもつまらない。「地震列島」のほうがよほどよい出来。時計をさらに1時間戻す。



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遂にトルコ国内へ。改めて、旅の意識をスタートさせる。ドバイほどではないが、空気は乾いている。


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入国手続きで「お前の妻? 本当か?」みたいにイジられる。預けていた荷物は無事に着いた。TL(トルコリラ・1TL=約60円)に換金し、暗い地下道を抜けてメトロ乗り場へ。



トルコ国内で僕たちに与えられた時間は5泊6日間。イスタンブールから飛行機でカッパドキアへ向かい、その後サフランボルへバスで移動し、滞在の後バスでイスタンブールへ戻る三角形移動の計画を立てた。西の地中海沿いも見てみたかったし、ひとつひとつの町にはもっと長い時間滞在したかったけれど、哀しいかな僕も妻も会社勤め人。使える時間を使って僕たちの望む旅をするにはこれしかない、と相談の末決めた。


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メトロに乗って、多種の交通機関が集まるゼイティンブルヌへ。駅の壁にタイルが使われている。窓から見える木々がひとつひとつ、日本と違うことに驚く。イスタンブールの緯度は岩手県と同じくらいのはずだが、この街は常緑広葉樹と常緑針葉樹がメインらしい。


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ゼイティンブルヌでトラム(路面電車)に乗り換え、


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ブルーモスクやアヤソフィアなど大きな観光スポットが集まるスルタンアフメット駅の隣、ギュルハネ駅へ。街を歩くひとたちの多くは観光客だろうが、それに混じってここで生活している少なくないトルコのひとびとよ…とかなんとか考えていたら、妻は宿に向かって歩き出していた。


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街並みの中に当たり前のように寺院がある。イスラム寺院のことをCami(ジャーミィ)と呼び、敬虔な信者は一日5度お祈りにゆくとか。歩いているといきなりお祈りの音楽が流れ出し、びくっとする。


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今日の宿、Merih 2(メリフ・イキ)へ。姉弟でやっている宿で、お姉さまが日本語堪能でmixiから予約ができるとか。すごい時代だ。英語・トルコ語共に問題ありな僕たちは、一泊目をここにすることで、今後の宿決めにご助力願おうと考えていたのだった。お姉さまは不在だったので、とりあえず荷物を置いてひと休みし、弟さんに電話を繋いでもらって明日朝に話をすることを約束し、日が沈んだ夜の街に散歩に出かけた。


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夜でもトラムは走っている。表通りは思いのほか明るく、土産物屋さんは煌々と路地を照らしている。
道を歩いていると、「Hello」の他に「コンニチハ」「オネーサン アリガート」などと声をかけられる。観光業のひとは、日本語での挨拶を既に習得済みのようだ。このあたりでよく見かけるお土産はタイル(1.5〜3TL程度)や絨毯など。初日から荷物を増やすようなことはせず、旅後半のサフランボルとイスタンブール再訪で土産を選ぶことにしている。


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チャドルと言ったか、教科書で昔読んだような格好をしている方も多く見かける。彼女らにとっての日常が、僕にとっての非日常であることを改めて感じる。これも異文化に触れるということなのだろうけれど、同一に近い文化の中で自分のことばかり考えてきた僕には、文字通り一歩毎に発見がある。面白い感覚だ。


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ペロ! この葉は…セイヨウトチノキ? マロニエちゃんですか? 時には昔の話をしちゃうんですか? ひげ面の男は僕ですか? でも枝張りがなんか違う気がするし…。


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それにしても人通りが尽きないなあ。


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PUDDING SHOP……プリン屋……だと?


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お腹も空いてきたし、面白そうな路地があったので入ってみることにする。


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ふたりでカメラを構えながら歩いているので、さすがに「絵に描いたような日本人観光客」と思われているのか、客引きにたくさん声をかけられる。食堂のおっさんは「俺をことを撮れぇえええ!」みたいなアクションをしてこちらを見た。


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あ、トルコ風呂だ。


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ところで僕には弟がいる。上の弟は僕がトルコ入りする2週間前、大学の卒業旅行で偶然トルコに訪れていたという。土産話を聞いたとき、彼が「変なおっさんがいる」と言っていたのは、ここ、レストラン・カラデニズだったような。入ることにする。


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トルコのお茶の習慣としてチャイがある。インドのチャイとは別で、味は紅茶に近いが、二重になったやかんで濃い茶を淹れ、同時に沸かしたお湯で薄めて濃度を調節するという。トルコにおけるチャイはもはや人々の日常…というようなことを高橋由佳利(「トルコで私も考えた (1) (ヤングユーコミックスワイド版)」のひと)も書いていた。ちなみに椎名誠は一切触れていなかった。ということで初チャイ。
参考:JP-TR/チャイ〜トルコの紅茶


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僕はチキンの料理を、妻はシンプルなケバブを頼んだ。トマトの味が濃く、スパイスが効いてとてもうまい。シシトウのお化けみたいなのがついてきたが、辛いのを我慢して食べた。向かって左に見えているのはちょっと辛目のソース(多分パンにつけて食べるものだ)、妻が飲んでいるのはトルコのヨーグルト飲料・アイラン。それにしても三大美食の噂に違わぬ旨さだ。


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食後にもう一杯チャイを飲み、すっかり満腹になって店の外へ。見送りしてくれた店員の写真を撮り、表通りへ抜ける途中にネコに絡まれた。この街にはなのか、それともトルコにはなのか、ネコがとても多い。あれか、地域ネコなのか。人懐っこいのと警戒するのの差が激しいあたり、きちんとした野良もいるようだ。


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満腹時に見るのはちょっとつらいケーキ屋さん。トルコには甘いものが多いと聞いており、甘党の僕たちは甘いもの屋さんを覗き込んではあれ食べたいこれも食べたいとやっていた。


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宿に戻る途中、4人組の若者がちらちらとこっちを見ている。「コンニチハ」と声をかけてくるので無視していたら、すれ違う際に彼は自分の持っていたペットボトルをボコン! と音を立てて落とし、「オトシマシタヨ」と言ってくる。客引きなのだろうけれど、一体なにを引こうと言うのか。気か。


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近くのように遠くのように、闇の中に照らし出されるのは、スルタンアフメット・ジャーミィ、別名ブルーモスク。何羽ものカモメが辺りを旋回し、どこか不気味だ。そしてこの国のカモメは大きい。明らかに大きい。トビくらいの大きさがあるようだ。


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それにしても、さっさと帰って寝ろよ、とでも言いたげな顔だな、君は。


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水を買って宿に戻り、下着とシャツ、妻のワンピースを洗って、部屋に張ったロープに干す。妻は着替えもそこそこに眠ってしまった。考えるべきことはたくさんあったが、ベッドに腰掛けるとずしんと疲れが圧し掛かって来た。堀田善衞はインドで考え、妹尾河童はインドを覗き、椎名誠もインドで考え、そして高橋由佳利はトルコで考えた。椎名誠はついでにトルコでなまず釣りに挑戦した。僕はこの国でなにを考えて帰ることになるのだろうか。考えなければいけない。なにを考えるのかを、なにを得るのかを考えなければいけない。思考とそれに伴う行動が、思考も行動も半端な僕の拠り所になるはずだ。
明日は午前中の飛行機でカッパドキア・ネヴシェヒル空港へ向かうことになっている。もう寝ましょ、明日…いっぱい…飛ばな……きゃ……




なお、トルコ旅行記は、この後も続く全5回の長編エントリとなります。ぜひ、併せてお読みください。
カッパドキアの地と空と(トルコ旅行記その2) サフランボルのドアをあけたよ(トルコ旅行記その3) 飛んで跳んでとんで!イスタンブール(トルコ旅行記 その4) トルコで僕は考えなかった(トルコ旅行記 最終回)

カッパドキアの地と空と(トルコ旅行記その2)
サフランボルのドアをあけたよ(トルコ旅行記その3)
飛んで跳んでとんで!イスタンブール(トルコ旅行記その4)
トルコで僕は考えなかった(トルコ旅行記 最終回)


追記

妻も写真をまとめ始めているので、興味のある方はどうぞ。僕より鮮やかな写真がたくさんあります。
トルコ旅行記 前書き

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