紺色のひと

思考整理とか表現とか環境について、自分のために考える。サイドバー「このブログについて」をご参照ください

転換点

自分のこれまでの生活に――あまり好きではない言葉なので使いたくないのだけれど有体に言えば“人生”に――おいて、大きな転換点というのは確実に存在する。僕の場合、数年前に生まれ故郷を離れる決断をしたのがそれで、その転換によって僕の生活のかなりの部分はリセットされた。リセットしても変わったのは仕事や暮らす土地や周囲の人間といった外的環境で、僕と家族という内的な部分、ごく近い部分はそのままだ。もちろん、外的環境が自身にもたらす影響はものすごく大きいし、それを今更否定するつもりもないのだけれど、例えば家族と別れ身ひとつで新しい暮らしを始めるとか、そういうたぐいのリセットではなかった。
例によって、年が過ぎるのに伴って僕の生活もまた変わってゆく。今年もそうだし、今後も子供たちの成長や職場が変わったりすることで分かりやすい変化は生まれるはずだし、そういうのをひとつひとつピックアップして、分かりにくい部分の変化にも気づけるようにしていきたいと思う。このところ、僕は僕自身の変化についてとても鈍感になっているように感じている。妻から指摘されてようやく自覚することができて、それで済むことならそれでもいいのだけれど、「僕はこういう感じだから」と自分で思っているけれど決してそうではない類のことが、どこかで致命的な失敗に繋がりかねないという危機感もあるので、やはり敏感にいたいと思う。
それは妻についてもそうだ。知りあいがいない土地に一緒に来てくれた妻が、気丈にも「あなたとなら楽しいよ」と言ってくれたことにかまけて、ぽつりと漏らす辛さを掬い上げることができていなかった。大抵の虫はまあそこまで嫌いではないけど群れになってくるのは勘弁だとか、暑さに弱いとは聞いていたけれど古く温まらない家での生活に疲弊しつつあるとか、そういう類のことを。気づいた以上は解決に向かって動き出せるのでまだいいのだけれど、パートナーが辛いと思っていたことを言われるまでちゃんと認識できていなかったというのはとても……なんというか、良くないのだ。
だからこそ、転換点を迎えるにあたって、今後どうやって暮らしてゆくかとか、どうしたらもっと楽しく快適に生きてゆけるかとか、そういう生活の底上げになるような努力を怠ってはいけないと思うし、それ以上に妻と子供がどうしたいのかにもっと敏感にならなければいけないと強く思う。


例によって情緒的な文章にしたので、補足。
・4月からおしごと等の都合でまた生活スタイルが変化する。
・将来的に、家を持つ(中古戸建を買ってリフォームするよりは新築する寄り)ことを見据えて下調べを始めた。