紺色のひと

思考整理とか表現とか環境について、自分のために考える。サイドバー「このブログについて」をご参照ください

日本熊森協会のズレた「絶滅」観

飢えたクマを救うため、と主張し森へドングリを運ぶ活動を行った日本熊森協会の主張に、「ツキノワグマ絶滅危惧種だから保護しなければいけない」「絶滅危惧種を殺すなど言語道断」というものがあります。しかし、協会の主張を見ていくと大きな矛盾が見つかりました。「絶滅」に対し熊森協会が抱く観念は、保全活動を行うには不適切ではないかと考えました。


熊森協会がクマを守るべきとする理由

日本熊森協会(以下熊森)は、その活動を通じて、ツキノワグマの保護をとても重要視している団体です。「クマが森をつくる」という言葉に代表されるように、「クマの棲める環境を残し、他の全ての生物が生息可能な豊かな自然を守る」ことがその理由のひとつです。
さらに、「ツキノワグマ絶滅危惧種である」から保護すべきだ、との主張も多く見受けられます。この文言は、「絶滅危惧種なのに保護しないなんて(殺すなんて)とんでもない」という文脈で使われることが多く、行政批判に絡めて多く使われている印象です。なお、文脈によっては「兵庫県では絶滅危惧」など地域を限定した記述も見受けられますが、統一されておらず、意図的・非意図的なものなのかは不明です。

熊森は、無免許者の罠設置など認めないよう、環境省に電話をしました。
狩猟免許がなくても野生動物を獲るための罠を設置していいというようなことを、他の部署が言うならともかく、環境省が言い出すなど、言語道断です。クマを絶滅させます。

現在、罠免許所持者が増大しています。現地はイノシシやシカを獲るための罠だらけになっています。誤って絶滅危惧種のクマがかかることが後を絶ちません。本来、法的には、誤捕獲はその場で放獣です。しかし、実際はクマを放獣することは大変だとして、次々と射殺されているのです。環境省の担当者には、このような実態 を知っていただきたいです。
環境省は、これ以上クマが殺されることを、進めないでいただきたい。環境省のせいで、クマが滅びましたということになります。
わな規制緩和へ 環境省、指導あれば誰でもわな設置OKの方向へ−日本熊森協会公式ブログ くまもりNewsより引用(強調はブログ主)

ツキノワグマの「絶滅危惧」指定は、その地域個体群――つまり、全国的な種の存続ではなく、生息している地域ごとの群れが持つ遺伝的な多様性――を重視しているためであり、地域ごとの絶滅危惧をさも「全国の森からクマがいなくなる!」と言わんばかりの熊森の主張は不正確であり誤解を招く、と指摘しました。詳細については、拙エントリ「絶滅危惧種を殺しても罪に問われない!」をご参照ください。

熊森協会に賛同される方の中には、こういった協会の主張を鵜呑みにしてしまい、「全国の森からクマがいなくなってしまう」と認識されている方も散見されました。せっかくのクマを保護しようという善意が、協会の煽るような書き方によって認識を誤り、空回りしてしまうことになります。それはもったいない。

実際にツキノワグマの個体群が消失の危機にあるとされ、レッドリストで指定されているのは、下北半島紀伊半島九州地方四国山地西中国地域東中国地域の6地域です。



「突然ですが、ぼくダダックマ。文字ばかりのエントリに涼風を呼び込むためにやってきました」


熊森協会の「固有遺伝子」についての考え方

一方で熊森は、遺伝的多様性および固有遺伝子について、会員向けの会報内でこのような見解を述べています。2010年12月28日に発行された、くまもり通信第66号・9ページから引用します。

(ブログ主注:2010年11月の瀬戸市のクマ誤捕獲およびそれに伴う殺処分を受けて)
今回、隣接県にクマを放獣することについて、個体群の遺伝子が交雑されるとして、研究者から反対が入った。
(中略)
研究者の考えることが、必ずしも正しいとは限らない。この考え方だと、現地または、現地周辺での放獣が認められない場合は、絶滅危惧種であっても殺すしかないことになる。熊森のトラスト地は、今後も放獣に使えないことになる。
人間活動などで分断され生じた地域個体群の固有遺伝子の保全が、絶滅回避や個体の命の尊厳以上に重要なのか。

この引用部は、「隣県で捕獲されたクマをトラスト地に放獣できない理由は、研究者が地域個体群を過度に重要視するから」という論旨です。「重要なのか」と問いかけていはしますが、これは書き手、つまり協会の主張が「個体の命の尊厳のほうが、地域個体群の固有遺伝子の保全よりも重要だ」としている、と言い換えても問題はないでしょう。




ちょっと熱くなってきたので、脈絡なく今日公園で見かけたブチねこの写真を。




固有遺伝子保全 < 命の尊厳 とすることによる活動の矛盾

人間活動などで分断され生じた地域個体群の固有遺伝子の保全が、絶滅回避や個体の命の尊厳以上に重要なのか」。これは、協会の立ち位置を顕著に示した文言だと僕は思いました。以下で解説します。


熊森の主張は、【 固有遺伝子保全 < 個体の命 】です。
ところで、ツキノワグマが「絶滅危惧」とされている理由はなんだったでしょうか? ……そう、上記にもあるように、生息地ごとの遺伝的な多様性、つまり固有遺伝子を保全することが重要であるため、でした*1ツキノワグマは一種ですが、これまで各地域で生息し、世代交代を行ってきた結果、地域ごとに遺伝的な固有性が認められています。。「種としては全国的に分布しているけれど、それぞれの固有遺伝子の独自性を評価し、保全しよう」ということですね。

つまり、現在日本でツキノワグマが絶滅しそうだ、とされているのは、「種としてのツキノワグマ」ではなく、「特定地域のツキノワグマの固有遺伝子が失われる可能性がある」という意味です。前エントリでも指摘したとおり、クマ絶滅に関する熊森の主張の問題点のひとつは「地域個体群の絶滅と種としての絶滅を混同している」ことにあります。



これを踏まえて【 固有遺伝子保全 < 個体の命 】を見ると、熊森の主張は「クマが絶滅危惧種」である理由より、今そこにある命のほうが重いという主張であることがわかります。ツキノワグマの希少性そのものである「遺伝的な地域固有性」の重みを認めていない主張であると言えるでしょう。
つまり、「クマは絶滅危惧種だから保護しなければならない」とする自らの主張を、自ら崩していることになるのです。
このように絶滅に関する熊森の主張の問題点その2として、「クマが絶滅危惧種だから保護すべき」と主張する一方、絶滅危惧の観念である「地域固有の遺伝的特異性」を重要視しないという矛盾が挙げられます。


これは保全か、それとも愛護か?

「固有遺伝子の保全よりも、今失われようとしている命を守ることのほうが大切である」。上記会報の言い換えとしてはちょっと言い過ぎでしょうか。
言い過ぎではないような気がするのは、これまでの熊森の主張の中に、野生動物の捕殺を執拗に嫌ったり命を奪わざるを得ないハンターさんに対する非難が数多くあるからのような気がしますが、それはともかく。


「今そこにある命」に重きを置く立場としてすぐに思い浮かぶのは、そう、「動物愛護」の考え方です。熊森の主張やそれに賛同する方の考えには、この動物愛護の精神が深くあるのではないか、と僕は以前から感じていました。


もちろん、愛護が駄目というのではありません。命を貴ぶことはとても重要なことです。
ただし、ひとつの命を救うことにこだわりすぎると、そのせいで失われるたくさんのものが見えなくなってしまうことがあります。環境や種の保護・保全を考えるにあたっては、「その場で死にそうになっている命を救うことよりも、その命が継続的に生きていけるための環境そのものを守ること」に重きを置く必要があります。→参考:「絵本「どんぐりかいぎ」で学ぶ熊森ドングリ運びの問題点
熊森協会が主張する「森づくり」も、本来そのような観点に立った活動であるはずだと僕は思いたいのです。クマ保全のためには、クマが生息できる森づくりを行う。この考え方自体には、僕も大賛成です。問題は、森づくりを実行するその手法や観念に、偏った愛護精神とも呼ぶべきものが入り込み、結果として悪しき保全手法に成り果ててしまっていることです。



最後に、本エントリのまとめです。締めくくりは我が家の愛娘、プッセさん。ダンゴウオが気になって仕方ない模様。



まとめ

熊森および賛同者のバイブルでもあると言える「クマともりとひと」という冊子があります。会長:森山まり子氏によって書かれたものです。中にこんな一文があります。

いったんその地で滅びた動物を、よそから連れて来て再び復活させようという試みが、今まで世界中で1000例ほど行われたそうですが、すべて失敗に終わっています。その地で一度滅びたら、もう二度と取り戻せない。それが野生動物です。
日本熊森協会「クマともりとひと」p11より引用(強調部は原文ママ

熊森が行っているドングリ運びも、さほど重要視していないように思える地域の固有遺伝子の交雑も、この「その地で一度滅びたら二度と取り戻せない」ことの要因になり得るのだと、いや、直接的に「絶滅」に結びつきかねない行為なのだと、今一度自覚すべきだと僕は考えています。
「絶滅」という言葉は、非常に派手で、過激で、センセーショナルなものです。だからこそ、「どこで」「何が」「どのように」絶滅が危ぶまれているのか、という質的・量的な概念を把握しつつ、その地域や種に応じた対策を行うことが必須です。過激であると同時に、とてもデリケートなものなのです。
にも関わらず「クマが絶滅する」と錦の御旗のように振りかざし、賛同者の感情を煽るような用い方は、非常に不誠実であり、主張の信頼性を著しく損なうものです。ましてや、「絶滅危惧種なのに殺す」という言葉を盾にしてハンターや行政を仮想敵に据え、自らの主張の正当性を謳うのは、「少しでも命を守りたい」と熊森協会に賛同する方の善意を利用する行為です。
クマを、ひいては日本の野生動物を守りたいという気持ちは、熊森協会の内部の方も、賛同者の方も、そして僕も同じはずだと信じたいです。有効な保全手法のためには、どのような考え方をするべきでしょうか。ここまでお読みくださった皆さんの、考えるきっかけになれば幸いです。


*1:環境省レッドリストでは「地域個体群」での指定。兵庫県奈良県など、各県ごとのレッドデータブックで絶滅が危惧されている種として指定されているところもある。詳細は「絶滅危惧種を殺しても罪に問われない!」をご参照のこと。