紺色のひと

思考整理とか表現とか環境について、自分のために考える。サイドバー「このブログについて」をご参照ください

いつかあなたに second season

布団に顔を伏せて、じっと雨音を聞く。時計の秒針と自分の息づかいとが耳に入ってくるけれどそれは雑音で、ただたらたらだたら、と続く雨の音が、とても心地よく僕の体を揺らしているのがうれしい。ずっと昔、もし僕がなんども生まれ変われるのなら、そのうち一度は静かな雨の降る縁側で眠って暮らすだろう、とどこかに書いた記憶がある。
id:Asay:20060420:1145538370)

庭に雨の降るのを、板の間の縁側で寝そべってうとうととしながら、ただ眺めて暮らしたい。ニッキ飴を延々となめ続けながら、毒にも薬にもならないような本を読んで暮らしたい。川で投網を打ったり潜ったりして魚を捕っては焚き火に当たって体を温めることを繰り返して暮らしたい。
将来とか、未来とか、現実性とか、そういう一切の言葉をかなぐり捨てて、「こうであったらいい」という自分のことを思い描くのが傲慢であるとしたら。それすら許されないのであれば、きっとほとんどのことに対して、僕は気を許せなくなってしまうだろう。