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紺色のひと

思考整理とか表現とか環境について、自分のために考える。サイドバー「このブログについて」をご参照ください

絵本「どんぐりかいぎ」で学ぶ熊森ドングリ運びの問題点

■本エントリは、福音館書店の絵本「どんぐりかいぎ」を読み解きながら、日本熊森協会のドングリ運び活動を強く批判するものです。ドングリ運び活動に参加・賛同された方や、小さいお子様が周囲においでの方に読んでいただきたいです。


【はじめに 熊森協会のドングリ運び活動に関するニュース】

去る11月24日、兵庫県に本部を置く団体「日本熊森協会」が、山にヘリコプターで約1トンものドングリをまいたとのニュースが流れました。


報道したのはANN(テレビ朝日)で、当日の報道ステーションでも同内容が特集され、twitterなどでご覧になった多くの方の反応を見ることができました。ニュースの内容や熊森協会(以下「熊森」)の主張をまとめると、以下のようになります。

  • まいたもの:日本全国から送られたドングリとクリ、計約1トン。ドングリは都市部の公園などから集めて送ってもらった。
  • まいた場所:富山県上市町の、日本熊森協会が所有する670ヘクタールのうち尾根の3箇所(それぞれ10km間隔)。
  • まき方:約1トンを3回に分け、ヘリコプターで山中に運搬し、バゲットを地表近くまで降下させ、クマの通り道と思われる箇所に「積み下ろした」。
  • 活動について:ドングリが凶作だった2004年、2006年に続き3回目。ヘリコプターの使用は初めて。
  • 団体の主張する目的:餌不足のクマに食糧を届けるため。根本的な解決にならないことはわかっているが、緊急避難的な措置である。

情報元:
北國・富山新聞ホームページ - 富山のニュース クマの餌、上市町の奥山に空輸 日本熊森協会 人里出没を防止
日本熊森協会 くまもりNews-読売新聞ークマさんドングリ食べて!餌不足は人災と1トンほか


僕は熊森のドングリ運び活動について、ドングリを山中に運びクマに与えることは、クマへの餌付けと同じであり、野生動物との関わり方として非常に問題が大きいものだと考えています。詳細は僕のブログエントリ「野生のクマをなんとか助けたいと考える皆さんへ」をご参照ください。
本エントリでは、絵本「どんぐりかいぎ」を読み解き、ドングリ運び活動の数ある問題点のひとつについて考えてみたいと思います。



【絵本「どんぐりかいぎ」を読み解く】

どんぐり かいぎ (かがくのとも傑作集 どきどき・しぜん)

どんぐり かいぎ (かがくのとも傑作集 どきどき・しぜん)

本書は、「かがくのとも」「たくさんのふしぎ」等のシリーズで有名な福音館書店から発刊されている絵本です。著者のこうや氏は、他にも「どんぐり」「だいず えだまめ まめもやし」など、種子にまつわる絵本を書いておいでです。
なお、当段落における引用部は、すべて本書「どんぐりかいぎ」こうやすすむ・文、片山健・絵(福音館書店)からの引用となります。


この絵本には、前書きとしてこんな文章が載せられています。

どんぐりが たくさん おちているところを みたことが ありますか。

きたの くにの どんぐりの もりの なかでは、
どんぐりが たくさん なる としと、すこししか ならない としが 1ねんおきに あります。
たくさん なる としを 「なりどし」、
すこししか ならない としを 「ふなりどし」といいます。

どうして 「なりどし」と「ふなりどし」が あるのでしょうか。
この おはなしは わたしが かんがえた その わけです。


ドングリ…ナラやカシの仲間では、年によって種子の出来が異なることが知られています。この出来を豊凶と呼びます。ドングリの種類によって豊凶の頻度は異なりますが、何年かに一度、数種類のドングリの凶作が重なり、秋に山に存在するドングリの量が極端に少なくなる年があります。今年2010年はその凶作年にあたり、各地で報じられているツキノワグマの出没増加はこれが原因のひとつ(あくまで一因)であると考えられています。もちろん地方によっても豊凶の状況は異なるため、全国的な傾向だとは一概に言えません。
さて、絵本「どんぐりかいぎ」は、森のドングリの木の視点から、豊凶がなぜ生じているのか解説する内容となっています。

どんぐりのきたちは、あきに なると、たくさんの どんぐりを おとしていました。
もりの どうぶつたちが やってきて、このどんぐりを うれしそうに たべるのを、どんぐりのきたちは これまた うれしそうに みていました。


なぜ、ドングリの木は動物たちが食べるのを嬉しそうに見ているかというと…? そう、リスやネズミがドングリを地面の穴の中に隠し、食べ残しの種が翌春に芽を出して、若いドングリの木が育つから、なのですね。食べられるドングリと、食べる動物たちの間で、森を健全に持続させる関係が維持されていたのです。
――あることに、ドングリの木が気づくまでは。


ここで、食べられる側:餌としての存在であるドングリを【被食者】、ドングリを食べるリスやネズミ、クマなどの動物たちを【捕食者】として、二者の関係について考えてみましょう。


話を絵本に戻します。
あるきっかけで動物たち【捕食者】が増え、秋に落としたドングリをほとんど食べてしまうようになりました。当然ドングリの若い木【被食者】は育たず、森はどんどん年寄りになってゆきます。困ったドングリの木たちは「どんぐりかいぎ」を開きますが、いい考えは浮かびませんでした。
さて、ある年のこと。
たくさんドングリを生らすことに疲れた森は、ある秋、ほとんどドングリを落とせなくなってしまいました。増えすぎた動物たち【捕食者】は、秋に食べる餌がなくて困りますが、どうすることもできません。厳しい冬に、死んでしまった動物も多くいました
その、次の年のこと。
一年休んだドングリの木はすっかり元気を取り戻し、元のようにたくさんドングリを落とすことができました。厳しい冬で数が減ってしまった動物たちも大喜びでドングリを食べ、以前のように埋めてまわります。動物たちの数が減ったので、ドングリを食べきることができず、その次の年の春には新しい芽が出てきました。ドングリの木もこれに喜び、また会議を開きました。

「やっと わかったぞ! わしらが まいとし まいとし どんぐりを たくさん おとしつづけていたのが まちがっていたのじゃ」
「そうだったんだ。どんぐりを たくさん おとすのは 1ねんおきで よかったんだ」
「1ねんおきなら、むりを しないで どんぐりを たくさん おとせるし……」
どうぶつたちも 1ねんおきに はらぺこに なるから、かずが ふえすぎることは ない」
「どうぶつの かずが ふえすぎなければ、われわれの どんぐりが あまる」
「どんぐりが あまれば、じめんの したの たべのこしから めが でて、われわれの こどものきが そだってくれる!」


最初の文章をもう一度思い出してみましょう。

どうして 「なりどし」と「ふなりどし」が あるのでしょうか。


この問いに対する作者の答えは、『豊凶を繰り返すことで、【捕食者】である動物の数はちょうどいい具合に保たれ、【被食者】であるドングリの木が徐々に世代交代して、森を続けていけるから』……というものでした。
実はこの考え方、「木自身が種子の豊凶を定期・不定期に繰り返すことで、捕食者の個体数を調整し、自らの繁殖に寄与している」――豊凶による種子の繁殖戦略と呼ばれる生態学的な仮説に基づいています。ドングリの仲間の多くは、ただ地面に落下するだけではダメで、地中に埋まるなど一定の湿度や温度条件をクリアしないと発芽しないという性質を持ちます。このため、冬季の食糧として種子を保存する動物の個体数を、ある程度管理するような戦略をとっていると考えられています。
つまり、森の凶作はドングリの木、ひいてはその森自身の選択であり、ドングリを餌にしていた動物たちが飢え死にするのもひとつのサイクルの中のこと――であると考えることができるのです。


以上、「どんぐりかいぎ」の紹介を終わります。
僕は子供向け環境教育に携わっており、生き物をテーマにした絵本の読み聞かせもよく行いますが、この本は「被食者−捕食者間の個体数調整」「種子戦略」という何段階もの説明が必要なテーマを非常に簡易に書いた良書であると感じ、ぜひ皆さんに読んでいただきたいと思いました。不肖アサイ、自信をもって本書をオススメします。対象年齢は4歳から小学校初級、ちなみに税込み945円です。

どんぐり かいぎ (かがくのとも傑作集 どきどき・しぜん)

どんぐり かいぎ (かがくのとも傑作集 どきどき・しぜん)



【「どんぐりかいぎ」を踏まえて熊森協会のドングリ運びを考えてみる】

さて、ここまで絵本「どんぐりかいぎ」を教科書に、森林内の被食者と捕食者の関係をみてきました。
これを踏まえて、熊森協会のドングリ運びについて改めて考えてみましょう。


熊森のドングリ運びは、基本的にドングリの凶作年に、「クマの食糧危機を救うため」と称して行われてきました。林道沿いやクマの通り道などにドングリを置くことで、お腹をすかせたクマに食糧を援助しよう、というのが活動の根幹となっています。
「どんぐりかいぎ」では、ドングリが凶作の年には、何らかの理由で増えすぎた動物たち――リスやネズミ、それにクマ――を少し減らし、適正な個体数に戻す役割がある…とされていました。そこにドングリをまいてしまうとどうなるでしょう?
……そう、「冬に飢えて死んでしまうはずだった動物たちの一部が生き残る」かもしれません。
「生きることができるのならいいじゃないか、ひとつの命を救ったのだ」と考える方もいるでしょう。しかし、その救われた命は、本当に森のためになったのでしょうか? その場にないはずのドングリを食べて、飢えて死んでしまうはずだった動物たちが生き残ってしまったら、次の年のドングリは、また食べ尽くされてしまうのではないでしょうか? こうして凶作の年のたびに動物に餌を運んでいたら、その森は次の世代の命が育たず、どんどん年老いてやせおとろえてしまうのではないでしょうか?


つまり、ドングリ運びは森全体にとって「余計なお世話」であると言えるのです
自然保護や環境保全を考えるにあたっては、その場で死にそうになっている命を救うことよりも、その命が継続的に生きていけるための環境そのものを守ることを考える必要があります。「緊急」「お腹をすかせたクマ」「かわいそう」などの言葉に惑わされ、ひとつの命を救うことにこだわりすぎると、そのせいで失われるたくさんのものが見えなくなってしまうのです。


【ドングリ運びのその他の問題点】

残念なことに、熊森のドングリ運びには、他にも多くの問題点があります。
例えば、都会の街路樹・公園など別の場所にあったドングリを山に持ち込むことで、ドングリについていた虫や他の土地のドングリそのものにより、生物多様性を守るうえで非常に重要な地域固有の遺伝子が失われる可能性があること。
また、人里近くに餌を持ってくることで、山に返そうとしているはずの運動がむしろクマを人里に近づけてしまう可能性があること。
さらに根本の問題点として、そもそも野生動物に餌を与えるのは、人間との距離感を失わせる危険な行為であるということなどが指摘されています。
論点を絞るため、本エントリでこれらについて詳細に述べることはしませんので、参考となる文献や記事へのリンクを以下に示します。

  • 本来そこに生息していなかったものを移動させることによって生じる遺伝子攪乱外来種の問題について

  □保科英人(2004) 野生グマに対する餌付け行為としてのドングリ散布の是非について〜保全生物学的観点から〜(pdf)

  • 人里近くにクマの食べ物を撒く行為そのものの問題

  □楽山舎通信−熊に柿を与えるのは「まちがい」では
  □楽山舎通信−クマ出没問題

  • 餌付け行為そのものの問題

  □野生のクマをなんとか助けたいと考える皆さんへ−紺色のひと

【ドングリ運びの『代案』について】

この問題について論じていると、よく「代案はないのか」と聞かれます。
僕の代案をお答えします。


実は、ドングリ運びに代案はありません。なぜならば、この活動は効果自体が非常に疑わしく、むしろデメリットばかりが大きいため、やらないほうがはるかにマシであると判断できるからです。あえて代案を挙げるなら、代案は「なにもしないこと」です。
クマを守ろう、という想いは非常に尊いものですし、僕も同じ気持ちです。しかし、その思想に伴う行動が的外れである場合、クマを育む森そのものを害しかねません。ドングリ運びは、長期的にみて、クマのためにならないのです。


「ドングリ運び活動に対する」代案がいらないとする理由はもうひとつあります。
現在、環境省や一部の地方自治体では、集落の近くにクマが出没した際などの対策として、マニュアルを策定しています。マニュアル内には、短期的・長期的に人間とクマがどう向き合ってゆけばよいかが示されています。
例えば環境省の「環境省−クマ類出没対応マニュアル−クマが山から下りてくる−」内では、山の中や中山間地域・人里でクマと遭遇しないための手法が紹介されており、さらに出会ってしまったときの対応や、今後出没を防止するためにはどう行動すればよいかが明確に示されています。
以下に引用・要約します。

  • 遭遇防止対策:中山間地域・人里でのクマ類との遭遇を防ぐ
    • クマに利用できない環境を作ること……果樹や飼料作物の生産に当たっては、電気柵などを設置してクマが利用できない環境を作る
    • 誘引物の除去……庭先のカキ、クリなどはなるべく早く収穫し、廃果の山中への廃棄や農地内での堆肥化は誘引源ともなるので、クマが利用できないよう適切な処理方法を検討
  • 農地や人里周辺へのクマ類の出没を防ぐために
    • 緩衝帯の設定……クマの生息する可能性のある森林と農地・集落の間の一定範囲の森林の伐採、下草の刈り払いなどによって、森林から住宅や農地に向かう途上に開放空間を作り、クマの進出を抑止する
    • 居住地内にある果樹などの管理……集落の個人の庭先などにあるカキ、クリなども、クマが餌として利用することがあるため、果実は早めに収穫し適正に処置

「クマ類出没対応マニュアル 第2部:生息地周辺の住民の皆様へ」より一部を引用・要約した(強調部はブログ主による)


『短期的には、集落の周囲からクマの誘引物となるものを除去すること』『長期的には、緩衝帯を設けてクマと人間の生活域を分ける。そのために生息状況等について調査を実施する』……既に対策案は出されているのです。さらに、これら対策を有効にするため、環境省と地方自治体が情報を共有し、国内および地域の生息数把握をなるべく正確に行うことが急務だと僕は考えています。


マザー・テレサは「愛は、言葉ではなく行動である」との言葉を遺したといいます。熊森協会の会長さまや、賛同者の方がこの言葉を引用しているのを何度か目にしました。飢え死にしそうなクマのために、なにかしないではいられないという気持ちから、ドングリ集めという行動をされた方も多いと思います。しかし、熊森のドングリ運びは、ドングリを集めて山に運ぶという行為そのものが目的で、それに陶酔しているようにさえ、僕には感じられます。そんな自己愛に基づいた行動には、野生動物への愛など感じることはできません。
自分の行動がクマのためになるか考え、「ドングリ運びなどという余計な行動はしない」という選択をすることこそがクマへの愛の顕れだと、僕はそう思っています。




【熊森の活動に対する、これまでの僕の主張・まとめ】

最後に、この熊森ドングリ運びに関連した、僕のブログエントリを紹介します。興味のある方はお読みいただけると嬉しいです。


野生のクマをなんとか助けたいと考える皆さんへ
飢えたクマに餌を届けることが、本当にクマのためになるのだろうか?」というテーマで、自然保護観について考えました。

  • 野生動物は、厳しい自然の中で孤独に、しかし強く生きています。クマに餌を運んで“あげる”活動は、自立して生きている命を上から見下ろした、駆除や殺処分と同様の傲慢な行為だとは思いませんか?
  • 飢えたクマに餌を与えることで、餌を食べたクマはその冬を生き延びるかもしれません。冬眠の季節を終え、春になるとメスのクマは子供を産み、個体数は増えることでしょう。では、その翌年はどうでしょうか? このやり方を続ける限り、個体数は増え続け、クマは人間の与える餌に依存していることになります。果たしてそれは、自然な状態と言えるでしょうか?
  • 飢えたクマに餌を与えることで、クマは無事冬を越せるかもしれません。でも、お腹をすかせているのはきっとクマだけではないはずです。クマやドングリを餌とする動物だけに餌を与えて、森にすむ他の様々な動物たちを無視するのは、自然保護として不公平ではないでしょうか?
  • 「(ドングリ運びがたとえ)焼け石に水でも、1日1頭のクマを救うために」活動を続けているそうですが、人間が餌をくれることを覚えたクマが「もっと餌をくれ!」と人里に下りてきてしまったら、活動は逆効果になる可能性はないでしょうか?


「クマがかわいそうだから殺さないで」と感じる皆さんへ
僕の体験談と、山里に暮らす方の手記から「クマはかわいいだけでなく恐ろしい動物でもある」ことについて考えました。

想像して、考えてみて欲しいのです。実際にクマの被害を受けている方にとって、「クマを排除して欲しい」という願いは不自然なものでしょうか? 自分の命や財産が失われる危機が迫っている方に対して「クマの命の大切さ」を説くのは、はたしてどのような印象を与えるでしょうか?
クマはとても愛らしく、命にあふれた力強く美しい生き物です。そのクマが捕獲されたり殺されたりすることには、何かしらの理由があります。「かわいいから」「かわいそうだから」と言う前に、クマの恐ろしさについてもよく知り、想像力を持って対策を考えてゆくことが必要ではないでしょうか。


熊森関東支部の「春にもドングリをまく」案に反対します(10/12/13)
熊森関東支部の春にもドングリをまく・天皇陛下に手紙を書いてクマを天然記念物指定にしたいとの活動計画に対して、改めてドングリ運びの問題点を指摘しました。

仮に、秋に大量に集めたドングリを腐らせず、病原菌を発生させずに保存し、今秋のように山に運ぶことができたとしましょう。春先の山のあちこちに、10キロ20キロのドングリの山ができることになります。凶作だったはずの翌年に、芽も根も出さず大量に積まれたドングリ……。これが不自然でなくてなんでしょうか? 本来であれば山菜や若芽を食べる時期のはずですが、随分と食べ応えのありそうなドングリがそこかしこに山積みに。
この活動はクマにペットフードをあげて「お腹が一杯になったね、よかったね」と自己満足しているだけのものだと言いたいのです。それで、この後クマはどうなるのですか? あるはずのなかったドングリを探し求めるのですか? そうしたらまたドングリを運ぶのですか?
……いつまでそんなことを続けるつもりですか? クマはあなた方のペットではありません。自立して生きる野生動物なのですよ。


毎日新聞さん、熊森ドングリ運びはただの美談ですか?(10/11/27)
熊森協会の主張を鵜呑みにし、好意的で一面的な報道を行う毎日新聞ほかメディアの報道姿勢に疑問を投げかけたエントリです。

熊森協会のドングリ運びは、「全国から届けられたドングリを有志が山に運び、お腹をすかせたクマさんに届ける」という美談ですが、大きな矛盾や問題点をはらんでいます。「いい話だね、クマさんもお腹いっぱいでよかったね」なんて紹介で終わってしまうのは、「野生動物と人間はどう付き合うべきか?」という問題の本質から目を逸らした思考停止に他なりません。
ちょっと調べれば、分かり易い問題点の指摘がいくらでも見つかります。毎日新聞のみならず、提灯記事とも言える好意的な報道を続けるメディアに、僕は「それでいいのか?」と強く疑問を感じます。