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紺色のひと

思考整理とか表現とか環境について、自分のために考える。サイドバー「このブログについて」をご参照ください

俺の母がこんなに可愛いわけがない

生活

先日、祖父母の家に遊びに行ったとき、祖父が昔撮った写真をそっくりもらってきました。写っているのはまだ若い祖父母、そして残りのほとんどがふたりの娘たち、つまり僕の母や叔母を写したものでした。50年前の母の赤ちゃん時代があまりに可愛かったので、本人の許可の元ご紹介します。







母は昭和32年、札幌市で生まれました。祖父母にとっては初めての子供でした。まだちんちくりんな様子が見て取れます。twitterで教えてもらったところ、背後の花はジャーマンアイリス(アヤメの品種)かな、とのこと。



恐らく、母、一歳。実の母のことをこう言うのもなんですが、うわあ、めちゃめちゃ可愛い! 祖母も楽しそうです。恐らく、カメラを向けている祖父も笑っているのだろうなと思います。
あ、写真に日付が残っていないので、正確な年齢が不明なのはご容赦ください。



同じ頃、冬。こんな色の起き上がり小法師みたいなの、ありましたよね。半纏と前掛けというのは斬新なコーディネートに思えます。奥に見える長靴は多分冬用のものですね。




同じ年の冬。桃の節句のひな壇の前でポーズ。なぜかドヤ顔、それももの凄いドヤ顔です。僕の言う「例の起き上がり小法師みたいなの」は写真右上のアレです。



その一年後、再び桃の節句。妹が生まれて一緒に写真に写ります。僕は男兄弟だったので、このひな壇は母が成長してから登場の機会がなく、未だに祖父母の家のどこかに眠っているらしいです。




たぶんお気に入りなのであろう、白い犬のぬいぐるみと一緒に。ところで重ね重ねすみません、自分の母のことでなんですが、この子めちゃめちゃ可愛い。 個人的なベストショットなので、タイトルにも使わせていただきました。




恐らく同じ日の写真。なぜか泣く母と、なぜか大笑いする妹。この妹こと叔母は、未だにこんな顔で笑います。
ふと思いましたが、叔母のこの顔は「まさに外道」の赤さんと完全に一致してる…!




雪道で、母の従兄と。防寒着やバケツが年代を感じさせます。昨年、森ガールの衣装を探しに市内の生地屋さんに行きましたが、こういう柄の生地って今もあるのでしょうか。




母と従兄、もういっちょ。道路はまだ未舗装のようです。




着ているものが同じなので、同じ日の写真と推察されます。家の玄関先でポーズ。そこはかとないドヤ顔。さっきから唇をきりっと結んだ顔が多いので、きっとこの頃のキメ顔だったのでしょうね。




雪が融けて、着ているものも大分おねえさんっぽくなってきました。ほっぺた落ちそう。




妹と。なんだか大きな乳母車のようなものに乗っています。母と叔母はこの乳母車に覚えがあるようですが、どういう用途のものなのかはよくわかりませんでした。
背後の赤い曼珠沙華みたいのはユリの仲間かな、と思っていたら、また清右衛門さんに教えてもらえましたコオニユリユリ科の園芸種じゃないかしら、とのことです。集合知すごい! 多分ポジフィルムの色変色と僕の色調調整でオレンジが赤に見えているのですね。




再び冬、すっかり女の子らしくなった母と妹。




最後の写真です。
まあ! 随分と大人っぽくなって! 赤いコートと、足元のふわふわは雪下駄でしょうか。





以上、子供時代の僕の母でした。50年後の現在も確かに美人ですが、これほどの子供だったとは…。
祖父の写真には、弾数は少ないものの当時の札幌の街並みなどが写ったものもあったので、3点ほど紹介します。




こちらは祖父によると「大通であったお神輿」とのこと。右上に「札幌神社御祭禮」とあります。現在の北海道神宮のお祭りの様子ですね。




札幌市内南部に位置する、定山渓温泉郷。何というか、雪に埋もれてて古さがよくわかりませんね。




札幌円山動物園のゾウ。恐らく2007年に老衰で死んだアジアゾウの「花子」と思われます。花子は昭和28年に札幌に来たとのことなので、来てから6〜7年目くらいの写真でしょうか。
アジアゾウの「花子」が天国へ旅立ちました−札幌円山動物園

あ、一部スキャン時にデータが欠損しています。取り込みやり直しだ…。





それにしても、50年前の写真がぽろんと出てくると、いろいろなことを考えます。僕も妻も写真を撮るからです。
果たして僕たちに子供が生まれたとして、その子供が大きくなって結婚したとして、孫が生まれたとして、その孫が大きくなって結婚したとして…。その孫に、僕たちが撮った写真を見せることができるでしょうか。毎日のようにお互いにカメラを向け合って、そうなればいいよね、と僕たちは話しています。子供に昔の写真を見せて話ができるような、そういう未来があっていいのだと、強く思っています。
報道写真のような力強さはなくとも、グラビア写真のようなインパクトはなくとも、お互いの幸せな時間や時代を写し取ることができたなら、どんなに嬉しいことでしょう。そういう未来に向けての努力は、たしかに必要なのです。
これらの写真を撮った祖父のカメラは名機として名高いライカⅢf。3年前に僕が譲り受けました(ライカでいず−紺色のひと)。僕も、こういう家族の歴史を残せたらいいと思っています。

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