紺色のひと

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2010年、僕たちのソフトパレード

僕にとって大晦日というのは、積極的に一年を振り返る数少ない機会だ。別に「過ぎたことは済んだことさ、明日しか見えねぇ」と思っているわけではなくて、日々に追われて振り返ることができていない、というだけの理由なのだけれど。
毎年大晦日は実家で過ごしている。去年からはそこに妻も加わり、ただでさえやかましい正月がよりにぎやかなものになった。今年もそうするものだと思っていたのだけれど、今朝から発熱し、病院で薬をもらう羽目となった。妻が僕の母に電話をすると「珍しいね」と笑われたという。ともかく、今年の年越しは妻とふたり、僕たちのアパートで過ごすことになった。僕は寝込んでいるばかりだけれど、いつも通りの雰囲気で年越しを迎えるというのは面白い。


思い返せば大学二年、19歳の頃に、寮の友人がHTMLを組んでいるのを見て自分もやってみたくなり、テキストサイトのようなものを始めたのが最初だった。その後いくつか移転したり名前を変えたりしながら、細々と詩や小説を書いていた僕は、アンテナに釣られてはてなサービスを使用するようになり、ブログを書き始めた。そのうちサイトを更新しなくなり、はてなダイアリーが主たる活動場所となった。08年からはブックマークの利用も始め、特にニセ科学批判に関する話題を積極的に収集するようになり、そこで出会った皆様に大きな影響を受けた。同年、初めてのホッテントリ入りを果たした。


そして2010年。今年は色んなことがあったので、web活動を中心に、一年を振り返ってみる。


●一月●

妻が初めて僕の実家で年越しをした。母がつくったおせち料理を記録した。
2010年アサイ家のおせちを淡々と記録するよ


●二月●

ホーリーランド』を読んでいて「そういや少林寺拳法が漫画の題材になってるのってあんまり見ないな」と思い、「マンガにみる少林寺拳法」としてまとめてみた。


●三月●

これまで僕にとってのはてなダイアリーは思考整理の場であったが、はてブを通じて多くの記事を目にし、考えが変わり始めた。この頃から、自分にとって大きな興味分野である生き物や環境分野についてブログで取り上げることを解禁することとした。
3月10日、佐渡島でトキの繁殖ケージにテンが侵入したニュースを受け、「そもそもなぜトキを殖やすのか」そして「テン侵入と外来生物問題」についてエントリを書いた。
トキの襲撃事故からみる外来生物問題〜その1.なぜトキを殖やすのかその2.誰が殺したニッポニア


●四月●

一週間、トルコに旅行した。僕にとっては初めての海外であり、事実上の新婚旅行である。旅行記を書いたら大変ご好評いただき、ブクマが伸びるのを妻(はてなユーザーだった)と歓声を上げて眺めていた。

妻がトルコへ行きたいと言った。彼女が何処其処へ行きたい、というのはごく日常的なことなので、いつ言われたのかは覚えていない。
「子供を産んだり、今後人生に転機が訪れたら、きっと遠くへ行くのは難しくなると思うの。私、トルコに行きたい」
その話を聞いたとき、僕には反対する理由も、賛成する理由もなかった。「ああ」とだけ返事をした。あえて言うのであれば、賛成する理由は妻が喜ぶこと、だ。とにかく、僕は積極的ではなかった。なぜかと言えば、語学力に甚だ自信のない僕にとって海外に行くというのはひとつの恐怖であったし、国内に行きたいところがあまりに多すぎて海外の旅先のことなどほとんど考えたことがなかったのだ。
なんでトルコなの? 僕が聞くと、妻は「だって三大美食のひとつだし」と言った。言い切った。正直なところ、その程度の理由で海外に行きたいという欲求が成立し得るのかは非常に疑問だったが、旅のみならず日常生活においても、おいしいものを食べたいという妻の欲求は非常に大きいものであることを思い出し、僕は納得した。一年前、山形に連れて行ったときも妻は「クラゲラーメンと酒」という理由で快諾したのだから。

トルコ旅行記は全5回に及ぶ長編エントリとなり、完結したのは8月となった。

トルコで僕はなにを考えようとしていたか(トルコ旅行記その1) カッパドキアの地と空と(トルコ旅行記その2) サフランボルのドアをあけたよ(トルコ旅行記その3)
飛んで跳んでとんで!イスタンブール(トルコ旅行記 その4) トルコで僕は考えなかった(トルコ旅行記 最終回)



●五月●

天気のいい日が続き、妻と写真を撮りに出かけることが多くなった。連休に美唄市宮島沼へ出かけ、マガンの渡りを見た。
美唄・宮島沼に天然記念物マガンの渡りを見にゆく
bibai
その他、弟の彼女に会ったりした。



●六月●

友人の結婚披露宴が続く。暑くなってきた割に体の脂肪が落ちないので、近所の体育館にサンドバッグを叩きに行ったりする。妻とは相変わらず写真を撮りに出歩いたりしている。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を借りてきて観る。大学の友人がドクに似ていることに気づく。



●七月●

妻と義妹と小旅行をしたり、母校の学校祭に出かけたりした。所用で大学の頃に暮らしていた町を訪れ、以前から温めていた計画を実行に移した。そう、もし森ガールがゆるゆるファッションで実際に『森』へ入ったらどうなるの?」かを試してみたのである。

このエントリは、なぜか皆様に大変ご愛顧頂くこととなった。解析をつけていなかったのでアクセス数やリンク元などは定かでないのだが、コピペブログのみならず、ファッション系、林業系の方にも多く読まれた様子だった。はてなダイアリーtwitterとの連携を始めた頃であったこともあり、twitterでも多くRTされた印象だった。このエントリを境に、林業クラスタの皆様から多くのフォローを頂いた。またガジェット通信さんに初めて寄稿した。
多く読まれたこともあり、森ガールにおける森と一般の方の考える森に差があることを指摘した補足エントリ森ガールにとっての『森』を考える〜「もし森」補足としてを書いた。ちょうど出張中であり、焦りながら書いたのを覚えている。
月末、来札したid:natsumotoさんと飲んだ。


●八月●

月の頭に幼馴染が父を亡くした。哀しいこともあったが、僕たちは変わらず元気です。ライジングサンロックフェスに行ったり、市内の山に低山行に出かけたりした。盆に、来年結婚する従弟が帰札し、彼女の惚気話などを聞く。



●九月●

友人の結婚披露宴で栃木に行ったり、東京でひとと会ったりした。
9月はあちこち行ったということ
_MG_3909


月末、双子同然で育ってきた従兄が結婚した。自分のコンプレックスを断ち切るべくエントリを書く。
さらば従兄の背中よ、ケムール人よ



●十月●

僕たちの披露宴から一年が過ぎたので、妻と記念写真を撮った。またサケ科魚類と萌えについて真面目に考え、擬人化について考察した


10月半ば、宇多田ヒカルさんのつぶやきに端を発し、日本熊森協会のドングリまき活動がwebでも広く知られるようになった。強い憤りを覚え、活動の批判に参入。生態学的見地から糾弾するのでなく、ライトな賛同者層や興味があるけど正しいかどうかわからない層を想定し、語りかけることに主題を置いてエントリを書く。
野生のクマをなんとか助けたいと考える皆さんへ
「クマがかわいそうだから殺さないで」と感じる皆さんへ
「かわいそう」をガジェット通信さんに寄稿した。初めてyahooからのアクセスがあり、獣害関連のまとめに取り上げられる。


月末、初めて登別温泉に遊びに行く。煙を吹く周囲と遊歩道を眺めながら、「地獄への道は善意で舗装されているのだなぁ」などと考える。


●十一月●

twitterでも家庭でも主な話題がクマ関連となり、妻に苦言を呈される。
熊森協会がなんとドングリをヘリで空輸し山奥にばら撒くというトンデモない行動に出たので、絵本を通じて問題点を指摘する。
絵本「どんぐりかいぎ」で学ぶ熊森ドングリ運びの問題点


友人の二周忌。一年ぶりの顔合わせ。


●十二月●

まだクマの話題を引きずる。
熊森関東支部の「春にもドングリをまく」案に反対します


降って沸いたようにクニマス発見の話題がtwitterで流れてくる。興奮のあまり、報道当日に解説エントリを書く。
ギョギョー!「クニマス絶滅してなかった!」の何が凄いの?
「さんをつけろよデコ助野郎」定型文に関連して、NHKtwitterアカウント絡みでも話題が広まる。再びyahooからクニマス関連でアクセスが増える。



クリスマスを前に、あまり覚えていない幼い頃のことを思い出したので書く。必要性もないのに女装する。
僕の「サンタの存在証明」


一年で、随分読んでいただけたようだ。



総括

web活動に理解の深い妻のもと、いろいろと記事を書いた。この一年ですっかりブロガーになってしまった、という自覚がある。僕の日常はそれだけではないけれど、生活の大きな部分を占めているのもまた事実だ、ということを思い知らされた。


年末には、写真家の藤代冥砂さんが家族を撮った写真集「もう、家に帰ろう」で書いていた言葉をいつも思い出す。

私たちのソフトパレードは続いてゆく。

そう、続いて、続けてゆければいい。