紺色のひと

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夏の日の生活と虫からの報せ

夏の日の写真を。


台所から見えるオオハンゴンソウ。雨の後は特に浮き上がっているようだ。
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初夏のさくらんぼ。娘が大喜びする。
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弟が言ってもいないことを勝手に代弁して悦に入っているあたり、姉の自覚というよりはまだ「弟をかわいがっている自分かわいい」という認識のような気がする。
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もらいものの野菜と果物でかなり食いつなげそう。果物が安いのは本当に嬉しい。メロンは食べきれないほど。トマトはもらったことない。
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朝方、車で山のほうまで。平地と比べると朝が来るのが遅いのだ。
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魚とりなどをする。オイカワは僕にはまだ珍しい。コイ科の同定がまだおぼつかないので、「くらべてわかる 淡水魚」という図鑑を買った。オスメスだけでなく稚魚や上から見た図などが書かれており、かなり良い。イワナ属がまとめてあったり、種分化の進んだドジョウが詳しかったり、初心者向けの同定に大変おすすめ。
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くらべてわかる 淡水魚

くらべてわかる 淡水魚


ゴーヤをもらう。鹿児島で食べて以来、なんかいいイメージがある。苦いが好きになってきた。
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2015年夏休み、はじめての九州南薩紀行 - 紺色のひと


昨年よりも寝苦しい夜は少なく、台風がいくつか過ぎると夜はだいぶ涼しくなった。「……夏が逝くね……もう、夜明けが近いよ」と言ったひと。
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二年目の夏があわただしく過ぎようとしている。
去年よりも意識的に運動することができていて、体重も概ね落ち着いてきた。地域のひとと運動したりする機会があると、初めましてのはずが「ああ、あの(越してきた)」という反応をされることがあって、そのたび馴染めるように頑張ろうと思う。

今年はきちんと川で泳げていない。家族を連れて海へ行ったりすると、タープがないなとかローチェアが欲しいなとか物欲が刺激されたりするのだが、そういうことを考えた後に生活基盤の改善に繋がりそうな報せが入ったりして、僕の生活は啐啄同時というか、願えば叶うことが往々にしてあるのだなと再認識する。
別に、誠実であろうとすることが良いことに繋がる保証はまるでないのだけれど、中学生くらいからずっと、寝る前に「明日起きたら少しでもいい男になっていますように」と祈ってきた流れというか、「善くあろうとする姿勢」みたいのが事態を好転させてくれるに違いない、みたいな観念があるのかもしれない。

ただ、こういう根拠のない自信は極力持たないようにしたいので、ただ日々を誠実に暮らして、その結果いい報せが舞い込んだらそれを喜びたい。これからも生活は続いてゆくのだから。