紺色のひと

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カッパドキアの地と空と(トルコ旅行記その2)

この記事は「トルコで僕はなにを考えようとしていたか(トルコ旅行記その1) - 紺色のひと」の続編です。
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4月5日 月曜日(3日目)

朝6時30分、僕は携帯電話のアラームで目を覚ました。トルコはイスタンブール、観光地のど真ん中にある小さなホテルの一室。前日は飛行機の中で眠ったり目覚めたりを繰り返していたせいか、昨晩は横になった瞬間に眠りに落ちたような気がする。隣の妻はぴくりとも動かない。喉の渇きを覚え、枕元のペットボトルを手に取ると、薄いカーテンが窓ガラスに貼り付いていることに気付いた。ひどく結露している。身を起こして洗濯物を触ると、まったく乾いていなかった。念の為にバスルームの換気扇を回してそちらにも干していたが、大して状況は変わらなかった。部屋の造りと気候のせいだろう、完全乾燥は期待していなかったのでさして落胆もせず、僕はさっさと自分の湿った洗濯物を丸め始めた。
妻を起こし、身支度を整え、少し骨盤周りの体操をして調息。今日明日でカッパドキアへ向かう。


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宿の経営者、姉のアイシャさんに旅程を相談する。僕たちの行程を伝えたら、今日明日のカッパドキア行程があまりに短いのを「勿体無いですよ」と言われていたのだ。実に流暢な日本語、こちらが敬語や謙譲語などを意識しなくてもまったく問題なく伝わっている。これが語学能力か。感服した。そしてなにより美人だ。
ともかく、カッパドキアの次に向かう予定であるサフランボルではどうしてもゆっくりしたかったので、事前に決めていた行程で旅を続けることに決め、アイシャさんにサフランボルの宿の予約代行をお願いした。トルコ語で電話など僕たちには荷がかちすぎる。


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朝食をとる時間がなかったので、アイシャさんと弟さんにパンやパイをもらって出発。旅の後半でこの街に戻ってくるとき、また挨拶できればよいと思った。ありがとう、いってきます。


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朝も早よからご苦労さまです。僕たちもトラムとメトロを乗り継いでまた空港へ向かう。


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トラムの掃除夫さんたち。旅で出会った公共交通機関職従事者のおっさん方は総じて陽気だった。



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窓の外に流れるこの街の日常を垣間見る。通勤、通学、それ以外の何か。


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逆光を撮ったらオシャレっぽくなるかな、と思ってやった。オシャレかはともかく、場所の力ってすごいよ。



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トルコ航空の便で、カッパドキアの最寄空港のひとつであるネヴシェヒル空港へと発つ。


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俯瞰風景。よく晴れていて、空中写真を眺めているような気分。


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眼下に見えるはトゥズ湖。「塩湖なんだよ!」ガイドブックを見ながら妻が言う。「塩湖って言うとおじいちゃんを思い出すんだよね…。おじいちゃん、ウンコのことをエンコって言うんだよ、海の町のひとだからかなあ」。今日も可愛い。


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河川流入部で発生した濁りが、砂嘴で緩んだ流れで治まっている様子がよく分かる。そのうち砂がさらに堆積して、次の増水でまた決壊するのだろう。ところで日本の田畑を見慣れていると、畑が均一な形でないのに違和感を覚えるけれど、これだけ広くてひとがいなけりゃ使えるところを使ったほうがいいよね。


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碁盤の目の街の住人にとってはまるで迷路のような集落の上空を通過し、


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平地の中に突如現れた大地の隆起と谷の上を通過し、


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濁った川に沿って飛び、


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増水に沈んだ中州に目をやった。


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通路を挟んで反対側の座席では、日本人と思しき男性が僕と同じように窓の外を眺めている。mont-bellの折りたたみザック、マーモットのアウター、メレルの靴、ロウ−アルパインの大容量ザック。ちょっとがちがちに固めすぎな感はあるけれど、アウトドア方面に旅慣れた若者だ。声をかけようか迷った挙句、そのまま後姿を見送った。


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カッパドキアの西に位置するネヴシェヒル−カッパドキア空港に着陸。太陽が眩しい。眩しいのでレンズにPLフィルタとゴム製のレンズフードを付けて撮影したが、広角いっぱいで写したとき、レンズフードの端が写り込んでしまった。以降の広角写真が穴から覗き込んだようになってしまう。反省。


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荷物を受け取り、空港から出ると、タクシーの客引きがたむろしている。タクシーで市街地まで行くとお金がかかるとガイドブックにあったので、客引きをかわして、トルコ航空が出している無料バスに乗り込む。この判断がすれ違いを生んだ。


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窓の外の乾いた土地には、穴の開いた妙な形の岩が乱立している。奇岩、と呼ぶらしい。文字通り、まるで別世界だ。昔のひとが考えた月世界も、きっとこんな感じだったのだろう。どこか、古い国産SF映画を髣髴とさせる。



バスはネヴシェヒル市街へ。ぽんと放り出された僕たちはガイドを開いて地図を見たが、直後途方に暮れた。「手持ちの地図で目的地を確認」「現在地がわからない」状態だったのだ*1。うろうろしている僕たちに、気のよさそうなおっさんが声をかけてくる。と言ってもこちらがトルコ語を理解できないので、地球の歩き方流・巻末会話例文拳にて道を聞く。「ギョレメに行きたい。ここはどこだ?」。市内の中心部らしい、ということを教えてもらい、通りすがりの英語ができる少年や、バス停にたむろしているおじいさんに声をかけながら、なんとか両替を行い、ギョレメ行きのバス停を探し当てる。尚、ネヴシェヒルに着いてからの僕はまったく余裕がなく、カメラをしまいっぱなしで写真を撮ることができなかった。活気があって楽しい町だったのに勿体無いことを。



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ともかく、本日の宿があるギョレメ村に到着。あー、なんとかなった。というか、なんとかした、という実感。バスターミナルからの風景が既に異界。時刻は午後2時頃である。タクシー乗り場の運ちゃんが声をかけてくる。客引きか、と思ったが、やたらに優しく距離を保って会話をする。「どこから来た?」「日本」「日本か! おれは日本が大好きだ。おれはムスタファ。君は?」と、自己紹介の後、ホテルまでの道を教えてくれた。お互い抱き合って頬を交互に合わせる挨拶にも慣れてきた。


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カッパドキア周辺には明日の朝までしか滞在しない予定なので、一旦宿に荷物を置き、午後の時間で地下都市を見に行くことに。


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坂を登ったところに、本日の宿・Traveller's Cave Pensionがある。文字通りの洞窟ホテル。宿のお兄さんに到着を告げると、「僕のこと覚えてる?」と。いや、初めてお会いしたと思うけど…と言うと、空港まで君たちを迎えに行ったんだが、僕の目の前を通り抜けてバスに乗ってしまったんだ、と。迎えに来てくれていたのか! 妻に聞いても予約時にそういう話は出てなかったというし、無駄足を踏ませてしまって申し訳ない気分に。でも「無事着いてよかったよ、こっちのミスだ」と気持ちよく言ってくれたので救われる。
ちなみにこの宿では3年間程日本人女性の旅行者さんが滞在しており、mixiを通じて予約を受け付けたり、旅行情報を発信していたという。いた、というのは、僕たちが着く数日前に宿を離れたから。一度お会いしたかったけれど。


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さあ、時間はあまりないけれど、カッパドキアを回ろう。白い岩、白い壁、青すぎる空。フィルタのせいもあるけれど、本当に空が青い。秋でもないのに高いので、なんだかかなしい気持ちになる。


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ギョレメからネヴシェヒルにバスで戻り、乗り換えてカイマクルへ。


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買いまくる、もといカイマクル地下都市は、なんでも昔のキリスト教徒が迫害を逃れて作った穴倉だとか。その深さは地下8〜9階とのこと。中に居住区や礼拝所のみならずワインセラーまで作ってしまうあたり、彼らの本気がうかがえるというもの。日本で言うところの「四郎様と一緒にぱらいそさ行くだ」クラスタの皆様か。


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さて、洞窟探検なんて心躍る体験、なかなかできないぞ、と足を踏み入れてみると。…じゅ、遵行方向? じゅんいく? 荀紣?


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どこからどこに繋がっているのかわからない立体迷路に、僕はだんだん心細くなってきた。


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もちろん他の観光客もいるので、隣の隣の穴あたりからガイドの喋る英語が響いて来はするのだが…なんだ、この体の震えは。


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壁をちょっとだけ引っかいて、なるほどー、この火山灰だったら大きな道具がなくても掘れそうだなー、とか現実的な思考に切り替えてみても、妙な不安は消えない。自分がどこにいるかわからなくなる感覚とでも表現すればよいのか、まさに自失だった。


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ま、まだ下に行くんですか? そろそろ魔王とか出て来そうですよ?


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ゆうしゃ妻は妙にはしゃいでいるのに声をほとんど上げず、どんどん孤独を強めた僕は、体の幅くらいの通路にうずくまり、膝を抱えて「僕がここで完全に独り取り残されたとしよう、外界との接触は不可、信ずる神もいない、話す相手もいない状態でどれだけ耐えられるだろうか? そう簡単に肉体の死は訪れまい、しかしこの閉塞間、閉所恐怖症でもない僕がどうしてこれほど恐れているのか。闇ではない、歴史でもない、一体なにが…」などとぶつぶつ口に出してみた。すると思ったより怖くないことがわかったので、安心して妻を待った。


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やっと出口だ! 「ああ、光だわ、光だわ!」(テレスドンに出てきた地底人ふうに)


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バス乗り場までは道の両脇に土産屋が立ち並び、京都の清水寺に向かう三年坂を思い出させる。「センエンセンエン!」下手な客引きだな。


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バスで再びネヴシェヒルへ。子供はこの国でも元気に遊んでいる。嬉しくなる。


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果物屋はどこも色鮮やかで、写真を撮らせてもらうのが楽しい。
バスを待つ間、町の食器屋さんでチャイグラスを物色していたら、「日本人か? チャイを飲んでいかないか?」と店のおじさんに声をかけられる。どの旅行記を読んでも、お茶を勧められる描写があったので、遂に来たか! と思ったのも束の間、バスの時間が迫っていたので泣く泣く断る。おじさん、ごめんなさい、ありがとう。次に来る旅行者にも優しくしてあげて、というのは僕のわがままだけれど、あなたに声をかけてもらえたので僕は嬉しかった。


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ギョレメ方向のバスに乗り、村を一望できるギョレメ・パノラマにて途中下車。ここからしばらく歩いてゆく。日暮れ前には着けるはずだ。妻の向こう遥か彼方に見えるのは、カッパドキアの代名詞とも言えるローズバレー。今回の旅ではあそこまで行かないので、遠くから見ていることにする。桃色に焼けた土は遠く遠く。


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この重い置物、持って帰りたいと思うひとはいるのかな。金属製のガラクタの類に引かれる性質なので、錆びたイスラムの刀剣などを持って帰りたくなる。さすがに無理だと思い、大きなフォークを手に取ると、店の兄ちゃんが声をかけて来る。「ヘロー、どこから?」日本だ、ところでこれはいくらなんだ「これかい? 20リラだ」さすがにぼったくりだろう。とても買えない。「2リラなら?(トゥー リラ、オーケイ?)」と聞くと、「ジュウリラ(10リラ)? オーケー!」と返される。日本語分かるんだな。面白いが、もちろん買わない。


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奇岩群を見下ろす。まあ、これを漢字で表現しろと言われたら、「屹立」以外は思いつかないだろう。僕だってそうだ。他の誰が屹立と言ったかは知らない。ちょっとだけ、深海の熱孔周辺の管状の生物を思い出したが、口には出さなかった。あんな大きいものにウネウネ動かれてみろ、熱水を噴出すのはこっちだ。


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土産物屋がパノラマの崖沿いに連なっている。この花、故郷は札幌の花、ライラックに似ている。けれど懐かしくなったりはしない。旅に出てまだ3日目だから、というわけではない。僕はあの街で生まれ育ったし、愛着もあるし、暮らし易いいい街だとは思うが、あの街が好きなわけではないのだ。帰るべき土地は別にあると今も信じている。どこかはまだ、わからない。けれど旅の目的は目的地を探すことにはないと僕は思う。少なくとも、今回はなおさら。


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ピンクや黄色に染められた置物。もしかしたら奇岩も光の具合でそう見えることがあるのかも知れない。日本に帰ってから、旅好きでバックパッカーの義妹が「お兄ちゃん、どうしてカッパドキアのあれ(写真のこれだ)買ってきてくれなかったの?」と聞くので、そもそも欲しいなんて知らなかったよ、と言うと、「だって自分じゃあんなの持って帰って来たくないから」。うん、お兄ちゃんは君の、そういうどうしようもなく正直でわがままなところ、嫌いじゃないよ。むしろ好きだよ。頼みごとがあったらなんでも言うといい。


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逆光と妻。別に踊っているのでも必殺拳法の修業をしているのでもなく、カメラをいじっているだけだ。僕も大概挙動不審だが、妻も目を離すとこれなので、お互い牽制し合いながら毎日を暮らしている。旅でもそれは変わらない。あくまで日常の中の非日常であって欲しい。


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土産物屋をすり抜け、村へと下る道へ。


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兄弟と思しき、そっくりな犬が2頭、こちらの様子を見ている。一定の間合いを計りつつ甘えてくる。……こいつ、出来る…!


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あちこちで白い花が咲いている。ネヴシェヒルからのバスで隣り合ったおっさんに、山の白い花はなんだ、と聞くと、「あれはアプリコットだ」と言った。バラ科サクラ属アンズ。花のつき方がちょっと妙だけど、バラ科ではありそう。


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あ、タンポポだ。


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村に西日が差し込み始めた。日の入りが近い。少し急ぐことにする。日が暮れる前に村に入らなければ。


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意外と村まではすぐに着いた。あ、ラクダ! 観光用なんだと思うけれど、ロバはごく当たり前のように荷馬車を引いているし、もしかしたら日常的に使っているのかな。


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宿の日本人女性が書き残していった「旅のノート」。旅の注意事項やお薦めスポットがぎっしり書かれたそれには、宿の裏手の丘から村を一望できるとあった。坂道を登り、逆光に吸い込まれるように丘に集まっているひとたちのところを目指す。


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広場のオトガル(バス乗り場)があんなところに。別世界だ。


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僕たちの他にも旅行者が多く集まっている。若いカップルが多い。手を繋いで座り込んだりしているが、僕たちが握っているのはそれぞれのカメラ。


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地元の若者も来ている。


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村に射していた西日が再びめくれ上がる頃、僕たちも丘を降りることにした。少し風が冷たい。銅像のように最後の光を浴びる凛々しい猫。


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おとーさん。


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ガイドブックに載っていた、オトガル近くのギョレメ・レストランに入る。


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テーブル席と、靴を脱いであがる絨毯席があって、迷うことなく絨毯席へ。ふと靴を見ると、靴を揃えてあがっていたのは僕たちだけだった。これも文化の差なのか。何組か先客がおり、皆絨毯席でくつろいでいた。店では伝統音楽の演奏を聞かせてくれた。あのでかいマンドリンとバンジョーのあいのこみたいな弦楽器が欲しい。


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椎名誠御大に倣い、ビールビールをうぐうぐ。エフェスビールは酒に弱い僕でも飲みやすい。イスラム圏だからなのか、酒の種類は少ない。


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サチ・タワ(羊のサイコロを、野菜・米と一緒に鉄板で焼いた料理)が運ばれてくる。なんだこりゃ、もの凄く美味しい。米もおかず然としているがうまい。妻が頼んだ羊のキョフテ(肉団子)もうまい。羊が気にならない北海道人でよかったと都合よく思う。多分、トルコ料理の合う合わないは、羊とヨーグルトで決まると思う。多幸感の中でご飯を食べ終わり、手帖にここまでの「ぼうけんの書をきろく」する。


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すっかり酔っ払って店を出る。外はすっかり暗い。おや、あの青い明かりには見覚えが…


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ファミマだ! こんなところに! 期待して店内を覗くと、トルコのものに混じって中国韓国系のお菓子がいくつかあるのみで、あまりジャポン的ではないのでちょっと残念。普通の個人商店みたいな陳列が笑える。


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妻は灯りのほうに吸い寄せられるように向かっていった。きっとあの先に甘いものがあるに違いない。照明で照らされたお菓子屋さんのショーケースの中はとても魅力的だったが、満腹なので明日にリベンジを誓う。


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僕は道端の毛玉に挨拶した。よう兄弟。寒くないかい。道端で飛行機のアウトドア旅人とすれ違う。妻と手を繋いで宿に戻り、歯を磨き、シャワーも浴びずに眠る。21時30分。



4月6日 火曜日(4日目)


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5時30分起床。起きて部屋のドアを開けると宿の猫が入ってくる。窓の外に、ひとつだけ気球が浮かんでいる。朝日を見に、もう一度裏の丘へ登ることにする。


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猫と一緒に部屋を出、丘へ向かう。村はまだ眠りの中。


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ノートの情報通り、丘には野犬が多い。野犬というよりも野良犬で、人懐っこく近づいてくるのと、群れになって離れたところから吠えるのがいる。ノートには「フェロモンのある方、以前追いかけられた方は注意!」とあった。僕の友人に、吹雪の釧路で野犬に追いかけられ、電話ボックスに非難してやり過ごした経験を持つ男がいるが、彼などはきっとモテモテだろう。


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よいロケーションなので彼らもハッスルしている。気球による観光ツアーが行われていて、離陸準備をしている。


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ハッスルし過ぎたのか、別の犬の群れに追われて遠くへ行ってしまった。


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曙光が射してくる。おもえ shokouのときを!



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屹立する御神体にも光は降り注ぎ、影が動いてゆく。


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夜明けが来た。気球も飛び立つ。一斉に――と言うには緩慢だけれども、少しずつ空に増えてゆくのだ。


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嗚呼。しばし言葉を失う。



ふと頭に一本の映画のことが浮かんだ。1959年東宝「宇宙大戦争 [DVD]」。なんの因果か学生時代に寮の連中と見た、思い出深い映画だ。内輪受けで大笑いして何度も見た。今も見返すが、誰もが見て面白い映画かはわからない。


――異星人ナタールの地球侵略を食い止めるため、宇宙艇スピップ号で月に乗り込んだ科学者たち。前線基地を破壊し、月を脱出しようとした彼らに、生き残りの円盤が襲い掛かる。その時、宇宙艇の外から援護射撃が! あれは隊員・岩村(土屋嘉男 - Wikipedia)! 彼はナタールに洗脳された責任を取り、ひとり残って円盤を食い止めているのだ。宇宙艇は岩村の活躍により、辛くも月を脱出した――*2


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という名シーンがあったので、僕は迷うことなく岩村を演じた。「スピップ一号を爆破したのは俺だ。宇宙人のロボットにされたんだ」「幸福に 暮らせよーッ!」夜明けのカッパドキアに響く悲痛な叫び声。遅すぎた日本SF界の夜明けを、平成の世になって僕はここに宣言したのである(前置きが長くなるのを承知のうえ、ネタを自ら説明するつもりでこの写真を撮った。後悔はしていない)。


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と、気づくと足元に犬が座っている。なかなか間合いを詰めようとしない。警戒されているようなので、岩村の真似をやめて大人しくしていると僕たちについてきた。


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日はいつの間にかすっかり昇っていた。


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空に舞い上がった気球は、村の上で高度を上げ、ローズバレーを俯瞰しているのだろう。僕たちは犬とそれを見上げている。


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子犬は走る走る走る。


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なにがそんなに嬉しいのか、走る走る走る。


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足元に絡まるようについてくる。お前はすねこすりか。「ふたりと一匹」的な写真が撮りたかったが、細かく動き回りうまくゆかない。


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妻と一匹。僕は猫も犬も好きで、犬はキツネ顔が特に好きだったのだが、この犬のあまりの愛らしさに「垂れた耳もいいなあ」と思った。妻にそれを言うと、私はやっぱり猫のほうが好きだなあ、とつれない。


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僕たちが丘を降り始めると、だっと駆け出し、一度こちらを振り向いて反対斜面を下って行った。さよなら。犬、さよなら。幸福に暮らせよーッ!


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宿に戻り、ギョレメを発つことを宿の兄さんに告げる。「また会おう」彼に握手で応えた。


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オトガルのある村の中心部へと下る。強い光、黒い影。心をぎゅっと繋ぐ。


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寝ても起きても、これが日常の風景になるとは思えない。例えば3年暮らしたとして、普通だと思えるだろうか?


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そんな僕の疑問をよそに、日はまた昇り、今日も暑くなりそうだ。僕は坊主頭なので、頭皮の日焼けがちょっと心配になる。あまり暑くなるようなら手ぬぐいでも巻くか。


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馬車がゆく。


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村の人々に併せて猫も起き出してくる。起き抜けの機嫌の悪そうな顔で睨まれる。商店でハニーチュロのようなパンを買い、ベンチで食べる。とてもうまい。


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おや、昨晩の毛玉。かゆいのか靴に体をこすり付けてくるので、つま先であやしてみる。踏んだり蹴ったりしているわけでは断じてない。僕は子供とご年配の方とかわいい女の子と自分と動物には優しいはずだ。


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僕たちはこれから長距離バスで首都アンカラへ向かう。アンカラで乗り継ぎ、世界遺産都市サフランボルが目的地だ。半日くらいしか滞在しなかったのに、こうも強く記憶に残るのはなぜだろう。不思議な場所だった。イスタンブールのアイシャさんも、僕の友人のトルコ帰国子女も、カッパドキアを強く薦めていた。スピリチュアル的な意味ではないにしろ、なにか強い引力を感じたのは事実だ。それでも、剥き出しの大地に馴染みがない僕には、この風景は荒涼とし過ぎている。朝、村のパン屋で一日分のパンを買って、大きな岩の横を通り抜け、家に帰って一日を始めることができるだろうか。多分、無理だ。違和感がありすぎる。この土地は乾き過ぎている。僕はくしゃみが止まらない。



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村の水路は枯れていた。僕は川のある場所がいい。井上揚水も歌っている。「ねえ君。ふたりでどこへ行こうと勝手なんだが、川のある土地へ行きたいと思っていたのさ」。次の町には川があるといいな。





で、バスを待ちながらそんなことを考えていたのだが、妻はというと踊っていた。「何やってるの?」「体操」ふうん。


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to be continued...
サフランボルのドアをあけたよ(トルコ旅行記その3) - 紺色のひとにつづく


追記

妻の旅行記・カッパドキア編については
トルコ旅行記3日め イスタンブール〜カッパドキア
トルコ旅行記4日め カッパドキア〜サフランボル
などをお読みいただけると。