紺色のひと

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飛んで跳んでとんで!イスタンブール(トルコ旅行記その4)

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トルコ旅行記も4回目、今回はイスタンブール滞在一日目の模様を書き残す。荒野のカッパドキア、古都のサフランボルと周って、僕たちは再び帝都イスタンブールへと戻ってきた。
この街での行動を振り返るその前に、サフランボルからイスタンブールに向かうまでの数時間の出来事を、文章で残しておいてみようと思う。


この記事は「トルコで僕はなにを考えようとしていたか(トルコ旅行記その1) - 紺色のひと
および 「カッパドキアの地と空と(トルコ旅行記その2) - 紺色のひと
および 「サフランボルのドアをあけたよ(トルコ旅行記その3) - 紺色のひと
の続編です。

4月7日 水曜日(5日目)

サフランボルの旧市街、チャルシュを夜半に発ち、僕たちはイスタンブール行きの長距離バスに乗るため市街地のクランキョイへと向かった。トルコにはドルムシュという乗り合いタクシーがあり、それに乗ってゆくと市街地まで連れて行ってくれる。クランキョイはチャルシュと違って煌々と明るく、大通り沿いの店はまだ営業している。とりあえず僕たちがやらなければならないのは、メトロ社の窓口を見つけてチケットの代金を払うことだ。と、道端のおっさんがにこにこと笑ってこっちを見ている。「メトロ・オトビュス・ネレデ?(メトロ社の、バス、どこだ?)」。僕が未開人のような問いかけをすると、おっさんはやはり笑って僕と腕を組み、歩き出した。ずんずんと進んでゆくおっさんに半ば引きずられるようにしながら振り返って、妻がついて来ていることを確認する。おっさんは交差点で立ち止まり、通りの向こうを指差して口早になにか言った。渡ったところにあると言うのだろう、僕はトルコ語がさも通じたかのように頷き、礼を言って握手をした。おっさんはすれ違った顔見知りに声をかけながら、元居たほうへと戻ってゆく。これまで数々のエッセイで読んだ、典型的な良心的トルコ人だった。
おっさんと別れたそこはスーパーマーケットの目の前で、目を輝かせた妻と店内を少し冷やかし、それから通りを渡ってメトロ社の支店に入った。
「チャルシュの観光案内所から予約しているツーリストだ。イスタンブールまで、ふたり」
こう僕が言ったかは誰も知る由がないが、窓口の兄ちゃんはOK、話は聞いているよとばかりにささっとチケットを発行し、ひとり25TLを僕たちに払うよう言った。
ふと店の外を見ると、中学生か高校生くらいの少年が、携帯電話で通話しながらこちらを見ていることに気づいた。見覚えがある。ドルムシュを降りた直後にすれ違って、その後僕たちの後ろをつけてきた少年だ。大方街のチンピラや兄貴分と連絡していいカモがいるとでも話しているのだろう、観光客だと舐め切っているのか、明らかにこちらを見ているにも関わらず隠れる様子もない。危機感を覚えるとともにさすがに腹が立って、妻と相談し、メトロ社の兄ちゃんに話すと、さっと警察に通報してくれた。なんとも心強い。バスが出るまで2時間、明るい夜の町を歩いてみようと思っていたけれど、今いるこの待合室が一番安全には違いない。わざわざ末端構成員の彼に花を持たせることもないだろう、ベンチに座って時間を潰すことにした。僕は眠かったのでうとうとしていた。妻はなにをしていたかというと、旅行中にうっかり番号が変わってしまったダイヤルロック式の鍵の開錠に挑戦していた。001,002,003,004……10の3乗回だよ? と眠りそうになりながら聞くと、「私こういう作業嫌いじゃないから」と応えた。かわいい、と思って目を閉じたが、次に僕が目を開いたときに妻が言った言葉は「開かなかったよー」だった。無念である。
バスの出発時刻が迫っているせいか、待合所にはひとが増えていた。僕が目を覚ましたのを見て、向かいに座っていた青年が隣に移って来、英語で話しかけてくる。「学生かい?」「いや、もう働いてる、ツーリストだよ」「どこから」「日本だ」「彼女も?」「ああそうだ、僕の妻だよ」「ええ? 君たちいくつ?」「ふたりとも26だ」「…もっと若く見えるよ」「君は?」「20だ」「…君はもっと大人っぽく見えるよ」……こんな具合に。旅行中、何度も繰り返したように。
僕たちの年齢と既婚であることについては、トルコで会話したほとんどのひとに驚かれた。僕は日本でも高校生に間違われる残念な顔面の持ち主なので、日本人の女優さんが皆teenにカテゴライズされるという西洋圏において、僕の年齢を信じてもらえないのも無理はないと思う。ともかく、無精ひげが格好いい彼は工業系の学生で、これからアンカラへ向かうと言う。彼はこの後、長距離バス乗り場に移動するまで、トルコ語がわからない僕たちの横にいて、乗るバスや出発時間、席番号などを細かく通訳してくれた。きっと君みたいな男が、気の良いトルコ人になるのだね。さようなら、元気で。

4月8日 木曜日(6日目)

こうして僕たちはサフランボルを発ち、イスタンブールへ向かった。荷物の盗難が怖いので2時間交代で眠ることにしたが、夜行バスだというのに乗務員が絶えず目を光らせているので、僕も妻も安心して眠ることにした。翌朝6時、郊外のエセンレル・オトガルに到着する。ここからバスとメトロを乗り継いで、観光地のスルタンアフメット周辺で宿を探すつもりで手近なミニバスに乗り込んだ。しばらく乗っていると、目指す方向とずれた空港方面へとバスが向かっていることに気づき、後ろに乗っていた夫婦に相談してみる。「ゼイティンブルヌに行きたい、どこで降りればいいだろうか?」大きな乗換え駅だ、そこまで行けばなんとかなるだろう、と思ったのだ。大柄な旦那さんは僕が差し出したガイドブック付属の地図を見て頷き、運転手に大声でなにか言った。するとバスは通りがかった立体交差点の脇に急停車した。旦那さんは交差点の向こうの駅を指差し、ゼイティンブルヌ、と口にした。あそこまで行けばいいのか、このタイミングで聞いてよかった、と思い、旦那さんと運転手さん、乗客の皆さんにお礼を叫んでバスを降りた。すぐに走り去るバス。僕たちは細い雨の降る道路沿いに取り残された。寝不足でテンションの高い僕たちは手を繋いで駅まで走る。
「典子、走ろうか」「うん」”走れ。”「「ジャーン」」と『バトルロワイヤル』のエンディングの真似をしながら。どうやらそこはメトロブス(路面の線路を走る連結バス)の駅で、旦那さんはこれに乗ればゼイティンブルヌまで行ける、と言っていたようだ、ということを理解する。通勤ラッシュに紛れ、乗り込む。



そうして乗換駅ゼイティンブルヌに着き、そこから幾度目かのメトロに揺られ、僕たちはやっと観光地のスルタンアフメットまで戻ってきた。さすがにぐったりし、駅前の公園でベンチに腰を掛ける。腰だけが白い半端な模様のカラスやハトを見ながら乾いたパンをかじっていると、どこからか大きな犬が僕たちに近づいてきた。パンを少しちぎって放るともぐもぐ食べる。犬はしつこく食べ物をねだるでもなく、僕の足の間に座り込んだ。ここが彼の定位置であると伝えるかのように、腹が乗った僕の靴の甲が温かかった。僕は彼をイヌミチと呼ぶことにした。
しばらく後、ベンチにひとりの青年が近づいてきた。コンニチハ! おお、日本語だ。彼は流暢な日本語を話した。名前をなんと言ったか、彼は「僕は近所にある小さな博物館で働いていて、今日は仕事が休みだけれど、日本人のひとと話をして日本語の勉強をしようと思って町に出てきたんだ、よかったら僕と一緒に来てお茶でも飲まないか」というようなことを言った。僕は妻と顔を見合わせた。ここスルタンアフメットで何人もの日本人観光客が、悪質な絨毯売りによって高額な絨毯を売りつけられる被害に逢っている、という話を聞いていたからだ。その絨毯売りは流暢な日本語で観光客に近づき、あれこれと理由をつけて店に客を呼び入れ、話術、色恋、あるいは面倒な手段で契約を交わすという。旅行に出る前、僕と妻は「どんなことがあっても絨毯を買わない」ことを決めていた。
しかし時間は朝、徹夜明けの僕たちはその日のホテルも決まっておらず、休憩を必要としていた。適当に話を合わせ、お茶だけでもおごってもらおうとのこのこついてゆくことにした。僕たちが荷物をまとめてベンチから立ち上がると、イヌミチが「行くのかい」といったふうで僕の横を歩き始めた。特に先導するでもなく、駆けていってこちらを見るでもなく、ただ横を歩いている。僕は彼の背中をなでながら、怪しい自称博物館職員の男についていった。彼が「あそこです、ほら写真があるでしょう、小さくてガイドブックには載っていないけれど博物館です」と指差した先は絵に描いたような絨毯屋だった。ガラス張りのショーウィンドウに鮮やかな赤い生地が映えていた。店のドアを開けてさぁ、と言う彼から、僕たちは1.5mほどの距離を取った。そして、申し訳ないがあなたを信用できないこと、ここがどう見ても絨毯屋であること、日本ではあなたのように流暢な日本語を話す男による詐欺被害に気をつけろと情報が回っていること、そして正直に言って僕たちがあなたを疑っていること――などを、ほぼ日本語で伝えた。イヌミチは僕の横で地面に寝そべっていた。彼はそれでも執拗に中に入るように薦めて来る。店の中から男がひとり出てきたので、僕は荷物をつかみ、今晩の宿を決めなきゃいけないから、それじゃイヌミチ行くよ! と言い放ち、妻と歩き出した。当然のようにイヌミチはついてきた。なんという犬だと思った。
こうして文章に残すと余裕綽々の旅行者のようだが、僕たちは明らかに疲れており、彼の日本語に少しほだされていたのも事実だった。イヌミチの存在が僕を落ち着かせてくれた。僕たちはさっきの駅前公園に戻り、イヌミチを見送ってから、近くのチャイハネに入った。一日ぶりに飲んだチャイは妙に熱かったが、それは空気が冷たかったからだけではなかったと思う。飲みながら宿の目星を付け、妻とふたりしてファンの、とあるさくしゃさんの歌を歌いながら宿を探し始めた。

イスタンブールでこの曲を歌ったのは、僕たちが初めてなのではないだろうか。だからどうしたという話だけれど。あいされーる、いぬ・いぬー♪


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三軒ほど飛び込んで、ダブルの部屋が空いているところを見つけたので、ここをキャンプ地とする! 荷物を置き、ひと休みしてから町へ繰り出した。


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観光地なだけあって、道端のそこかしこに土産物屋が。これはキーホルダーとアクセサリー。


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交通量の多い道を抜け、ボスフォラス海峡を目指す。


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途中、汽車の駅に立ち寄る。これでも駅のホームである。路面電車、バス、連結バス、乗り合いタクシーは体験したが、結局汽車は乗らずじまいだった。イスタンブールは西へ向かう大陸横断鉄道の始発駅と聞いている。「世界の車窓から」ごっこもやってみたかった。てーれてーれっててーれれー てーてー。


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ホームから繋がる資料室。無料とのことなので覗いてみる。まだ未開だった土地に鉄道を敷く男たちの写真や、当時の制服・汽車の部品や用具などが陳列されている。日本のよくある資料館と雰囲気が似ており面白い。どこの国でも、発展の礎を作ったひとたちがいるのだと思い知らされた気分。


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そんなこんなで海峡に到着。誰が待ったかお待ちかね、イスタンブールはガラタ橋名物、サバサンドである。


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サバサンドを見た限りで説明する。鉄板の上で開いたサバ(一夜干しくらいはしているかも知れない)を焼く。それをレタス・トマトと一緒にバゲットに挟み、レモン汁をさっとかけていただく。値段は4TLとやや高いが、名物とされるだけあってうまい。サバは塩味で、レモンが殊のほか効いている。最初はレモンなどを、と思ったが、あっという間に食べ切ってしまった。


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沿岸には多くの釣り人が。見ると、サビキ(針に小さな疑似餌がついた仕掛け)らしきもので小アジを釣っているようだ。防波堤でのサビキ釣りは、仕掛けを下に落とし込んで上下に揺らし、群れのいる層を探って釣るものだと認識していたが、投げ竿で豪快に投げて引っ張っている。興味深い。


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若い男から爺さんまで釣りをしている。女性は見ない。写真左に移っている男性はおそらく出張喫茶店で、チャイグラスとポットを持って声をかけながら歩いていた。面白いシステムだ。


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湾の向こう側を望む。海は荒れるでもなく凪ぐでもなく、空は微妙な曇り具合でなんとも描写しにくい。ひとつの事実として、ミズクラゲの大変多い海であるようだった。


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海峡を渡るガラタ橋のたもとに立つ、イェニ・ジャーミイへ。イェニは「新しい」という意味だったかと記憶していたが、ちっとも新しくない。新千歳も新札幌もそれなりに新しいというのに。モスク前の広場には鳩の餌売りと鳩と傍のバザールから出てくる客でごった返しており、混沌としていてよい雰囲気。


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それでも門を一歩くぐると一気に静まり返る。この門をくぐるものは一切の喧騒を止めよ。妻はまた頭に布を巻く。


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モスクの構造や4種のアラビア文字など、基本的なつくりはどこも一緒のようだ。


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けれど絨毯の模様はどこも違っている。


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壁や柱のタイル模様も美しい。これはなんとなく、日本でも見る模様だと感じた。主に地方の道の駅のトイレとかで。


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モスクを出て、エジプシャンバザールに突入。


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と、怪しい水棲生物を入れたボトルを発見。なにかお分かりだろうか?


…ヒルである。肌に這わせ、血を吸わせることで悪いところの血を抜くというアレだろう。日本でも行うところがあると思ったが、どこだったかしらん。うねうねと動くヒルを眺めているぶんにはいいが、いつ店の男に「やらないか」と声をかけられるか不安になったので写真を撮って早々に退散した。妻は最後まで近づかなかった。


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気を取り直してバザール入り口をくぐると、その暗さと活気にちょっと驚く。


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店先ではロクムやお菓子の類、


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乾物や香辛料、土産物などが売られている。さすが観光地、そこここで客引きの日本語が飛び交う。オニイサン! ヤスイヨ! 終いには妻もオニイサンと呼ばれ憤慨していた。僕はといえば、なぜか気分が殺伐とし、足早になった。僕に声をかけなかった客引きのいる店で買おう、このボッタクリどもめ……などと不穏な目をして人ごみをすり抜けた。弟が買ってきたスパイスに味をしめた実家の母が僕たちに頼んだ土産は「弟と同じスパイスを買って来い」だった。が、肝心のスパイスメモを宿に忘れてきてしまい、今日は下見程度に留めておくことに。


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少し疲れてしまった。妻がお土産にトルコ石のアクセサリを買ったのみで、僕たちは早々にバザールを抜けた。なんだか銀行やオフィス街っぽい古い街並みの通りに出る。


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小腹もすいたし、裏路地の活気あふれるロカンタ(食堂)の店先でケバブサンドとチャイを注文し、休憩。


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明日の買い物に備えてグランドバザールの下見をしておこう、と再び歩き始める。絵に描いたような古いジャーミイから、絵に描いたような敬虔なおじいさんが出てくる。あの帽子が欲しい。


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ブラ屋さん。そういえばトルコですれ違う女性は皆、胸の膨らみが豊か(あるいは全体的にふくよかで胸の膨らみのみならず豊か)であり、スレンダーなお姉さんは見るものの、いわゆる貧乳の女性を見かけない。……うむむ。


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シュミット(リング状のパンの一種)を籠から突き出した棒にくぐらせ、さらにその籠を頭上に運ぶ男性を確認。なんと言うか、明らかに異国の風景。


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おみやげを買い始める。まずはお菓子を買うの! とのことなので、お土産屋さん…ではなく町のお菓子屋さんを探す。程なく道端から階段を下りた地下階に見つけた。店主のお兄さんは英語を話せた。経済に興味がおありのようで、テレビは株や市場関連のニュースが流れっぱなしのチャンネルだった。僕たちが日本から来たことを知ると、トルコ国内でどこへ行ったかとか、東京で一軒家を買うとどれくらいの値段がするのかとかを聞いてきた。電卓が通訳代わりの会話。お兄さんは東都マルディンのご出身とのことで、僕たちがサフランボルへ行ったと聞いて「古い街が好きならマルディンにもぜひ行くべきだよ」と薦めてくれた。東部は情勢が不安定なようなので今回の旅行では外したのだが、魅力的な街のようだ。わたあめみたいなピシュマニエという砂糖菓子を二箱、チャイグラスのセットを二つ買う。僕たちが話している間にもお客さんがたくさん訪れ、小さな店の中は活気に溢れていた。いかつい男たちが甘いものの箱を手に取っては「これは新製品か」「うまいのか?」「おれ買ってみよ」みたいな感じで会話しているのが面白い。


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スーパーマーケットの位置を聞くと、アクサライの方向に1kmほど下るとあるよ、とのこと。天気もよいので歩く。アクサライ地下街のショッピングモールを抜け、ディスカウントストアっぽいお店を発見。チャイの葉を2種類1kg、エフェスビール、ヒマワリの種などを買い込む。ビールはエフェスの他にマルマラという銘柄もあり、パッケージも格好いいのでこちらを買おうとしたが、そんな僕たちを見ていたお店の女の子や男の子が皆顔をしかめて「エフェスのほうがおいしいよ」という仕草をするのでエフェスをかごに入れた。


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そろそろお腹が空いてきたので、アクサライの路地に入り、ロカンタへ。ガラス越しに様々な料理が並んでおり、恰幅のいいおっさんが好みのものをよそってくれる。


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メニューはないので、おいしそうなものを指差す。いんげんの煮たの、ジャガイモとトマトと鶏ムネ肉、シシトウと牛肉、羊と思しき肉のミートボールなどなど。見ているだけで満腹になりそうだが、当然我慢できないので注文する。こうして見るとジャガイモとトマトと豆を使った料理が多い。


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迷った挙句、手羽元とジャガイモを煮たもの、豆のピラフ(ピラフのことをピラウと言う)、羊の足を煮たもの、サラダ、ギュネフェという激甘デザートを注文する。言葉が分からないので、おっさんにこれとこれ、と指差し、あとは大学食堂のようにトレイに載せて会計へ。
ご他聞に漏れず、と書くと感動が薄れてしまいそうだが、もの凄く美味い。鶏肉は柔らかいしジャガイモの味は濃い。例によってバゲットもついて来て二人で16TL(約960円)。


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感激のあまり、食事中というのに僕は立ち上がり、おっさんにカメラを向けた。おっさんはにこりと笑ってポーズを取る。結局、ロカンタでの食事はここが最後だったのだが、こんなにうまいものがたくさん食べられるのであれば旅の最初からレストランよりもこちらを選ぶんだったね、と妻と話した。レストランも素晴らしいが、町を歩いてロカンタを見つけて入って選んで食べる、という体験はとても貴重なものだった。おっさん、ごちそうさま。チョク・ギュゼル!


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宿のあるスルタンアフメット方面へ歩き出す。メトロで数駅だが、まだ明るいしご飯を食べて元気も出たので徒歩で。妻は旅の途中、こうして座り込んでフィルムを交換していた。


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路地のマネキン。うっかりそのまま通り過ぎそうになったが、コナン君ばりに「なんだこの違和感は…?」と振り返って気づいた。でけえ!


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イスタンブール大学前にて。妻が校門に駆け寄り、柱に寄りかかって片足を挙げた。ポーズらしいのでシャッターを押す。駆け戻ってくる。「なにしてたの?」「外人さんってこうやってポーズ取るじゃん」。妻かわいいよ妻。


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日が傾き始める。街並みに西日が当たる。


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真っ暗になる前に宿には着けそうだ。トラムの線路、人通りの多い街並み、夕日。


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観光地のレストラン街は明るく、活気に溢れている。行き交う人々の群れ群れは雲霞の如し。


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道端で雑貨を売っているおばちゃんからアズキ色の帽子を買う。僕はとても気に入ったのだが、残念ながら妻にはあまり評判がよくない。まあ、こんなイヤらしい顔だから仕方ないと思うけれど。


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有名どころの観光名所、アヤソフィアと、


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そして振り向いたところにはブルーモスク。明日はこれらイスタンブールの観光名所を回り、夜の飛行機でドバイへ向け発つ予定だ。
旅行も残すところいよいよ一日となった。僕はそろそろ、トルコでなにを考えたか、について、答えを出さなければいけない。気負ってはいなかった。ただ、考えたことを言葉にしたいと、いつものように、ここでも思っているだけなのだった。部屋でビールを飲み、ゆるやかに眠る。




トルコで僕は考えなかった(トルコ旅行記 最終回) - 紺色のひとに続く



妻のイスタンブール旅行記1日目については
トルコ旅行記6日め イスタンブールふたたび
あたりをお読みいただけると。