川の中の墓標
彼等は海からやって来る。大群となってやって来る。川面に背鰭をなびかせて、川底に腹を摺り付けて。
秋は、彼等の産卵の時期であり、そして同時に死の時期でもある。僕が歩いた川原で死んでいた、彼等サケマスのホッチャレた姿だけを集めた。
川の中を歩くのが好きだ。雪が融けきらない春の川や、河畔がすっかり緑になって川面だけが涼しい夏の川、紺色と白に染まって閉じ込められたような冬の川、どの季節もそれぞれの魅力があるけれど、僕は秋も深まりつつある時期の川への思い入れが深い。
秋の川を歩くと腐臭がする。ホッチャレ、すなわち遡上したサケの死骸から放たれた匂いだ。この死骸を指して、窒素の循環だとか、森に海からの栄養塩が還ってゆくだとか言うひとがいるけれど、僕はそこに必然性やドラマを見出さない。
彼等はただ、行き着く先で、死んだだけだ。
目が空いているのは、カモメかカラスの仕業だと思う。
これがあるべき姿なのかはわからない。
力尽きて淀みに沈んでいれば、姿は保たれるけれど。
雪が積もり始めて、寒そう。
彼の下半身は、多分クマに引きちぎられた。
もう上も下も関係ない。
紅葉した葉が死化粧にも見えたりする。
さよならだけが人生ならば/また来る秋はなんだろう
毎日、あるべきところへ遡上しようともがいているように思う。
行き着きたい場所、僕にとっての源流がどの程度遠いのか、たどり着けるのかもわからないけれど、それでも流れに抗って遡り続けることが、僕の生そのものであるような気がしている。
だから、彼等は僕の未来なのだと思う。他人のような気がしない。ホッチャレだけの人生では終わらない。終わって、たまるか!