紺色のひと

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花の名という題名

ずっと、「あの花の名はなんだ」というタイトルの小説を書きたいと思っている。アニメ「あの花」が出てきたときは正直やられたと思った。それはともかく、寮を舞台にした私小説を書いたとき、同じ題の章を書き始めたが、友人の死についてうまく言葉にできなかった。



あちこちに出張が多い月で、あっという間に月末。夜にマチ子をお風呂に入れるのが楽しいが、それ以外の部分で妻をフォローできているか不安な部分はある。



「思い込みで話を進めることがあるよね」と妻に言われ、激昂しそうになる。それはもの凄く嫌な部分だ。



去年より忙しいわけではないはずなのに、生活に余裕がない。子どもが生まれたからとかではなく、自分のスタンスがブレ始めているのだと思う。



山形で暮らす友人から、結婚の報せが届く。相手のこともよく知っているので、ようやくか、と感慨深い気持ちになる。彼だけではなく、先輩や後輩で、あの町に根を下ろしてやっていこうとするひとたちが多く、好きな土地で生活してゆこうとしている彼らに羨望を抱くとともに、自分はなにをしているのだろうと焦りを感じている。



自分の生活を確立させないことには、思考すらままならない。生活に追われていては、思考すらままならない。
高校時代にああしたかったこうしたかった、というルサンチマンに追われる暇があるのなら、もっと今と先のことを考えるべきではないのか、と思ったりする。