時代の時代
今自分はどんな時代に生きているのだろうと考えることが多くなった。とある分野では過渡期で、別の分野では終焉で、また異なった分野では始まってすらいないのだろう。言いたくないけれど、きっとそういうものだ。いろんなことが過渡期で旬で終焉で、幾多の世界がそこにあるはずだ。
よく名前を知るひとが亡くなったというニュースを聞くたびに、ひとつの時代の終わりを感じてしまう。歳若いひとの話を聞くたびに、新たな時代の幕開けを感じてしまう。そして既にこの世のものではないひとのことを考えて、彼の時代はいつ訪れたのかを考える。
石井桃子さんが亡くなったとラジオのニュースで聞いたのがきっかけだったように思う。「くまのプーさん」はでずにーアニメの印象が強いけれど、彼女が訳した絵本は素晴らしかった。「ゾゾ狩り」と聞いてはゾウに似た怪物を思い描いて胸躍らせたし、冬山で謎の足跡を見つけては「モモンガかもしれないしミミンガかもしれない」と思い出した。高校生になってから「トオリヌケ・キ」はなにを訳したものだったんだろう、と不思議に思って原書にあたってみたりした。プーさんひとつ取っても、僕の中に彼女の時代が存在していた。
僕が尊敬する存命するひとたち、あやしい旅作家も、世界を語る猫好きの小説家も、残念だけれどいずれは逝くだろう。僕が先か彼らが先かはわからないけれど、そのひとが生きていることで生まれる時代は確かに存在しているのだ、僕が感じている限り。
別に満足するしないの問題ではないから、時代が語られるコミュニティの大小はどうでもいい。たぶん、僕が形づくった時代も今までにあっただろう。既に終焉を迎えたもの、過渡期に直接携わったもの、そして、これから始まろうとしているものも数え切れないほどあるに違いない。僕はそれらに対してどんな影響を与えてゆけるのだろう。有名になりたいとかお金が欲しいとか、そういうどこかにある欲求とは別に、自分や自分が関わるものが善くあればいいと強く願っている。
- 作者: A.A.ミルン,E.H.シェパード,石井桃子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1982/06/18
- メディア: 単行本
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