皿洗いと妻の撮る写真が好きな話
このところ、やれ「あいつの考え方が気にくわない」「あの団体のトンデモ主張が我慢ならない」などという批判的思考ばかりをアウトプットしているように思う。それらの憤りが僕にとって必要だというのもわかっているし、批判的思考の表明を止めるつもりもないのだけど、もうちょっと好きなものの話でもしてみようかと思って以下を書く。
皿洗いとご飯支度のこと
皿洗いが好きだ。食事の支度の途中で洗い場を片づけ、食べ終わってすぐにきれいに洗ってしまうとすっきりする。何より、休日の晴れた午前中にサニーデイ・サービスなんか流しながら明るい台所で皿洗いをしていると、「おれ生活してる!」という気持ちが体中に溢れてきて、うきうきとした気分で昼ご飯の支度に繋げられるものだから、休日の前の日は意図的に洗い物を溜めてしまう。
おしごとの都合上、晩御飯の支度はほとんど妻がやってくれている。夕食後にばたばたとしていると翌朝まで洗い物をそのままにしてしまうことがあって、妻が日中片づけてくれるのだけれど、お皿なんかの重ね方が僕から見ると危なっかしい。とはいえやってもらって文句を言うのも失礼なので、できることなら全部僕が洗ってしまうくらいがいいと思っている。
夕方家に帰ってきたとき、妻が「もうすぐご飯できるよ」と声をかけてくれるので、僕は遊んでいる娘と居間の布団に横になっている息子の顔を見てから台所に手伝いに立つ。支度途中の洗い物を済ませたり、お皿を出したりしていると、高頻度で妻がつまみ食いしたり、料理をうっかりこぼしてしまったりして「おおっと今日の鶏肉は活きがいいなあー」などと奇声をあげたりするので、見ていてとても楽しい。
これまで長く住んでいた街を出て今の家に引っ越して、一年半。おしごとや生活リズムががらりと変わって、ご飯支度をはじめとした、自分たちの生活のために時間を使えるようになった。ひいては、妻と娘と、息子と一緒に居られる時間が長くなったということで、そのこと自体がとても嬉しいのだ。
写真のこと
妻が撮る写真が好きだ。妻は結婚する前からフィルムカメラを使っていて、そこからデジタル一眼レフ→iPhone4→ミラーレス一眼→ミラーレス一眼+オールドレンズ→iPhone7とサブ機が変遷しつつ、まだフィルムカメラを使っている。CONTAXの大きな一眼と、naturaの2台だ。
妻はどこに行くでもカメラを持ち歩いているようで、ムラがあって撮ったり撮らなかったりの僕よりも、ライフログとしてずっと妻の写真のほうが価値があると思える。プリントができてきた順に無印良品のアルバムに入れ、頻繁に取り出しては眺めている。このところは、「4歳の娘が1歳の頃に着ていた服を、6か月を迎えた長男が着ているんだ」と言って娘が1歳の頃の写真を取り出し、娘と「これ誰の写真だと思う?」「んー弟くん?」「ブブー、マチ子ちゃんでした」と笑い合っている。かと思えば、僕のキメ顔の写真と今の僕を見比べて「少し痩せたね」「白髪少し出てきたよね」などとクリティカルな指摘をしてみたりする。
子供が生まれてからの妻の写真は、主たる被写体が僕たち家族になっている。明るい光の中の僕や娘を見るたび、僕も防湿庫の中に埋もれたままのフィルムを取り出そうと思うのだけれど、なかなか踏み切れずにいる。
毎日楽しい。