紺色のひと

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なり得ないこと、し得ないこと

久しぶりにひとりの時間。
春から新たな生活を始めたひとの文章を読んで、苛立ちに近い感情を覚えている。まったく先に進もうとしない思考手法が文からにじみ出ていて、読んだ後に気分が悪くなってしまった。
けれど、思考やそれを文章に起こすことが、直接結論や行動に結びつく必要はまったくなくて、思考のための思考や文章のための文章もあるのが当たり前だ、と僕は考えるまでもなくわかっていた。なのに嫌悪を覚えたというのは、わかりやすく言えば、自分の思考のやり方が変化しつつあるということの自覚症状だ。以前の自分を否定することにためらいはないけれど、それを似たものを他人から感じ取ったとして、僕がそれを否定する理由にはなり得ない。
ここで話は逸れる。
よく「昔の自分を否定すると今の自分を否定することに」云々というひとがいるけれど、あの言い方自体に僕は怪しいものを感じていて、そもそもこの言い方には昔の自分のなにを否定することが今の自分のなにを否定することに繋がるのかという点が明らかになっていない、というのがその理由のひとつだ。仮に否定されるものが過去に行った諸々の選択(サークルに入るだとか、電話に出るだとか)だとして、それら過去のある一点は選んだか選ばなかったかという、あくまで結果論のみで語られるものであって、善悪を判断する材料にはなり得ない。
さらに、自分を否定することがなぜいけないとされるのかが明らかでない。「自分を否定」という言葉にはマイナスイメージだけがあって一切の具体性を持っていないから、否定することが後悔や不安に繋がるのだろうけれど、これについてはまだ考えがまとまっていないので書くのをよす。
はて、自己否定ってしちゃいけないことなのか? それともし得ないことなのか?