紺色のひと

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浴衣同士と夜の蝶のひと

この街では六月のこの時期に神宮の例大祭があって、露天が並ぶ公園の近所に実家がある僕は毎年のように浴衣を着て出かけていた。去年は出張で行けず悔しい思いをしていたので、今年はなんとしてでも夜店を回ろうと思っていたのだ、恋人と浴衣を着て。
いつもじいさんくさい柄だし、たまには若々しいやつを着てみようと思って、去年安く手に入れた型落ちのデザインのものを引っ張り出すことにした。襦袢を羽織り、紺色に灰色の斑紋が散った浴衣に黒の兵児帯を合わせた。この時期の札幌の夜はまだ寒いので、股引きをはかない代わりに紺の足袋をつけて、雪駄をつっかけた。風呂敷も濃紺だったので、ちょっと揃え過ぎたなと思い恋人の家に迎えにゆくと、彼女は浴衣を用意していなかった。おれも洋服に着替えて行こうか、と聞くと、現地調達(!)して揃えるというので、一度街に出ることにした。彼女が選んだのは白地に薄紫色の梅の花が格子状に描かれたもので、ふたりで相談しながら濃い紫の帯と帯飾り、下駄を選んだ(巾着は新調しないで、ハンドバッグをそのまま使うことにした)。彼女が着付けてもらっている間に僕はお店のおばさんに教わりながら三尺帯を締めなおした。「もうちょっと太らないと駄目だねぇ」、三巻きじゃ短いし、二巻きだと細いよ、と笑って、次はバスタオル巻いておいで、と店員さんは言った。
そうこうしているうちに彼女が出てきたのだけれど、浴衣姿にはちょっとうるさいつもりの僕も思わず息を飲むほどきまっていて、きれいだ、と言うと、彼女は一度目を見開いてなんということを、などと言った。
女の子が大好きな僕たちは、地下鉄の中であの娘の着ている柄がかわいいだとか、今の女子高生が好みだとか、ごくたまにすれ違う浴衣の男を見ては「あれはユニクロ」「あれは去年のコムサ」と特定したりしながら会場を回り、毎年恒例キャンドルボーイ(フランクフルトに餅を螺旋状に巻き付けあぶったうえでマヨネーズ等を塗り食す、テキ屋の土着食物)を食べ、近くの店でビールを一杯だけ飲んで帰った。
ところで僕が最近気に入っている言葉に「夜の蝶ってあれだろ、要は蛾だろ?」があるのだけれど、この日は一年分言おうと努力し、それっぽい蛾を見つけると上記のセリフを口にしながらすれ違った。彼女らはここぞとばかりに浴衣を着たがる。そもそも水商売に従事する女性を夜の蝶と呼称するのは、蛾が光に群れる習性になぞらえて、夜の女たちが光などに群れるのを揶揄したものだと思っていて(蝶と蛾に明確な区別はないけれど、一般的に夜行性かつ走光性があるのは蛾であることが多いからだ)、なかなかうまいことを言うなあと感じていたのだけれど、小悪魔AGEHAやメディアでの取り上げ方を見ているとなんだか好意的な意味合いを持つように思われて、そういうことを恋人に聞いてみると、「ただ着飾ってるからだと思ってた」と答えが帰ってきた。結局真相はわからない。帰り道で何度目かの蛾たちとすれ違ったときに僕がむせて、それを見た彼女が「……鱗粉?」と言ったので、これはうまいことを言うものだと思った。