紺色のひと

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Don't trust over 30のおれ

川のすぐそばで水音を聞いている。


川を遡る魚が好きだ。
生まれた場所に戻り命を繋ぐロマン、なんてものではなく、流れに逆らって上る、という行為そのものに憧れを抱く。はじまりの場所を目指して遡る。遡上親魚にとって、リバーズ・エンドは河口ではなく、源流部なのだ。


とか。




今僕は、日付が変わって30歳になるのを待っている。静かなこころもちだと言えるだろう。川についてなにかを書こうとしていたのではないのだけれど、気持ちがそういうふうに集束してしまったのだから仕方がなかった。
それでも、昨日キーボードに叩きつけた焦燥感が消えたわけではなくて、未だに漫然と暮らすことへの不安みたいなものは胸にくすぶっているのだ。



いくつかの曲なんかのことを考えている。


ゆずの「もうすぐ30歳」を半年前に初めて聞いたとき、歌詞に共感できないことに驚きはなかった。
ゆず もうすぐ30歳(デイリーモーション動画)



僕の心にずっとあったのはムーンライダースの「Don't trust anyone over 30」で、曲中で繰り返される「30歳を過ぎた奴を信じるな」という言葉と、自分が”信じられない”大人として扱われることの違和感みたいなものが今もひっかかっている。
『一生今のパパの気持ちがわからなくてもいいから』!



スピッツに「君と暮らせたら」という曲がある。最後のフレーズでマサムネさんは『15の頃のスキだらけの僕に笑われて』と歌っていて、15歳になるとき僕は「今が『スキだらけ』の年齢なんだな、いつかそういうふうに今の自分を振り返るのかな」とか考えていた。今も良く覚えている。あれから15年も経ってしまった。


保坂和志「30歳になるまでなんて生きるなと思っていた」は、タイトルこそこんなだけれど、その年齢について彼独特の詰め方で書かれているわけではない。改めて読み直したけれど、本書よりもむしろ久しぶりに読んだ「プレーンソング」に昔自分で引いた下線に共感できないことのほうが興味深かった。



一応、僕なりに準備して30歳を迎えようとは思っていたのだ。ただ、関連するなにかをインプットしてみても、思考を叩きつけてみても、年齢に関すること…こと、それにふさわしいとか見合った行動とか、そういうのがうまく為されているかよくわからないし、僕自身がそれを求めているかどうかも自身がない。


ただひとつ確かなことがあった。

僕は見た目が実年齢より若い。Webだと(趣味やらなにやらのこともあって)むしろ上に見られがちだけれど、それはともかく。
僕はこの「若く見られる」ことにかなり重きを置いた戦略を取っていて、たとえば『誠実そうに見られる努力』だとかいうのがそれで、要は『若いのに偉いわねえ』と言われそうな行動を意図的に選択してきた節がある。

僕の30台への恐れのひとつが、この戦略を大幅に見直さなければならないことに起因しているのは間違いないだろう。
これは僕という人間がこれからどう生きてゆくか、ということとも密接に関わるので、むしろこれからの大きな課題と言っていいのだと思う。


いずれにせよ、僕はRe:Birthしなければならない。



今日から30歳。
川は流れている。僕はそれに逆らってゆく。