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紺色のひと

思考整理とか表現とか環境について、自分のために考える。サイドバー「このブログについて」をご参照ください

毎日新聞さん、熊森ドングリ運びはただの美談ですか?

本エントリは、熊森協会によるドングリ運びを改めて批判するとともに、好意的で一面的な報道を行う毎日新聞ほかメディアの報道姿勢に疑問を投げかけるものです。
昨年秋から冬にかけて、テレビなどで「ツキノワグマの出没増加」が集中的に報道されました。そして、実践自然保護団体日本熊森協会がその対策として実施したヘリコプターでの大規模な「ドングリ運び」も、飢えたクマへの食糧援助としてセンセーショナルに報道されました。


雪が降り、ドングリ運びも報道も落ち着いたと感じていた1月8日、毎日新聞から次のようなニュースが。全文を引用します。


餌不足のクマのため山にドングリをまこうと、群馬県高崎市自然保護団体が昨秋、全国に協力を呼び掛けたところ、まききれないほどのドングリが集まった。クマが冬眠に入った今も寄せられており、大型の段ボール箱で計約300箱分、約3.5トンに達している。目覚めた時に少しでも餌の足しになるようにと、団体は春の訪れを待って再び山にドングリをまく。
呼びかけたのは「日本熊森協会群馬県支部」。川嵜實支部長によると、昨秋は夏の猛暑の影響でブナやミズナラになるドングリが不作となり、各地で人里に出没するクマが相次いだ。中には駆除されたクマもいた。
こうした悲劇を少しでも減らそうと、支部は昨年10月からドングリを募集。ミズナラなどの林は市街地周辺にも多くあり、北海道から九州まで全国各地の3000人以上からドングリが寄せられた。その多くに「クマさんに届けて」「子どもと一緒に拾いました」などのメッセージが添えられていた。
支部は寄せられたドングリを昨年10〜11月、12回にわけて群馬県内の42カ所にまいたがすべてをまききれなかった。当初の募集期限の昨年11月末を過ぎても送られ続けており、春にも再び県内の山にまくことを決めた。川嵜支部長は「善意のドングリがこんなに集まり感激した。クマに贈り主の皆さんの気持ちを届けたい」と話している。
ドングリは同支部(住所・電話番号)へ。【鳥井真平】
ドングリ:餌不足のクマのため山にまこう 群馬・高崎−毎日jpより引用、電話番号等は省略した。着色はブログ主による

前橋支局、鳥井真平記者による署名記事です。




【再掲】【ドングリ運びをしてはいけない理由】

僕は、熊森ドングリ運び活動は”野生動物への餌付け”と同義であり、クマと人間の双方にとって問題がある活動だと感じています。昨秋より本ブログおよびtwitter上において批判を行ってきました。また、熊森協会の活動に対し、有識者や自然愛好家などから「問題がある」との指摘があるにも関わらず、好意的な報道を繰り返すメディアに対しても疑問を抱いてきました。
前エントリでまとめたドングリ運びの問題点について再掲します。

熊森が今秋実施した通称「ドングリ運び」は、「食糧が無くて人里に出てこざるをえないクマをはじめとする山の動物たちに届け、人間のところに出てこないようにする」ための活動だそうです。このドングリ運びは「山の実りの凶作年に、ドングリを運び、クマが人里に出てきて殺されないようにすることは、餌付けとは全く別のものです」とされ、無計画な餌やりとは一線を画すものであると主張しています。


しかし、ドングリ運びが初めて実施された2004年から「クマを助けるどころか生態系に悪影響を与える」として各所*1から批判されています。
なぜかというと、ドングリ運びが「森林生態系、他の動植物、クマが出没する地域に住む人間」にとって問題のある行為であるだけでなく、「クマを助けるための活動としても効果があるか疑わしい」行為であると思われるからです。
具体的には、

  • ドングリ運びは「本来そこにあるはずのない餌を野生動物に与える=餌付け」であり、動物にとって人間との距離感を失わせる危険な行為であるということ
  • 人里近くに餌を持ってくることで、山に返そうとしているはずの運動がむしろクマを人里に近づけてしまう可能性があること
  • 都会の街路樹・公園など別の場所にあったドングリを山に持ち込むことで、ドングリについていた虫や他の土地のドングリそのものにより、生物多様性を守るうえで非常に重要な地域固有の遺伝子が失われる可能性があること

などの観点から批判されています。
僕は熊森ドングリ運びを、特に”野生動物への餌付け”という点からクマと人間の双方にとって問題がある活動だと感じています。

仮に、秋に大量に集めたドングリを腐らせず、病原菌を発生させずに保存し、今秋のように山に運ぶことができたとしましょう。春先の山のあちこちに、10キロ20キロのドングリの山ができることになります。凶作だったはずの翌年に、芽も根も出さず大量に積まれたドングリ……。これが不自然でなくてなんでしょうか? 本来であれば山菜や若芽を食べる時期のはずですが、随分と食べ応えのありそうなドングリがそこかしこに山積みに。
この活動はクマにペットフードをあげて「お腹が一杯になったね、よかったね」と自己満足しているだけのものだと言いたいのです。それで、この後クマはどうなるのですか? あるはずのなかったドングリを探し求めるのですか? そうしたらまたドングリを運ぶのですか?
……いつまでそんなことを続けるつもりですか? クマはあなた方のペットではありません。自立して生きる野生動物なのですよ。
熊森関東支部の「春にもドングリをまく」案に反対します−紺色のひとより引用


また、アイヌ最後の狩人とされている姉崎等さんはその著作「クマにあったらどうするか―アイヌ民族最後の狩人姉崎等」の中で、「ヒグマは冬眠前、枯れた植物質のものを食べて『止め糞』をつくり、肛門に栓をして冬眠する。目覚めてからフキノトウなど柔らかいものを食べ、発生したガスで栓を飛ばす」と述べています。この話の科学的根拠やツキノワグマでの例などは僕は存じませんが、冬眠明けの春先にドングリなんて食ったらさぞ消化に良くないだろうなぁ、と感じます。


なお、これまでの有識者による批判としては、福井大学教育地域科学部 保科英人洵教授による「保科英人(2004) 野生グマに対する餌付け行為としてのドングリ散布の是非について〜保全生物学的観点から〜(pdf)*2や、横浜国立大学大学院環境情報研究院 松田裕之教授(2012年現在 日本生態学会会長)による「熊森協会へのドングリ輸送中止の要望に関する提案(2004年)」などがあります。



【熊森協会とメディア】

これまで熊森協会の活動は新聞・テレビなど多くのメディアで報道されてきましたが、いずれも内容は好意的で、上記の問題点に触れたものはほとんど見られませんでした。
この原因のひとつに、熊森協会の対報道姿勢があると僕は感じます。熊森協会Webには、「マスメディアのみなさんからの当協会取材受付条件」と題する項目が掲げられています。引用します。

マスメディアのみなさんからの当協会取材受付条件
1、人間による森林破壊の最大の被害者である哀れなクマを、 絶対に悪く報道しない
(空腹に耐え切れず、しかたなく人前に出てきたクマたちを追い掛け回して面白おかしく報道するなど、問題外。臆病なクマをパニックに落としいれ、人身事故を多発させています)
2、現象だけでなく、なぜこんなことが起きているのか、正しい原因を報道する
3、これからどうしていけばいいのか、解決法を報道する
日本熊森協会−マスメディアのみなさんからの当協会取材受付条件より引用

もちろん、ここで言う『正しい原因』『解決法』というのは『熊森協会が主張する原因と解決策』のことであり、「こちらの主張どおりの報道をしないと取材は受けない」というある種異常な姿勢が現れています。
この姿勢に問題があることは言うまでもありませんが、「自然保護団体を自称している団体が、明らかに生態学的に誤った活動をしている」ことを知ってか知らずか、団体の主張を鵜呑みにしてそのまま報道するのは、ただの広告塔に過ぎないと僕は感じます。
ちなみにGoogle検索窓に「熊森」と入れると、予測検索に「批判」「カルト」「おかしい」なんて出てくるような状況です。webでの意見が絶対的に正しいなんて思っていませんが、そういう検索語を用いる方が一定数いるような団体だ、という見方もできます。


熊森協会のドングリ運びは、「全国から届けられたドングリを有志が山に運び、お腹をすかせたクマさんに届ける」という美談ですが、大きな矛盾や問題点をはらんでいます。「いい話だね、クマさんもお腹いっぱいでよかったね」なんて紹介で終わってしまうのは、「野生動物と人間はどう付き合うべきか?」という問題の本質から目を逸らした思考停止に他なりません。
ちょっと調べれば、分かり易い問題点の指摘がいくらでも見つかります。毎日新聞のみならず、提灯記事とも言える好意的な報道を続けるメディアに、僕は「それでいいのか?」と強く疑問を感じます。



ところで、毎日新聞は地方版において、昨年11月に現場から記者リポート:クマ出没 消えた人里との境界 /滋賀という記事で獣害について触れ、滋賀県立大学の野間教授に取材をし

獣害はなぜ深刻化するのか。研究を続ける県立大環境科学部の野間直彦教授は「集落が野生動物を呼び込んでいる」と話す。過疎化した休耕地がやぶに覆われ、人里との境界が消えてしまった、というわけだ。野間教授は「サルやクマは木の実だけでなく、放置した農作物や生ゴミも食べる。無意識に餌付けしているようなものだ」と指摘する。

とのコメントを引き出しています。本記事は人間と野生動物の適正な距離を取り戻し、境界を設けるべきだとの論調で書かれており、大変頷ける内容だと感じました。鳥井記者にも見習っていただきたいです。


ちなみに、僕の観測範囲内において、「熊森ドングリ運び」について、手法や効果には賛否両論ある、との論調で記事を書いていたのはJ-CASTニュースさんのみです(下記※追記参照)。
クマを救えと山にドングリまき 生態系乱すか否かで議論−J-CASTニュース
双方の主張がどうあれ、山にドングリを運んでいる時点で餌付けや給餌と同義で、「クマやその他の動物の個体数を人為的に変動させかねない行動」として批判の対象になると僕は考えますが、本記事が熊森会長森山氏の発言のみでなく、環境省の担当者の方の発言も併記している点は評価できます。結果的に、森山会長の発言のおかしさや論点のズレが浮き彫りになっている印象です。



※追記(1/10)
1月10日付けの産経新聞に、熊森の活動および環境省による指摘を併記した記事が掲載されました。

森山は「出てきたクマを殺すのは生態系への人為攪(かく)乱(らん)」と指摘した上で次のように強調した。「クマは森の生態系の頂点。自然界のバランスを壊した人間と動物とのすみ分けを復活させたい」
しかし、ドングリ運びには批判も多い。環境省は野生動物が人里へ出没する理由の一つとして餌付けを挙げて中止を呼びかける。人間が与えた餌や放置したゴミに野生動物が依存している−というのだ。
だが、協会は「餌付けの目的は人間のところに引っ張り出してくること。ドングリ運びは奥山からクマが出てこないようにすることだから餌付けではない」と否定する。
【ボーダー その線を越える時】(9)自然の境界 野生クマへの餌やりは保護かより引用した*3


熊森の活動を少しでも知っている方なら、この森山会長の言に矛盾があることがわかります。熊森のドングリ運びによって、ドングリは奥山だけでなく、集落にほど近い裏山や、林道のすぐ脇にも撒かれているからです。

今年のどんぐり運びは、山だけではなく、、現地の方々に教わりながら、クマが集落にでてくる道の奥にも置いています。集落の裏山に置く場合は、簡単ですから、はじめての方でもご参加いただけます
日本熊森協会 知らせたい事 > どんぐり運びについて > どんぐりを運ぶより引用(強調はブログ主による)

おまけに、熊森では「奥山は(クマがいなくて)からっぽ」とも表現しており、いったいどこに何のためにドングリを運んでいるのか、既に団体の発言の中すら矛盾が生じている状態です。産経新聞の記事は、こうした矛盾にまでは言及していないものの、「活動に批判が多い」と明言し、餌付けに対する野生動物の依存についての意見を載せた点が評価できると感じます。




※追記(1/13)
究・求・救・Q:餌不足によるクマ被害問題 ドングリまくより植樹 /岡山 - 毎日jp(毎日新聞)
毎日新聞岡山版に、ドングリを山中にまく行為は野性動物への餌付けであり、他の場所で採集したドングリを山に持ち込むことは生態系を壊すことにつながるとの専門家の言を紹介した記事が掲載されました。石戸諭記者の署名記事です。

一部の自然保護団体は「餌不足のクマを救おう」と全国から集めたドングリをまく活動を始めた。群馬県では3・5トンのドングリを山中にまく計画がある。環境省鳥獣保護業務室は「市街地や他の生態系で採れるドングリを別の山にまくのは生態系保護の観点からみて大きな問題がある」と注意を促す。

野生クマの保護に取り組むNPO「日本ツキノワグマ研究所」(本部・広島県廿日市市)の米田(まいた)一彦理事長は「動植物の研究者はドングリまきに反対している。善意のつもりの餌付け行為が、結果的に人間とクマの距離を近づけて、双方に被害が出る」と警告。クマが、人間のまく餌の味を覚えて人里に現れることの危険性を指摘し「中国地方で(クマの好物である)柿が山中にまかれたという情報もある」と語る。そして、米田理事長は「ドングリができやすい環境を作る植樹が望ましい」と提案する。
究・求・救・Q:餌不足によるクマ被害問題 ドングリまくより植樹 /岡山 - 毎日jp(毎日新聞)より引用)


「善意の副作用」に触れつつも、その善意を否定することなく、最良の方法を模索しようとする方向性となっています。良記事だと感じました。



【再掲】【熊森の活動に対する、これまでの僕の主張・まとめ】

最後に、この熊森ドングリ運びに関連した、僕のブログエントリを再掲します。興味のある方はお読みいただけると嬉しいです。


野生のクマをなんとか助けたいと考える皆さんへ(10/10/24)
飢えたクマに餌を届けることが、本当にクマのためになるのだろうか?」というテーマで、自然保護観について考えました。

  • 野生動物は、厳しい自然の中で孤独に、しかし強く生きています。クマに餌を運んで“あげる”活動は、自立して生きている命を上から見下ろした、駆除や殺処分と同様の傲慢な行為だとは思いませんか?
  • 飢えたクマに餌を与えることで、餌を食べたクマはその冬を生き延びるかもしれません。冬眠の季節を終え、春になるとメスのクマは子供を産み、個体数は増えることでしょう。では、その翌年はどうでしょうか? このやり方を続ける限り、個体数は増え続け、クマは人間の与える餌に依存していることになります。果たしてそれは、自然な状態と言えるでしょうか?
  • 飢えたクマに餌を与えることで、クマは無事冬を越せるかもしれません。でも、お腹をすかせているのはきっとクマだけではないはずです。クマやドングリを餌とする動物だけに餌を与えて、森にすむ他の様々な動物たちを無視するのは、自然保護として不公平ではないでしょうか?
  • 「(ドングリ運びがたとえ)焼け石に水でも、1日1頭のクマを救うために」活動を続けているそうですが、人間が餌をくれることを覚えたクマが「もっと餌をくれ!」と人里に下りてきてしまったら、活動は逆効果になる可能性はないでしょうか?

熊森関東支部の「春にもドングリをまく」案に反対します(10/12/13)
熊森関東支部の春にもドングリをまく・天皇陛下に手紙を書いてクマを天然記念物指定にしたいとの活動計画に対して、改めてドングリ運びの問題点を指摘しました。

仮に、秋に大量に集めたドングリを腐らせず、病原菌を発生させずに保存し、今秋のように山に運ぶことができたとしましょう。春先の山のあちこちに、10キロ20キロのドングリの山ができることになります。凶作だったはずの翌年に、芽も根も出さず大量に積まれたドングリ……。これが不自然でなくてなんでしょうか? 本来であれば山菜や若芽を食べる時期のはずですが、随分と食べ応えのありそうなドングリがそこかしこに山積みに。
この活動はクマにペットフードをあげて「お腹が一杯になったね、よかったね」と自己満足しているだけのものだと言いたいのです。それで、この後クマはどうなるのですか? あるはずのなかったドングリを探し求めるのですか? そうしたらまたドングリを運ぶのですか?
……いつまでそんなことを続けるつもりですか? クマはあなた方のペットではありません。自立して生きる野生動物なのですよ。

絵本「どんぐりかいぎ」で学ぶ熊森ドングリ運びの問題点(10/11/27)
かがくのとも絵本「どんぐりかいぎ」を読み解き、種子の繁殖戦略からドングリ運びの問題点を指摘するとともに、代案の必要性について考えました。

「どんぐりかいぎ」では、ドングリが凶作の年には、何らかの理由で増えすぎた動物たち――リスやネズミ、それにクマ――を少し減らし、適正な個体数に戻す役割がある…とされていました。そこにドングリをまいてしまうとどうなるでしょう?
ドングリ運びは森全体にとって「余計なお世話」であると言えるのです。
自然保護や環境保全を考えるにあたっては、その場で死にそうになっている命を救うことよりも、その命が継続的に生きていけるための環境そのものを守ることを考える必要があります。「緊急」「お腹をすかせたクマ」「かわいそう」などの言葉に惑わされ、ひとつの命を救うことにこだわりすぎると、そのせいで失われるたくさんのものが見えなくなってしまうのです。

「クマがかわいそうだから殺さないで」と感じる皆さんへ(10/10/31)
僕の体験談と、山里に暮らす方の手記から「クマはかわいいだけでなく恐ろしい動物でもある」こと、日常的にクマの恐怖に怯えている方に対し「かわいそうだから」と保護を訴えることの意味について考えました。

想像して、考えてみて欲しいのです。実際にクマの被害を受けている方にとって、「クマを排除して欲しい」という願いは不自然なものでしょうか? 自分の命や財産が失われる危機が迫っている方に対して「クマの命の大切さ」を説くのは、はたしてどのような印象を与えるでしょうか?
クマはとても愛らしく、命にあふれた力強く美しい生き物です。そのクマが捕獲されたり殺されたりすることには、何かしらの理由があります。「かわいいから」「かわいそうだから」と言う前に、クマの恐ろしさについてもよく知り、想像力を持って対策を考えてゆくことが必要ではないでしょうか。

*1:僕の知る限り、批判を行っているのは自然愛好家や他の環境保全団体、大学教員などの知識人、そして僕のような自然好きのブロガーなど様々です。

*2:一部で「熊森と保科洵教授が記者会見し『自分が間違っていた』と熊森協会に謝罪した」という噂が流れていますが、謝罪は根拠のないものです。ご本人は「熊さえ良ければ他の生物はどうなってもいいという考えに賛同した覚えはない」と言っていた、というコメントや論文が撤回されていないことなどを勘案し、僕個人は「熊森側が保科洵教授との会談の際、発言を曲解し流布しているのではないか」と考えています。

*3:文中「森山」は熊森会長:森山まり子氏のこと