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紺色のひと

思考整理とか表現とか環境について、自分のために考える。サイドバー「このブログについて」をご参照ください

ヒバリズのテーマにかえて


僕の黄金時代はいつだっただろう。


例えば、精神的な拠り所を何かに求めなくても大丈夫なくらいには、揺さぶられて不安定になることも少なくなった。怒鳴り声や歌声にのせて感情を叩き付けなくてもよくなった。何かに駆られるように走り出すことはないけれど、山道で転ぶこともなくなった。
例えば、職場ではまとめ役を任されるようになった。新人から一歩脱してひとりの専門家として扱われるようになった。上司や先輩からかけられる言葉に、若さと仕事への期待が見え隠れするようになった。それでも自分の身体はあの頃のように動かないし、頭の回転はどこかぎこちなくなり始めているのを自覚するようになった。評価と自覚にギャップが生じ始めている。
例えば、立場が確定し始めた。就職、結婚、定住、なんでもいい、生活の安定とも言い換えられるそれは、無数にあったはずの選択肢が少しずつ縒り集められ、太いいくつかの道として広がるのみになった。


どれもこれも、どこかで聞いたようなありがちな悩みだ。僕だけのものでもないこれらは、どれだけ言葉を費やそうと、衰えに他ならないと、そう言い切ってしまってもいいと思う。少なくとも僕にとってはそうだ。



でも、僕はこれらの衰えに向き合うことを止めはしない。僕の体が、心が錆び付き始めていたとしても、僕は自分を含めた誰かを救うことを諦めてはいないのだ。それは捨て損なったヒーロー願望であり、何かをやらなければならないという消えずに残った衝動なのだ。ありがちな悪あがきで十分だ、やらずにはいられないことが自分自身の内にあることを信じ続けたい。


だから僕たちは、あの頃のように歌うことにした。自己表現とか詩的な衝動とか、そういうのを抜きに、楽しく歌うことにした。僕たちは、歌を通じて社会に問いたいことも、言葉にできずに叫ぶ衝動もない。それでも何かをせずにはいられないので、歌おうと思う。あくまで利己的に、やらなければならないことであるかのように、さえずり続けようと思う。


三十路に入った男たちの、みっともない歌声で。
三十歳を過ぎた僕たちの、逃げ場のない生活の、やり場のない憤りを。