紺色のひと

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トルコで僕は考えなかった(トルコ旅行記 最終回)

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この春トルコへ旅行に行ってから、僕はずっと考えていた。非日常の旅行の中で感じたはずの自分の変化について考えていた。日常の生活の中で折に触れて思い出すあの一週間のことについて、僕の中でどう消化しどう昇華できたのか考えていた。そして、結局僕はあの旅行中、なにも考えていなかったのではないかと結論付けるに至ったのだ。トルコの最後の一日を振り返りながら、なにも考えていなかった自分のことを考えてみようと思う。




この記事は、以下の4エントリより続く、僕と妻のトルコ旅行記の最終回となります。
トルコで僕はなにを考えようとしていたか(トルコ旅行記その1) カッパドキアの地と空と(トルコ旅行記その2) サフランボルのドアをあけたよ(トルコ旅行記その3) 飛んで跳んでとんで!イスタンブール(トルコ旅行記 その4)
トルコで僕はなにを考えようとしていたか(トルコ旅行記その1)
カッパドキアの地と空と(トルコ旅行記その2)
サフランボルのドアをあけたよ(トルコ旅行記その3)
飛んで跳んでとんで!イスタンブール(トルコ旅行記その4)


4月9日 金曜日(7日目)

簡単に、これまでの経路を振り返っておこう。
ドバイ経由でイスタンブールに着いた僕たちは、翌日飛行機でカッパドキアに移動し、ギョレメ村に泊まって、バスで首都アンカラを経由してサフランボルへと向かい、古い街並みを堪能して、再びイスタンブールへと戻ってきた。今日はイスタンブール滞在、ひいてはトルコ滞在の最終日なので、観光らしい観光をする予定。


観光地にほど近いホテル「Big Apple」ダブルの部屋にて起床。6時45分。僕は起き抜けに「寝坊したね」と言ったそうだ。妻と交互に部屋のシャワーに入る。熱いお湯が出るのがありがたい。
簡単に荷物の整理をしてから、調べ物をしにロビーに降り、据え付けのパソコンからインターネットに接続する。おみやげに頼まれていた酒類の、国外持ち出し基準について知りたかったのだ。とりあえずアドレスバーにgoogle.co.jpを打ち込み、Google Japanを表示させる。表示されるはいいものの、トルコのパソコンで日本語入力ができるわけもなく、アルファベット入力とGoogleの予測検索機能に頼って、出てきたそれっぽい日本語を検索窓にコピペする手法を用いた。「地球の歩き方」Webの該当ページを発見し、酒はひとり3本程度までと知る。それなら問題ない。ついでにtwitterも覗くが、特に「イスタンブールなう」などとも書かずその場を後にする。ちょうど日本人の女の子がチェックインするところで、安宿を巡って旅行中とのこと。挨拶をして別れる。


そのまま4階のテラスに上がり朝食。テラスからはイスタンブール旧市街の東に広がるマルマラ海が見える。
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バイキング形式の食べ放題で、宿代に含まれている。ゆで卵・パン・ハム・トマト・キュウリ・牛乳・ジュース・紅茶・ハチミツなど。シンプルだがどれもうまい。特に市販されていると思しきハムがうまい。パンとハムをおかわりして、小さいケース入りのハチミツを2.3個もらってゆく。
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部屋に戻って荷造り。飛行機の時間までホテルに荷物を預かっていてもらうので、行動用の荷物と預ける荷物を分ける。チャイグラスを割ってしまうのが嫌なので、靴下の先を詰め、裏返しにして全体を包む。チェックアウト。
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「うどん」「ビビンバ」などと日本語の札が貼ってあるのに店名がハングル表記の怪しい店の横を通り抜け、まずはアヤソフィアへ向かう。

アヤソフィアは、トルコのイスタンブルにある博物館。東ローマ帝国(ビザンツ帝国・ビザンティン帝国)時代に正統派キリスト教の大聖堂として建設されたもので、帝国第一の格式を誇る教会、コンスタンティノポリス総主教座の所在地であった。東西教会の分裂以後は、正教会の総本山となる。
アヤソフィア - Wikipedia

ということで、つまりはここら辺りの総本山である。



未だ開店する前のアラスタ・バザールをくぐる。途中で見かけたシジュウカラは日本と同じ配色だった。
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午前10時過ぎ、公園は既に観光客で埋まりつつある。やっぱり寝坊したじゃないか。途中の旅行会社の店先で男に声をかけられる。流暢な日本語で「その帽子、いいね」と話しかけて来る。先日の絨毯売りのこともあり少し警戒したが、彼は「その帽子、イスラムの偉いひとが被るデザインのものだから、それでジャーミィに行ったら偉いひとに間違われるかもね」と冗談を飛ばす。僕は笑って「ひげも伸びてきたしね」と返し、目的地へと向かった。
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簡単な荷物チェックを受けた後、ゲートをくぐって入場。入場料は20TL(1200円)。そこここで各国のツアーが展開されている模様。さすが世界に誇る観光地である。
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建物の中に立ち入る。第一印象は「天井が高い」。
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聖堂というのか、中抜けの広間へ。外から見た建物の形のままの内部空間なのだが、その装飾の細かいことと言ったら! みなが斜め上を見上げて口を開けている。
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大ドームの中心部。周囲に4人の人物が描かれている。鳥の羽を持っているようだが、生憎文化的素養に乏しい僕には誰をどのように描いたモチーフなのか理解できず、勉強不足を恥じる。
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ドームの奥、後陣と呼ばれる箇所の天井。聖母子を描いたモザイクが、ステンドグラスから漏れる光のさらに上に貼り付いている。
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と、足元。「No Entry」の札の横に猫が鎮座している。何故ここに猫が? 「こっからはダメだかんね、まぁ私の知ったこっちゃないけど」とでも言っているようなすました表情。
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広間を抜け、壁際へ。しばし言葉を失う。ドームはどこを見ても迫力があったが、その外側の回廊部は、どこを見ても歴史の重さを感じさせるものばかりだった。攻城にでも使われたのか、伸びる梯子がひっそりと陳列してある。
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ただの採光以上の目的があるように思えてならない窓の配置。
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つるつるの石畳を、ふらふらと妻と歩く。どちらもカメラを抱えてあっちへ行きこっちへ行き、ときどき視線を交し合って次へと進む。
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見学旅行なのか、たくさんの子供たちも引率されて訪れていた。半分以上の子らがデジカメを手にしている。こちらがカメラを向けると、わーっと集まってこちらに笑顔を向けてくれるのが嬉しい。ここアヤソフィアは有名観光地のため、僕たちが訪れたサフランボル等と違い、中国人や日本人もちらほらと見かけるので東洋人も珍しくないはずなのだが、そのほとんどが妙齢のおじさまおばさま達のせいか、若い僕たちを見るとわらわらと集まって来る。そのほか、老若男女問わず、やけに僕は視線を集めているな、と思っていたが、さっき旅行会社の男が言っていた帽子の話を思い出し、妻に被せてみると、今度は妻に視線が集まった。妻は顔を赤くして「ダメだ恥ずかしいよ」と帽子を僕に突っ返した。



撫でると子宝に恵まれるという「湿った支柱」。各国の女性が列をつくっていた。妻も並んで撫でていた。
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このアヤソフィアでは、壁面のモザイクがひとつの見所であるという。とはいえガイドブックに載っているような写真ばかり載せても仕方ないので、案内板でダイジェスト紹介! …しようと思ったら、思いのほかインパクトのある写真だった。おっさんの表情がなんとも言えない。
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中二階のテラス部分に上がるには階段ではなく、暗い石畳の回廊を抜けてゆく。地下ダンジョンのような雰囲気。
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テラスから大ドームを見下ろす。下から見上げるのとはまた違った趣があり、僕は普段滅多に口にすることのない「ふはは見ろ、人がゴ(以下略)」を唱えた*1そうこうしていると高校生くらいの若者たちに声をかけられる。「日本人か?」「そうだ、君たちは?」「イスタンブールに住んでいる。高校生だよ。日本人は好きだ」「ありがとう。君たちは英語が上手だね」「学校で習っているんだ。ところでおれたちと写真を撮ってくれないか」「もちろん!」彼らと並んで写真に写る。話していると彼らの「異人と話している」感が伝わってきて面白い。僕は彼らの写真を撮るのを忘れてしまった。
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モザイク二種、左が「キリストと女帝ゾエ夫妻」、右が「聖母子と皇帝家族」とのこと。フラッシュ禁止の立て札があるが、たまに光る。振り返ると日本人だったりして、ちょっと苛立たしくなったりする。
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モザイクをアップで見てみると、確かにモザイクである。トルコ近代化の父:アタトゥルクが博物館として1934年に開放するまで、これらモザイクは漆喰の下に塗り込められていたという。宗教施設が上書きされてまだ残って再び蘇る、というのは歴史そのもののようで、なんだか恐ろしくなったりする。
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再び一階へ。登りとは別の通路を使って降りる。途中、インド系と思しき兄弟と一緒になるが、弟がやけにこちらを気にしているので写真を撮ったりするなど。妙に嬉しそうな顔をするのが可愛い。
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降りの通路脇に、石を削って作ったと推察される排水溝を発見。辿ってゆくと、建物の外に吐き出されるようになっていた。なんだか感心する。
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なにに使われていたのか、ちょっと恐ろしい雰囲気の階段と、そこを覗き込む僕にカメラを向ける妻。お互いが被写体で撮り手のこの関係は、旅行中は特に便利で、そしてとても面白い。あとから見返す写真の数は多く、そしてお互いの緩んだ顔がたくさん写っている。
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白磁色の彫刻と、色のはがれ掛けた天井の装飾。出口を抜けると眩しさに目が眩んだ。
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出口の広場で、中に居た団体とは別の子供たちにつかまる。わぁわぁと寄ってきてはカメラの前に交互に顔を出す。僕も撮る。彼らのひとりが「遊戯王」の鞄を提げており、「それ知ってるよ! 日本のアニメだよ!」と興奮してしまう。ふと妻のほうを見ると、妻の周りには見事に女の子ばかりが集まっていて、かわいい女の子が好きな妻は目尻が下がっている。妻可愛いよ妻。
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続いて、公園を挟んで反対側にあるブルーモスクことスルタンアフメット・ジャーミィへ。公園はチューリップが満開で、妻は駆け寄って写真を撮っている。周りを見ると他にもチューリップにカメラを向けているご婦人がたがちらほらと。
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こちら、ブルーモスク前。イスタンブール旧市街市民にとっては今も日常的な祈りの場であり、観光客も現地の方もたくさん出入りしている。
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門をくぐる。ここで、女性は肌と髪の毛を隠すよう求められる。妻はサフランボルで買った布を頭に巻き、スカートを少し下ろして太ももの露出を無くした。
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(追記)現地で特に指摘されることはなかったが、旅行者・現地の方を含め、膝丈のスカート姿の女性はほとんど見られなかった。僕と妻は「ちょっと短かったね」「次はジーンズだね」と言い合った。今回の旅行の反省点のひとつである。「モスク見学の際は肌の露出に気をつけること」。



中に立ち入ると、内部の空洞よりも絨毯の覚めるような赤に眼を惹かれた。柱のそばで、僕たちと同じ旅行者だろう、細身のきれいな女性がカメラを構えたまま、口をあけて中空を眺めていた。シャッターを切れずにいるのだろう、と僕は思った。
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他の街でもいくつか見たモスクとつくりはほとんど同じようだが、威圧感が違う。ブルーモスクの名の由縁たる青いイズニックタイルが美しい。
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細かく刻まれた文字と、ひとつひとつが何らかの意味を持っていそうなタイル文様。仏教建築との共通性に頭を巡らすこともできたのだろうが、このとき僕の頭にそんな余裕はなかった。ただ圧倒的すぎた。
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奥には祈りをささげる多くのひとびとが。これが彼らの生活で、僕には立ち入ることのできない日常であるはずだ。
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言葉少なに外へ出る。にこやかな現地の爺さまたちが、談笑しながら過ぎてゆく。これが彼らの日常であるはずだった。
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昼時になってきたので、ご飯を食べるところを探す。ロカンタ(食堂)やピデ屋を探すも、さすが観光地のど真ん中、どこもそれなりに値が張る。写真は八百屋だが、果物の陳列の仕方ひとつ見ても日本との差を感じてしまう。
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路地を入ったところでケバブ屋さんを発見。ドネル・ケバブを注文する。ひとつ1.5TLで、同じものをメインストリート沿いで買うと5リラくらいする。店員の兄ちゃんが店先にケバブのかけらを放ると、車の下に隠れていた猫がさっと肉をさらってまた引っ込んだ。
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飛行機までの残り時間を考え、地下宮殿とトプカプ宮殿はスルーしてエジプシャンバザールに向かうことに。母から頼まれていたスパイスを買わなければ。


途中、一日目に泊まった宿「メリフ・イキ」のアイシャさんに挨拶を。同じく母から頼まれていたオリーブ石鹸を安く買える場所を聞く。やはりエジプシャン・バザールとのこと。お礼とさよならを言って、ギュルハネ駅から路面電車に乗り、ガラタ橋のたもとの駅で降りる。
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エジプシャン・バザールに到着。目的がある買い物は楽しい。
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香辛料屋さんはたくさんあるので、紙に書いた二種類のスパイス(ガラムマサラとフィッシュスパイス)の値段を聞き、次の店で聞き…と徹底した価格比較を行った。挽いてあると若干単価が高くなること、おおよその相場がわかったところで購入。オリーブ石鹸もそこが安かったので買う。これまでの経験で、僕よりも妻が値段交渉したほうが安くしてくれる、との印象だったので、妻のプリーズ攻勢に期待したが、店員の兄ちゃんは日本語で「あなたたちが買ったスパイスは安いものばかりだし、それも他のお店よりもずっと安くしてある。だからこれ以上は安くできない」とのたまう。ぐうの音も出ない。値引き交渉は諦めて、どうしてそんなに日本語が上手なのか聞くと、語学学校で勉強したとのこと。確かにこういう場で日本語が喋れるスタッフがいると、日本人の客はとても安心するだろう。僕たちは感心して店を出た。
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身動きが取れないほどの人ごみを、車がすり抜けようとしている。
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おっ、魚屋を発見。川ボーイを自称する僕は魚に目がないのである。ニジマスとサケ、サバ、ニシン系の魚、オヒョウの仲間、タイ類は判別できたが、見たことのない種類も多くとても興味深い。
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魚屋のおっちゃんが話しかけてきた。「ジャパニーズか?」「そうだ、たくさん種類があるね」「おう。例えばこれは(カジキを手に取る)日本にいるか?」「いるけど、僕の住んでるところではそう多くないよ。もっと南のほうだ」「これは?」「いるよ、日本では『サバ』という。これは『ニジマス』、レインボー・トラウトで、こっちは『サケ』、サーモンだ。日本ではごく一般的」などと話をする。おっちゃんが突然日本語で「『イワシ』?」と言うので僕はびっくりする。再度おっちゃんが『イワシ』、と言うので、僕はイワシを指差し、「This is イワシ」と答えた。おっちゃんは笑った。
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イスタンブールは海峡を跨いで成立する街である。西側を旧市街、東側を新市街と呼ぶ。「そういえば新市街に行ってないね」と妻が言い出したので、「ゆくか」「ゆこう」海峡を渡って新市街へゆくことになった。トラムでガラタ橋を渡り、終点まで乗る。
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トラムを降りると明らかに街の雰囲気が違うのがわかる。ハイソというか洗練されているというか、全体的に高級住宅街っぽい。坂の上のタクスィム広場を目指すが、なかなか辿り着かない。
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30分間歩いて、広い公園に出る。疲れた僕たちはチャイを飲んで休憩。
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しかし僕たちが休憩したのは目的地のタクスィム広場ではなく、裏の公園だった模様。嗚呼。国旗が広場にはためく。
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残り時間も少なくなってきたので、メトロに乗って坂を降る。行きは30分、帰りは5分。
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前の席のひとが読んでいたのがゴシップ誌っぽかったので撮った。隣を見ると妻も同じ写真を撮っていた。ふたり苦笑いをする。
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トラムに乗り換えて、宿の最寄り駅であるスルタンアフメットへ。宿へ戻る途中、ギョレメで幾度かすれ違ったアウトドア青年とまたすれ違う。
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宿に預けていた荷物を受け取り、フロントのお兄さんにお礼とさよならを言って出発。僕たちの愛される犬、イヌミチが道に寝転がっていたので彼にもさよならを。彼は眼を開いて、起き上がらずにこちらを見た。あいされーるー、いぬ・いぬー!
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再び駅へ。空港に向かう乗り換え駅へ向かいたいのはやまやまなのだが、もの凄い混雑でトラムを一本見送った。次も便も混んでいたが、待っていては飛行機に遅れてしまう。なんとか荷物と体を詰め込んだ。そんな僕たちを見かねたのだろう、市内の女子中学生と思しき少女ふたりが妻に席をゆずってくれた。友達同士で化学のテキストを開いている。なにか勉強を教えてあげられれば、と思ったのだが、言葉の壁以上に、僕は物理と化学が苦手なのだった。生物と体育と音楽と国語が好きな情けない理系である。

ネヴシェヒル駅でメトロに乗り換え、空港へ。空港のマーケットで現地の蒸留酒:ラクを4本、わたあめ状のお菓子:ピシュマニエなどを購入。結局20リラくらいが現金で残った。空港の入場ゲートで、サフランボルで入手した鎌が引っかかる。当然だ。係員は「なぜこいつはこんなものを持っているんだ」といった顔で、いぶかしみながらも「機内へ持ち込んじゃダメだよ」と念を押して来る。安心してください、さすがにそのつもりはない。




パスポートチェックの列あたりから日本人が増えてくる。どうも、このままでは飛行機に間に合わないんじゃないか、と周囲の関西人が言うので、彼らと一緒に列に割り込ませてもらう。チケットを見せて、列に並んだ他国のひとに頭を下げる。みな快く譲ってくれて嬉しいが、罪悪感を覚える。
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いくつめかのゲートをくぐり、飛行機を待つ。自販機で500mlの水を買うと2リラした。市内では0.25リラで売っていたのに…。このあたりまで来ると、周りはドバイ経由大阪行きの客ばかりで、ほとんどが日本人。若い女性グループもちらほら居るが、ほとんどが高齢のツアー客だった。
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飛行機に乗り込む。隣は黒人女性で、なにやら列を挟んだ隣の客と揉めているようだったが、僕にはどうすることもできないので、据え付けのモニターで「シャーロック・ホームズ」を見る。機内食は羊と鶏肉が出て、なかなか美味い。いつしか眠ってしまう。




4月10日(土曜日) 8日目

日付変わって1時10分、ドバイ空港へ到着。隣の女性は荷物を降ろすのに手間取りぷりぷり怒っていたが、それを見たトルコ人男性がさっと手を差し伸べて「トルキッシュメン・ジェントルメン、トルキッシュメン・ジェントルメン……」と歌うように繰り返すのを見て吹き出していた。本物の紳士を見た気がした。僕に国外で同じ真似はできない。
空港の売店で、残ったドバイ通貨・68DHL(ディルハム)ぶんのチョコレートを買う。飛行機の時間を待ちながらぼうけんのしょをきろくする。空気が変わったせいか、鼻水がひどい。やがて飛行機へ案内され、僕たちは腰を落ち着ける。
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機内で僕は眠り、起きて機内食を食べ、また眠り、「アストロボーイ」を見て機内食を食べ、また眠った。途中、機内食で出たソバに後ろの席の白人さんが「Oh...SOBA!」と声を挙げていたが、明らかにつけつゆが甘い。こんな甘いつゆで食わせるとは、ソバ・ソースをテリヤキ・ソースと勘違いされては困るね、などと妻とぼそぼそ喋る。モニター上の地図からはトルコの地はとうに見えなくなり、アジアがどんどん西へとずれてゆく。やがて飛行機は瀬戸内海上空へ。薄桃色の光が夕暮れだと気づくのにしばらくかかった。時計の時間を合わせ、今が16時45分であると知る。
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無事、関西国際空港へ着陸。さくっとパスポートチェックを済まし、荷物を受け取り税関へ。空気が明らかに湿っぽく、喉に絡まるようだ。醤油のにおいも、たこ焼きのにおいもしなかった。職員さんに税関は初めてかと聞かれ、初めてであること、中に酒瓶が4本と鎌が入っていることを告げる。鞄の口を少し開けたのみで通過する。



小腹が空いたので、出発前に「無事帰って来れたら食べよう」とに話していた『蓬莱』の肉まんを買う。妻が「320円…肉まんふたつで…」と呟いているので、僕は「リラ換算はやめれ」と言った。お互いの両親に電話して無事を報せ、明日の夜に顔を出すことを伝える。言葉少なな僕を気遣ってか、妻が「あなた疲れてるのよ」と言うので、僕は唐突にX-ファイルについて妻に説明せざるを得なかった。モルダーの生い立ち、スカリーの立ち位置などをひとしきり話した後、自分がひどく無駄なことをしたような気持ちに襲われた。
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そして僕たちは新千歳空港行きの飛行機に乗り、空港に降り立ち、荷物を受け取り、ゲートを抜け、汽車に乗って僕たちの最寄り駅まで帰ってきた。このあたりに特別な感慨がないあたり、自分のホームがどこであるかわからなくなり、帰る場所がなくなってしまったような錯覚に囚われる。しかし僕の妻は変わらずそばに居た。昔好きだった漫画の一説を思い出す。『わたしは ときどきどこか遠くへ行ってしまいたくなる どこに帰ったらいいか 自分で選ぶために』。
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妻が空腹を訴えたので、駅のラーメン屋に入る。閉店間際で客は僕たちふたりだけだ。普通のみそラーメンを注文し、普通に食べる。
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これが、僕たちの旅の終わりだった。





それで、「僕がトルコで考えようとしていたこと」とはなんだったのか

昔、堀田善衛は「インドで考えたこと」を書いた。椎名誠は「インドで考えたこと」を読んで「インドでわしも考えた」を書き、高橋由佳利は「インドでわしも考えた」を読んで「トルコで私も考えた」を描いた。それでは、と僕は考える。僕はトルコでなにを考えたのだったか。帰ってから思い返してみても、あれだけ詳細に書いた「ぼうけんのしょ」を読み返してみても、僕が考えたことについての記憶や記述はほとんどなかった。僕は、トルコで、なにも考えていなかったのだ。
その代わりなのか、僕は旅行中のことをとても鮮明に覚えている。今まで日本各地に出かけた旅行よりも格段に、旅の詳細を記憶していると思う。それにはカメラを手放さなかったという理由も、事細かにメモを取っていたという理由もあるのだと思うが、僕はここでひとつの事実に行き当たった。僕は必死だったのだ。


ここでもう一度問おう。「旅とはなにか」。僕の尊敬する友人、id:shokou5 くんはこう書いた。

旅は意識的・目的的になされる x-y-z 軸上の移動である。けれども、旅に出ようが出まいが、意識しようがしまいが、常に僕たちは t 軸に沿っても移動している。旅とは「ここではないどこか」のものであると同時に「いまではないいつか」のものでもある。(中略)
人は、つい、旅とは何かを掴みにゆくものだと思い込み、何かを持ち帰ろうと必死になってしまう。けれども、そのような義務・焦燥というのは、結局、毎日の生活の中で担わされているものの延長に過ぎない。もし旅が非日常的なものであるとするならば、それは、何も獲得する必要がなく、忘れていくことが許されている時間、としてあるのではないだろうか。

MAKI OGASAWARA PHOTO EXHIBITION 『旅の空』 E&Y HOUSE−スウィングしなけりゃ脳がない!


僕は旅に出る前、自分にひそかに期待していた。新しい環境に身を置くことで、自らの思考になにか変化が現れるのではないか。体験から何らかの成長が見込めるのではないか――そういう「何かを持ち帰ろう」とする期待が僕には確かにあったのだ、恥ずかしながら。そして飛び込んだ明らかな非日常の一週間、僕はなにかを持ち帰ろうということすら忘れ、ただひたすらにこの非日常で生活していた。いや、生活に全精力を傾けざるを得なかった。初めての海外旅行、見知らぬ土地、知らない言語、あやふやな意思疎通、違う食べ物、異質な空気……僕にとって、日常的なのは身の回りのいくつかの道具と妻だけだった。僕は必死だったのだ。僕は常に精一杯で、行動も思考も、自分の限界の縁から溢れそうになっているのを自覚しながら過ごしていた。必死で楽しんでいた。


僕は常に、生きることを『生き延びること』と言い換え、意識するようにしている。享受する生ではなく、獲得する生こそが僕の命に対する向き合い方である。そして、この旅の間は、まさに『生き延びること』に対して真摯に向き合えていた時間だったのだと、僕はようやく気づいたのだ。
だからこそ、改めて言葉にしようと思う。僕はトルコでなにも考えなかった。しかし、生き延びていた、と。僕は自らに課した生への意識を途切れさせることなく、無事にふたりで日常に帰還することができていたのだ。3ヶ月近くかかってしまったが、気づくことができてとても嬉しい。
今、僕は日本で妻と生活している。折に触れてトルコでの一週間のことを思い出すし、思い出しながら話をしたりする。いつか、思い出が薄れないうちに、もう一度訪れてみたいと心から思う。旅の空のどこかで、一度会ったひとにまた出会えたら、そんなに素敵なことはないだろう。この旅のことを思い出しながら、老いた妻と老いた僕のふたりで笑ってあの地を歩けたら、そんなに素晴らしいことはないだろう。
そんなことを、僕は考えている。


(トルコ旅行記 了)


おまけ 〜トルコ旅行記 妻サイド

この旅行については妻も旅行記を書いていて、
interplay−トルコ旅行記
にまとめられています。同じ場所を歩いていても視点が違うので、興味のある方はぜひどうぞ。



おまけ 〜トルコ土産

僕と妻がトルコから持ち帰った荷物を紹介する。
その1.食品関連
_MG_3710左上から時計回りに、ピシュマニエ(綿菓子風の砂糖菓子)3種、水溶性クリームの素、ピスタチオナッツ、チャイ(トルコ式紅茶)の茶葉2キロとティーバッグ、プレッツェル、キャンディ、チョコレート(ドバイで購入)、宿でもらったハチミツ、バスでもらった菓子類、塩味のヒマワリ種、ロクム(牛皮餅のような砂糖菓子・サフラン味等)2種、スパイス3種(ガラムマサラ・フィッシュスパイス・ミント)。


その2.飲料・服飾関連ほか
_MG_3713左上から時計回りに、日土友好Tシャツ(初日のメリフ・イキでもらった)、銀細工のお盆(サフランボルで購入)、チャイグラス・ソーサーのセット、草刈り用の鎌(木の柄を差し込んで使うタイプ・サフランボルで購入)、オリーブ石鹸、コスカといふ黒い菓子、スカーフ(僕の母への土産)、刺繍つきスカーフ(妻の母への土産)、テーブルクロス、ストール2種(自分たち用)、僧職系帽子、ラク(ぶどうを原料とした蒸留酒。水で割ると白く濁る)4本、エフェスビール1本。

*1:僕は物真似が好きだがそのどれもが似ていない。唯一「天空の城ラピュタ」ムスカ大佐には定評があるが、彼の台詞で最も有名である「人が〜」と「へぁ〜、目が〜」は恥ずかしさから普段やることがない。以上どうでもよい解説である。