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紺色のひと

思考整理とか表現とか環境について、自分のために考える。サイドバー「このブログについて」をご参照ください

サフランボルのドアをあけたよ(トルコ旅行記その3)

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この記事は「トルコで僕はなにを考えようとしていたか(トルコ旅行記その1) - 紺色のひと
および 「カッパドキアの地と空と(トルコ旅行記その2) - 紺色のひと」の続編です。


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トルコ旅行も中盤に差し掛かっている。カッパドキアを後にした僕たちが向かうのは、首都アンカラの北200kmに位置するサフランボル。サフランボルとはたくさんのサフラン、という意味だという。(サフランボル - Wikipedia


僕は友人から聞いてこの町を知った。彼は僕の大学時代の友人で、一年間休学し、バックパッカーとしてシルクロードを西へ向かう旅をした。素晴らしい写真とたくさんの体験談、大きなアズキ色のストールを土産にくれた。写真の他に魚捕りという趣味が共通していた僕たちは、現地の漁師に投網の投げ方を教えてもらった、とか、ゆかいな話をたくさんした。今回のトルコ行きの計画立案時、彼に連絡を取った。「いわゆる観光地を周るよりは、雰囲気のいい町でゆっくり歩いて写真を撮ったりしたい」という僕の要望に、彼が教えてくれたのがサフランボルだった。僕は妻に、彼のことや彼の鮮やかな写真の話をし、旅程にサフランボルを入れることを決めたのだった。
トルコの主たる観光地、イスタンブールやカッパドキア、パムッカレやトロイなどよりも知名度は低い。しかしサフランボルに向かう僕の大胸筋は期待でパンプアップしていた。頭に流れるのは原田真二の「タイム・トラベル」。僕もサフラン色のドアを開けるよ!



4月6日 火曜日(4日目)

カッパドキア・ギョレメ村を発ち、ネヴシェヒルからメトロ社の長距離バスに乗り換えて首都アンカラまで。アンカラのオトガル(バスターミナル)着後、大急ぎでバスを乗り換え、一路サフランボルへ。僕はアンカラまでの4時間をほとんど眠って過ごした。
旅行記の最初に、「トルコは椎名誠のエッセイとイエニチェリくらいのイメージしかない」と書いたが実はもうひとつだけあって、それがアンカラだった。僕が高校生の頃、彼女をテーマに私小説を書くくらい憧れていた女の子がアンカラからの帰国子女だったのでよく覚えていたのだ。この旅の計画を立てるにあたって、僕は彼女に相談するという名目で久しぶりにお茶をした。彼女は当時と変わらず(と言うと失礼かもしれないけれど)きれいで、僕たちのトルコ行きを自分のことのように喜んで、計画立案に付き合ってくれた。「テシェックェデリム(ありがとう)」の発音を教えてくれたのも彼女だ。もうひとつ教えてくれたトルコ語、「消費税の分だけまけてください」は残念ながら覚えられなかった。


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アンカラ発のバスに息を切らして乗り込んだ僕の隣には、5歳くらいの男の子が座っていた。なんとか意思の疎通を試みるも、向こうはトルコ語、こちらは日本語しか話せないのだから当然通じない。僕が手帖に名前を書いて、「アドゥム アサイ、アドゥヌズ ネ?(僕はアサイ、君は?)」と言ってみるが、彼の発音が聞き取れず、彼が手帖に書いてくれた名前も(多分覚えたての)筆記体で、僕には理解できなかった。窓の外では牛が群れている。


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一度「相手の名前を漢字で書いてみる」というのをやってみたかったけれど、そもそも彼は多分、日本という国も、漢字も知らなかっただろう。それでも、僕のカメラを渡してお互いに写真を撮り合ったり、窓の外の流れる風景を撮り合ったりしていると、彼も笑顔になった。よかった。窓の外では少女が走っている。


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ところでトルコの田舎道における道路側溝は斜め。道路用地に余裕があり、かつ同じ断面積における雨水の流下量が日本よりも少なくて済むからだろう。興味深い。


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とある青年が途中下車。道と迎えの車だけの風景だけれど、絵になるよなあ。


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隣の少年も降りて行った。こういうときになんと言えばいいのか、僕は知っている。トルコにはさよならが二種類あって、送り出すほうと、送られるほう。旅行者の僕にとって、送り出すさよならを使う機会はこのときくらいしかなかった。「ギュレギュレ!」


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いよいよサフランボルへ。郊外のオトガルにて高速バスを降り、中心街のクランキョイまでミニバスで。目的地は旧市街、チャルシュだったのだけれど、クランキョイからの移動手段が分からず、歩き回っているうちに妻とちょっと口論になり、泣かせてしまう。旅行中、二度目。反省する。僕たちのいいところは、怒りや不機嫌に起因する一時的な不仲を、こんなことやっててもしょうがないと気持ちを切り替えてすぐに手を繋げるところだ。


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タクシー乗り場のおっさんに声をかけてもらい、タクシーでチャルシュまで移動した。広場からほど近いこれが今日の宿、ギュル・エヴィ。


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凝った内装と古い建物。築175年というこの宿、宿泊費は大奮発の180TL。


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廊下はこんな感じ。


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カギもとても洒落ている。荷物を部屋に置いて、散歩と晩御飯にでかけることに。


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町の中心はチャルシュ広場。バスやタクシーが集まる広場のすぐ脇から、土産物屋やチャイハネ(喫茶店)が連なる路地に入る。


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石畳とブロックの地面、細道。歩いているだけで嬉しくなる。


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サフランボルには古い街並みの他にもうひとつ、鍛冶の町という側面もある。鍛冶屋が集まる路地ではそこかしこで火花が散っていた。僕は道具としての刃物や金物が好きなので、軒先にぶら下がった鎌や鍬先などを見て心をときめかせる。日本と鎌の形が違う一方、山で使う鉈と鎌のあいのこのような道具はまったく同じ形だ。現場を見ていると叩くのと削るのが作業の主のようで、研ぎは日本ほど重要視されていないのかも、と感じた。


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歩いていると、「ジャポン? TBS! ティービーエス!」と声が聞こえる。なんという客引きだ、と思ったが、マリオのような顔のおっさんが妙に気になり、ついて行ってみることに。チャイを飲もう、と言うので、彼の仕事場の奥、新聞の切抜きが貼ってある部屋に通される。話を聞いてみると、彼は日本の新聞に取材されたことがあるとのこと。新潟日報・京都・岩手・富山などの地方紙の世界遺産特集記事が壁のそこかしこに貼ってある。2009年9月と日付が新しいことに驚く。彼の名はカジム。「結婚してるのか、歳は? おれは17のときに20のカミさんと結婚したんだ」などと話す。僕がライク・ア・カラテをやっている、と言うと、腕相撲をすることに。ころりと捻られる。さんざ抱き合い、明日また訪れる約束をして別れる。


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お腹も空いたことだし、初めての夜だし、有名レストランへ。ここは町でも特に古い建物、ジンジ・ハン・レストラン。元隊商宿で、1645年に造られたとのこと。


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ギョレメを出てから羊が食べたくて仕方なかった僕はラムチョップを、妻は名物料理のジンジ・ボレイ(ひき肉の包み揚げ)を、そして羊のピデ(トルコ風ピザ)を注文した。このピデが信じられないほど美味で、妻はトルコ旅程中の最もおいしかった料理に「ジンジ・ハンのラム・ピデ」を挙げている。加えてなんでもなく出てくるパンやナンのうまいこと、ラムチョップがもう数本あったら、僕の腹ははちきれるところだった。


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さんざ食べ、店を出ると雨が降っている。きちんとした雨はトルコに来て初めてだ。小走りで宿まで帰る。


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部屋に戻り、ごろごろしているうちに眠ってしまう。この部屋の洗面所は壁の木戸を開けると出現する。ぱっと見ではそれと分からないつくり。暑くて夜中に何度か目覚める。



4月7日 水曜日(5日目)

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5時30分に覚醒、6時に起床。よかった、晴れてる。


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朝ごはん前の散歩に出かける。空気が冷たい。昨晩の雨で石畳の上に土砂が流れ込んでいる。この2時間後、すぐに側溝掃除が始まっていた。これぞ順応的管理。興味深い。


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町が見下ろせるというフドゥルルックの丘を目指して歩き始める。


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路地を歩いていると、「日本人か? チャイ飲んでいかないか?」と声をかけられる。寒いしちょうどチャイも飲みたかったしとついて行くと、どうやらおっさんはチャイハネの主人のようだ。実にひとの良さそうな顔。一杯ずつ頂戴し(一杯0.5TL=約30円)、丘への道を教えてもらって店を後にする。


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教えてもらった通り、細い小路を上の方へ。足元はでこぼこの石畳で、ここをコロコロ――あの後ろ手で引っ張る旅行用のトランクのことだ、正式名が分からないけれど――で訪れたひとはさぞ苦労するだろうと思った。これをお読みの方に助言させて頂くとすれば、ひとつは「コロコロは避けたほうがよい」であります。


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白い漆喰の壁と木枠が主な家。日本人や韓国人のバックパッカーに人気があるという宿の横を抜け、丘の公園へと入る。入場料はひとり1TL、管理人さんがいなかったのでいつでも払えるようにポケットに小銭を用意しておく。


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町を見下ろす。赤い瓦、白い壁、四角い窓。ガイドブックでも見たような景色だ。
僕はガイドブックに載っている写真を自分で撮りにいくような旅行はしたくないと常々思っていて、いわゆる観光地にカメラをぶら下げて行ったり、ツアー客に混じって名所を周る旅行の形態を嫌う。今回のトルコ旅行にあまり乗り気でなかった理由のひとつは、いち観光客として行動することに抵抗があったからだった。しかし、この旅行でよく分かった。有名な観光地の写真は、そこで撮った写真が美しいからガイドブックに載っているのではない。訪れたそこには、せめて写真でも残さずにはいられないような空気があるのだ。僕の写真ではその雰囲気のごくごくごく一部くらいしか切り取ることができなくて、実にもどかしい思いをする。


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一匹の猫が僕たちに近づいて来た。白黒のぶち猫で、凛々しくも愛嬌のある顔をしている。僕が大学寮で生活していた頃、寮には寮の周辺と僕たちの部屋の中を行動圏にしていた半飼い猫の寮猫、ネコミチがいた。ネコミチとは僕が後輩のヨシミチにあやかって彼につけた名前で、以来僕は猫を見ると○○ミチと呼ぶ癖がついた。このぶち猫は僕たちにウシミチと呼ばれることになる。


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眼下の家々からは少しずつ、朝餉の煙が立ち昇り始めていた。そしてこの古い町で生きるウシミチよ。


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ウシミチは僕たちにべたべたくっつくでもなく、少し離れてついて来たり、少しだけ先を歩いたりする。しばらく歩いていると、僕たちはウシミチが傍にいるのが当たり前のような気がして、とても心地よかった。管理人さんに挨拶し、入場料を払って、元来た道を戻る。ウシミチは入り口の階段までついて来て、次に僕たちが振り返ったときにはもう姿を消していた。


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そしてこの古い町で生きる犬よ。


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ゆっくりと坂を下る。途中、僕は初めてヤツガシラを見て大騒ぎ。


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午前7時30分。まだ土産物屋さんは開いていない。


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重いフィルムカメラを提げている妻は、現地でなにか面白いフィルムを仕入れられたら、と思っていたようだが、ほとんどがフジかコダックの製品だったとのこと。


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乾物屋さんというか、ドライフルーツを量り売りしている。札幌市民に分かりやすく言い換えれば、エスタ地下一階の食品街入り口、ビックカメラの下にあるようなお店。


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石畳だけでなく、石垣も古い。世界遺産登録に際して新築が禁じられていると聞くが、この町はどれくらい昔から今の形だったのだろう。


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そこかしこにある水汲み場。アラビア文字が彫ってあったり、レリーフがあしらってあったりと特徴的。


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宿に戻る。よく手入れされた庭を抜け、別棟で朝食。パン2種とジャム2種、オリーブ漬け2種、チーズ3種、ヨーグルト、バター、フライドエッグ、オレンジジュース、チャイ。シンプルなのだがどれもうまい。自分がこんな大量のパンを食べられるとは思ってもみなかった。満腹感があるのにまだ食べたい不思議な気分。オリーブの実を漬けたものだけ、苦手な味だった。



一度部屋へ戻り、荷物を整理して、広場の観光案内所へ。案内所は8時から17時まで開いていて、英語と日本語もできる親切なスタッフの方が対応してくれた。カタコトの英語で「今晩遅くに出るイスタンブール行きのバスを予約したいのだ」と言うと「Japanese? 日本語で大丈夫ですよ」と返されてずっこける。23時15分発の便を予約。サフランボルで日本語が使えたのはここのみだった。
案内所を出ると、広場に立っていた若いポリスメンが声をかけてくる。「日本人か? 大阪から?」これまで日本、東京の次に横浜? と聞かれることが多かったので、大阪が出たことに驚く。「サフランボルは大阪と姉妹都市なんだよ」とのこと、なるほど。「札幌を知っているか? North Japan, Hokkaido」と聞いてみると、頷いて携帯電話を取り出し、辞書機能で土英辞典を呼び出し"earthquake"の項目を見せて来る。地震が多くて大変だろう? と。奥尻島沖か釧路沖地震のことだろうか。「Yes, in Japan, so many earthquake」と返す。ポリスメンの兄さんは、困ったらいつでも声をかけてくれ、僕はここにいるから、と言って敬礼してくれた。



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再び宿に戻り、ひと休みして荷物をまとめてチェックアウト。バスが夜遅くなので、それまで荷物を預かってもらえないか、とマスターに聞くと、もちろん、と快諾してくれた。マスターはさらに「これから町に出るなら、英語と日本語の音声ガイドが付いた車で町を周るといい」と教えてくれた。僕たちはこのガイドを利用しなかったが、会話した3人、立て続けに親切にされたので、すっかりこの町が好きになる。


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それでは散策に出発。この町は町並みの他、古い民家を保存して公開しているとのことだったが、妻と相談し、歩いては休み、歩いては休みでぶらぶら写真を撮って過ごすことにした。「ゆくか」「ゆこう」「猫だ」「うむ」そういうことになった。


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地形を見ながら低い方向へ。谷地形なのだから川があるはずだ。観光地っぽいところを外れて歩くと、……あった! 川だ! 増水して濁っているが、きちんと川があって嬉しい。


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カッパドキアとは明らかに植生が異なるのが分かる。川周りにはドロヤナギかハコヤナギの仲間が河畔林を形成していて瑞々しい。川のほうへ下る間、湧き水が斜面を湿らせている場所があって、そこでは日本でよく見るギシギシやイラクサ、ヒメオドリコソウなどが生えていた。日本では普通の植物が、この土地では湿った箇所にしか生えないということだ。興味深い。


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遠くを歩いている若い男ふたりがこちらに手を振る。写真を撮れと言っているようだ。撮る。僕も手を振る。


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谷の反対側から見ると、フドゥルルックの丘からとはまた違った街並みが見える。瓦の色がくすんでいるこちらが、もしかしたら本来の姿なのかも知れない。旧市街の旧市街、裏サフランボル。


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女性ひとり旅と思しきアジア系の女性が僕たちと同じ方向を歩いていた。言葉は交わさなかったけれど、同じ犬に挨拶。そろそろ広場のほうに戻ろう。


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サッカー少年を発見。坂道の下から上に蹴り、転がってきた球をまた蹴っている。これが永久機関か…。手を振り微笑むと彼も笑う。カメラを見せ、首をかしげて撮る仕草をするとポーズを決めてくれる。シャッター。パスをもらったのでトラップして返す。残念ながら僕はサッカーが苦手だ。


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10歳から12歳と思しき子供たちが町を歩いている。皆手にデジカメを持っているし、見学旅行かなにかで国内から来ているのだろうと推察した。アンカラを朝7時に出れば11時過ぎに着く。すれ違うと、皆がこちらを見てくる。手を振る。手を振り返される。幾人かは小走りで戻ってきて僕と一緒に写真を撮ってくれとせがむ。かっこいいポーズで写る。


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絵に描いたような土産物屋さんと絵に描いたような土産物屋のじいさん。「日本人か? ガイドブックを持っているか?」と聞くので「地球の歩き方」を見せると、冒頭のほうにじいさんの写真が載っていた。得意げな顔。近くにいた他の観光客もそれを覗き込み、そこでいくつか買っていた。


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と、妻の声がするので振り返ると、膝の上にキジ猫が載っていた。「動けなくなっちゃった…」猫ともどもかわいい。なんだか悔しいので、妻の膝から猫を抱き上げ、背をかがめて自分の肩の上に載せた。さっきの観光客の女の子が笑っている。


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妻が「ベッカム!」と言う。すれ違った兄ちゃんが格好よかったようだ。妻がふらふらとついて行くので僕もそれに続くと、兄ちゃんが入った店から青年が出てきて、コーヒー飲んで行くかい? と言う。僕たちは顔を見合わせ、休憩してゆくことにする。トルココーヒーは粉を煮出し、そのままカップに注いで上澄みを飲むそうだ。今回の旅行でこれが初めて。砂糖を入れてもらって飲む。おお、濃いがうまい。


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さっきのベッカム(写真左)は連れの兄ちゃんと水タバコを吸っていた。こりゃ絵になるぜ、と思って、「レスミンズィ チェケビリル ミィム?(写真を撮らせてもらってもいいか?)」と聞くと、煙を吐き出しながらOKしてくれる。煙があるほうが雰囲気のある写真になったが、ベッカムがかっこいいのでフラッシュを焚いたほうを載せる。


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町のロクム(砂糖菓子・牛皮餅のような食感)屋さんで試食をする。先日弟が買ってきたバラ味のロクムはいまいちだったが、ここで試食したサフラン味とピスタチオ・ナッツ味のロクムは大変おいしい。ただ、荷物を今増やしたくなかったので、マッカーサー元帥ばりに「アイ・シャル・リターン」と言い残し店を出る。


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お腹も空いたので昼ご飯にすることに。街角のロカンタ(バイキング式食堂)に入る。昨晩ジンジ・ハンで食べたピデが忘れられず、ピデ2種類(サフランボル・オリジナル・ピデとミックス・ピデ)とナスの煮たの、サラダを頼む(トルコの食堂では頼まなくてもパンやバゲットが出てくるのだが、そういうものなのだろうか?)。計13.5TL。ところでこのピデ切り包丁、ちょう欲しい。


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このピデとナスの煮たのが言葉にできないほど美味しく、僕はうっかり涙してしまった。「なんだこりゃ」「なんだこりゃ」とぶつぶつ言いながら涙を浮かべてパンをかじる男。僕のトルコ旅行行程中、一位のレストランがここのロカンタだった。


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ロカンタのおっさん、チョク ギュゼル(とてもおいしかった)、テシェックェデリム(ありがとう)!


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多幸感の中、広場に。さっきすれ違った子供たちが集まっている。バスを待っているようだ。荷物の中からここぞとばかりに日本から持って来たミルキーの袋を出し、皆に配ってもらう。言語が違えど子供の相手なら僕の独壇場である。ジャポヌム? ジャポヌム? と聞くので、そうだおれはジャポヌムだ、ジャパニーズ・カラテを見せてやる、と言い、演武をする。カラテと言ったは良いけど僕は少林寺拳法の動きしかできないので、なるべく誤解を小さくするような空手っぽい所作を心がけた。ジャパニーズ・カンフーと言って中国と日本をごっちゃにされるよりは良い、と思った結果の行動である。全国の空手家の皆さんの中に、海外で誤った空手のイメージの拡散を憂いている方がおいでであれば僕は謝らなければならない。


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続いて子供から「Box!(ボクシングも!)」と声が挙がったので、フックだボディーだボディーだチンだ、えーい面倒だ、このへんでノックアウトだとばかりにシャドーボクシングをする。疲れて座り込むと周りに集まってきたので、ガイドブックを片手に意思の疎通を図る。どこから来たの?


子供たちは間もなく来たバスに乗り、帰って行った。近くで見ていた青年3人組が近づいて来る。サフランボル在住の若者のようだ。彼は英語が少しできた。「日本人か、トルコは好きか? サフランボルは?」僕は答える。「大好きさ、きっと日本人は皆、この国も、町も、ひともみんな好きさ」海外旅行者のステレオタイプの如く、勝手に日本人を代弁して答える。それでも僕がそう思ったのは本当だったし、そう言うことでこの町に住む彼が喜んでくれるならそれでいいと思った。
きっとこれも海外旅行初体験者のステレオタイプなのだろうけれど、僕は旅の途中、そこここで「善き日本人として」という価値観に照らし合わせて自分が行動できているか、ということを意識した。ナショナリズムを変に推すつもりはない。ただ、妻はこう言っていた。「タイに旅行に行ったときは、チャイニーズか、コリアンか、の後にジャパニーズか、って聞かれたけど、トルコに入ってからぜんぜん言われないね」そう、僕たちがこの旅で逢ったひとのほとんどは、僕たちの言葉を聞いていなくても、最初に日本人か、と聞く。観光業のひとならまだ分かるけれど、そうじゃない市居の、イスタンブールの若者や、田舎のロカンタや鍛冶屋のおっさんでさえも。トルコが親日国とはよく聞くけれど、僕たちが体験したことは、それのひとつの裏付けになり得るかも知れない、と思ったのだ。


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さて、再び鍛冶屋街へ。昨日見て気になっていた鎌をもう一度見に行く。見れば見るほど無骨な刃物で、目的のために作られた感じがありありと出ていてよい。パイプ状の鉄の先を4分の3ほど潰し、叩いて曲げて削って刃にして、柄として残した円柱状の穴に木の柄を差し込んで使うものだ。僕はこれを買った。


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店のおっさんは叩いているところを見せてやる、と言って、おもむろに炎から取り出し、鎚で叩き始めた。


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同じ店の中に居た、彼の息子と思しき少年が僕の手を引いて「僕の店にも来てよ」と言う。彼の姉と母親だろうか、銅や真鍮の細工が並んでいる店で、僕たちは小さなお盆を買った。昨日お茶をごちそうしてもらったカジムの店に顔を出し、挨拶をする。朝の散歩で同じ道にいたアジア系女性が高い買い物をしそうな雰囲気だったので、僕たちは彼に別れを告げて再び町へ。


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よちよち歩きの少年。なぜアラブ系の子供たちはあんなに目が大きいのか。


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チャイハネに入り、野帖にこれまでのぼうけんの書を記録していると、隣のテーブルでオーケイ(トルコ式麻雀)が始まった。見ていると、お前もこっちに来い、と言われ、チャイをごちそうになる。オーケイが終わり、今度はトランプに。ルールが分からないが、どうも駆け引きが行われているようだ。平日の真昼間からいいおっさんが雁首揃えてトランプに興じているのはとてもよいと思った。
ところで村上春樹は自身のトルコ旅行記の中で「マルボロを1ダース持って行くべきだ」と書いている。シガラの勧め合いは重要なコミュニケーションというわけだ。しかし僕は非喫煙者なので、なにか物々交換に、くらいの気持ちで2箱のマルボロを鞄に入れて来ていた。このタイミングしかない、と思い、チャイをおごってくれたおっさんに「ジャパニーズ・シガラだ」と言ってひと箱を渡すと、こっちが恐縮するくらい喜んでくれ、トランプ仲間に自慢していた。皆さんに礼を言い、店を後にする。


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昼前に試食したロクム屋さんへ再び。入り組んでいるのと、何件も菓子屋さんがあるのとで迷ってしまった。お兄さんは僕たちを歓迎してくれ、また皿に山盛りのロクムとチャイを出してくれた。お兄さんは英語ができる。お互いの名前や年齢を交えて話をし、ガイドブックを取り出してトルコ語会話を試みようとすると、お兄さんが巻末の例文を見て「これ(トルコ語例文)は日本語でなんと言うのか教えてくれ」と、逆に日本語講座が始まった。
お兄さんが知っていたのは「こんにちは」と「ありがとう」。「これは?」「『こんばんは』、Good eveningだ」「KONBANWA…これは?」「『おはよう』、Good morningだ」「…OHAYOH、と。OHAYOHとKON-NICHIWAの違いはなんだ?」「おはようは朝にしか使わない、こんにちははいつでも使える、メルハバと同じだ」「KON-NICHIWA=Merhaba…」とメモしている。最後に聞かれたのは日本語で「お目にかかれて嬉しく思います」。妻と顔を見合わせ、言い易くて変じゃないのはなんだろう、と考え、「『あなたに会えてよかった』、I'm glad to meet youだ」と答える。サフランボルで「あなたに会えてよかった」と言うロクム屋さんがいたら、僕たちの仕業と思って構わない。ロクムを3箱買ってゆく。


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まだまだ時間もあるし、ゆっくりと町のジャーミィを見学することに。妻は町行くおっさんに身振り手振りで「頭になにか巻きなさい」と言われ、そのように。


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初めて立ち入るモスク内。


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靴を脱ぎ、深呼吸して中へ。


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……。



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……。


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ひとりの老紳士が、お祈りを捧げていた。


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確かにここには、なにかが息づいている。


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モスクを出ると日が傾いてきていて、少し肌寒い。日没前にもう一度、フドゥルルックの丘へ向かう。桜に似た花を見つける。


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僕はこの町に旅人として訪れ、旅人として去る。そうやって幾千万のひとを飲み込み送り出してきたのだろうと思うと足が震えた。ウシミチの姿はなかった。


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管理人さんにさよならを言って、細い坂道を下る。降りたところでウシミチが駆け寄ってくる。さよならと撫でる。


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ロクム屋さんの向かいが軽食屋さんで、さっき誘われていたので入る。そんなにお腹は空いていなかったので、簡単なものを注文。


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トルコ式クレープことギョズレメ。最初、頼んでいない一番高いメニューが出てきたので、これは頼んでいない、と言う。言った言わないの押し問答になったが、妻がおばちゃんをなだめてくれ、おばちゃんも分かってくれたのでよかった。抱き合って店を出る。


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外はもう暗い。不注意から夜道の危ないことに巻き込まれるのも嫌なので、まだお店がやっている通りを選んで広場へ向かう。


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それでも午後8時くらいだと観光客も外を出歩いていて、素敵な雰囲気だ。


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道端にワゴン車が停まり、男たちが群がっている。なんだろうと思ったら、スーツの行商だった。トルコのいい歳をした男たちは皆ブレザーやジャケットを羽織っているが、行商のメインは上下揃いのスーツのようだった。


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宿、ギュル・エヴィに寄り、預かってもらっていた荷物を受け取る。宿のおかみさん(と呼ぶには上品すぎたが)が出てきて手を振ってくれる。さよなら! いつかまた来て、また泊まります! さよなら!


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朝、案内所の大柄なお兄さんは「23時までにクランキョイにあるメトロ社の窓口へ行ってチケットを買ってください。予約はしておいた」と(日本語で)言っていた。旧市街チャルシュを発ち、中心街クランキョイからイスタンブール行きのバスに乗って、サフランボルの滞在は終いとなる。


カッパドキア・ネヴシェヒル空港へ向かう飛行機の中で、ギョレメの丘で、サフランボルのフドゥルルックの丘で、僕は高いところから風景を眺めるたび、サン・テグジュペリの書いたとあるフレーズを復唱していた。『努めなければならないのは、自分を完成することだ。試みなければならないのは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っているあのともしびたちと、心を通じあうことだ』。あるいはもうひとつ、「星の王子さま」の有名なフレーズ、『大切なものは、目に見えないんだよ』を。
僕が触れて来たこの町の空気は目に見えない大切なものだ。僕は考える。「大切なものが目に見えない」という言葉は、「目に見えないものこそが真実で、目に見えるものはさして大切ではない」と捉えられかねない。それは違う。僕はいちいち考えなければならない。「目に見えない大切なものよりも先に、数多の目に見えるものを、手にとれるものをこそ、僕は大切にすべきだ」と。飛行機乗りだったサン・テグジュペリは、自分の眼下に広がる人間の生活を、思考を、自分の握る操縦桿と目指すべき目的地を視る目を、かけがえのないものと考えていたはずだ、と僕は思う。そうでなければ、はるか下方に散らばる消えそうな小さな灯りの群れから彼ら蒼氓の生活を想像したりするだろうか。そんな彼が残した「大切なものは目に見えない」というフレーズが、五感の軽視であるはずがないのだ。
僕は、自らが感じた目に見えるものを心に留めて、無骨な刃物を手に、この町を去る。次の街、イスタンブールへの再訪が、旅の終わりであることを強く意識しながら。








飛んで跳んでとんで!イスタンブール(トルコ旅行記その4) - 紺色のひとに続く…


妻のサフランボル旅行記については
トルコ旅行記4日め カッパドキア〜サフランボル
トルコ旅行記5日め サフランボル
あたりをお読みいただけると。

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