紺色のひと

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梅は咲いたか

通りがかった公園で、梅の花が咲いているのを見つけた。

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正直なところ、梅の花にはあまり馴染みがない。
僕らが長く住んでいた北海道では、梅は桜とだいたい同じかその少し後、5月の頭の連休に咲くものだった。その頃には大体みんな花見で浮かれていて、エゾヤマザクラの木の下で寒々しく焼肉やジンギスカンをしてみたりするけれど、梅は郊外の公園に出かけないと見られないし、意識の外だった。「梅は咲いたか桜はまだかいな」というフレーズに聞き覚えはあるけれど、ただ知っているだけだ。


まだ雪に埋もれた公園の枝につぼみが膨らみ、それが開いたところで、信じられない気持ちのまま妻にそれを教えた。
「梅、咲いてたよ」
「……ははは、ウソでしょ? だってまだ雪の中だよ」
妻は最初笑って信じようとしなかったけれど、教えた僕だってそうなのだ、無理もないと思った。出かけたついでに娘と妻を連れていくと、娘は「さくらだ! さくらだね!」とはしゃぎ、妻は対照的に言葉少なになった。別の土地なんだねえ、とかなんとか、そういう内容のことをぽつりと言った。
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これは、数年前の5月9日の写真。日付けだけ見れば今から三ヵ月後だ。
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北海道の山では、まだ他の木々の葉が開く前に、ヤマザクラとコブシが谷あいにぽつぽつと色を添える。それはとても美しい光景だけれど、僕は本州のソメイヨシノの迫力ある咲き方も好きだし、どちらがいいとかそういうものでもないとも思う。北海道から移ってきてもうすぐ一年になるけれど、季節の折々で今までの生活になかったシーンに直面すると、少しだけ昔のことを思い出す。ノスタルジックでなくとも、そういった新鮮な気持ちはなるべく忘れずにいたい。


あの大地が美しかったという記憶は残したまま、ここでの美しさをまた別に感じてゆきたいのだ。