紺色のひと

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卒業式のチェリー

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僕は今バンド活どうをしている。
「バンド活どう」と表記するのは気恥ずかしさだけが理由ではない。男ふたりの弾き語りを主とする音楽活動に、ユニットと言ってしまうともうちょっとおしゃれでシャープな印象になってしまうようだし、かといってバンドと呼ぶにはアコースティック寄りだし人数も少ないし、かといってデュオという言葉が使われるフォークの類を主としているわけではない。アラサーを通り過ぎて40代に近づこうとしている男たちが恥ずかしげもなく自称する趣味としては、どれもちょっとハードルが高い気がしているのだ。
ともあれ、そのバンド活どう。一、二週に一度くらい、相棒と示し合わせて練習している。スタジオを借りることもせず、カラオケに楽器を持ち込んで。僕も彼もギターがうまくはなく、もっぱら好きな歌を二人でハモって曲を増やしていったり、村下孝蔵の歌詞についてあれこれと言葉を費やしたり、そうやって時間を使っているのだけれど、今日はちょっと様子が違った。

3月1日。僕と彼が練習の合間にドリンクバーに向かうと、胸に白い花をつけた女子高生たちとかち合った。彼女らのめでたい日の視界に僕が映り込んでいいものかとなんだか気圧されてしまい、彼女らがかわるがわる飲み物を注ぎ終わるまで空のコップを手の中でもてあそんでいた。ちょうど僕が注いでいるとき、ドリンクコーナーの横の玄関からどやどやと男子高校生たちが入ってきた。いらっしゃいませ、何名様ですか? 23名なんですけど。
「聞いたかい志村さん! 23名の男子高校生! 卒業式帰りだよ!」
僕は思わず声に出して相棒氏に話しかけてしまう。
「そうやな、団体さんやなあ」
部屋に戻りながら僕たちは話を続ける。
「一クラス全員にはちょっと足りない、かといってクラスの男子半分とするとちょっと多いくらいの人数だよね。こういう日、参加しない子はどうしてるんだろうね?」
「決まっとるやろ、さっさと帰って彼氏彼女でセックスしとるんや」
志村さんはにべもない。僕もたいがいだが、彼は僕よりなお、明るく正しく楽しく高校生活を過ごしている彼らに対する恨みの感情が深いのだ。いや、僕のその感情が浅いかというと自信がないのだけれど、それはともかく、僕は言葉を返す。
「彼氏彼女がいるような子らは参加するんじゃないかなあ。卒業式だし、きっとクラス行事を優先するよ、そういう社会性を持ってる層は」
「そうかね」
そうだよ、と答えたところで、僕は昨日見かけたツイートの文言を思い出した。今自分が見かけた光景とリンクする気がしたのだ。

世の中では、新型コロナウイルスCOVID-19の感染拡大影響を鑑み、全国の公立小中高校に休校要請が発されたところだった。そこでこれだ。
いつもの僕なら、親のいない家でセックスする中高生カップルに対し、うらやましさや自分が得られるはずもなかった体験に苦しい感情を向けていただろう。しかし今日はなぜか違ったのだ。僕は志村さんにこのツイートを見せ、そのうえで説明した。
「あのね、うらやましくないわけじゃないんだよ。おれだって家に親のいないときに彼女とセックスしたかったよ。でも、今回のはそういうねたましさとはちょっと違う気がする。なんていうかな、自分じゃどうにもならないような出来事があって、それに巻き込まれてしまったときに、なにかこう、事態が好転するように祈りたいんだ。もどかしい感じで進んでたカップルの仲が進展するとか、そういう。もちろんうまくいかない事例もたくさん起きるだろうけど、そういうのの中で、せめて不幸なことが少なく、後で幸せな記憶とともに思い出せる、どきどきするような事件であってほしいっていうか、そういうことを思ってるんだよ」
「……そんならわかるわ、事件に巻き込まれたらどきどきするやんな」
「そうなんだよ、彼らはまさに登場人物なんだよね」

志村さんはおもむろにコード譜を印刷したファイルをめくり、スピッツの「チェリー」のイントロを弾き出した。スピッツとサニーデイ・サービスを主武器とする僕たちの当然の持ち曲ではあるけれど、あまりに知名度が高すぎて、逆にほとんど歌うことのない歌だった。志村さんの歌い出しに合わせ、僕も自分のギターと声を重ねた。

ズルしても真面目にも生きてゆける気がしたよ いつかまたこの場所で君とめぐり会いたい

「珍しいじゃん」
僕の言葉に、志村さんは照れたように頬をかいた。
「今のは当然、彼らに対する卒業おめでとうソングと受け取っていいんだよね?」
「そりゃなあ。おめでとうやん。23人の中にセックスしとるやつが入ってるかどうかは知らんけど」
「……チェリーだけに」
「そう、チェリーだけに」

僕たちはもう一曲、春をテーマにした歌を一緒に歌って、カラオケ店を後にした。制服姿の彼らはもう各々の部屋に入ったのだろう、すれ違うことはなかった。実際、彼らの性生活について僕が何かを言うことはないけれど、節目の日、これからの生活が素晴らしいものになるように、勝手に祈らせてもらうくらいはいいだろうと思ったのだった。