紺色のひと

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春の嵐が吹き荒れる

ついこの間まで雪が降っていたとは思えない陽気が続く。今日は仕事を終え、いつものアパートとは逆方向、市内の実家へ向かう地下鉄へ乗った。
何千回と駆け上がった階段を上がり、小さな川の上の小さな橋の上でひと息つき、帰り道を辿るまばらな高校生を尻目に、僕は歩いた。母校の横を抜けるまで、合わせて10人ばかりとすれ違っただろうか。まだ高校生になりたての男子や、すっかりジャージ姿が板についた女の子、夜間照明のついたグラウンドからは野球部の掛け声が聞こえてくる。

唐突に実感した。彼ら、15歳の彼らと僕の間には、10年間が広がっている。実に10年間が広がっているのだ。僕がスピッツを好んで聞いていた頃、特に好きな曲に「君と暮らせたら」があって、その歌ではどんな場所で、どんな情景で、どんな『君』と暮らせたらいいだろうか、ということを歌っていて、最後の歌詞は

15の頃のスキだらけの 僕に笑われて
今日も眠りの世界へとすべり落ちてゆく

という、妄想をも暗示させるようなものだった。当時15歳だった僕は、今の自分に笑われるような大人になる時がいつか来るのだろうか、と、あまり具体性を持たずにただそう思うだけだった。15歳の僕にとっては、10年後ですらあまりに遠い遠い道の先のことで、愛とか恋とか、そういう言葉の定義をやっきになって探すのが精一杯だったのだ。

そういうことを、思い出した。乾いた地面では砂埃が待っている。目に入って涙が出る。

追記:
同曲について書いた文章が出てきたので、リンクしておく。
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