紺色のひと

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将来について本気出して考えてみることにした

この一週間ほど、今までとは異なった視点で将来のことを考えている。
きっかけは、転職に成功した友人と話をしたことだった。彼は僕と同じ大学の同じ学科を卒業し、北海道の地方都市に就職、2年半働いて、少し前に公務員へと転身した。彼の仕事内容や職場の状況を詳しく聞くことはしなかった。彼にとってはむしろ、春からが本番だろう。
自分の職業と直接関わりが無い技術を磨くことへの意思を絶やさない、つまりとある資格の取得を目指して勉強を続ける彼を、僕は素直にすごいと思ったが、僕が将来のことを考え始めたのは、公務員や職種ということではなくて、転職そのものについてだった。
同窓会で今の仕事の話をすると、全員が全員、天職だ、あるいは楽しそうだ、というような言葉をかけてくる。天職かどうかはともかく、働いていて楽しい、というのは非常に重要な要素だと僕も思っているし、恵まれていることを自覚もしている。
ただ、未来について考えを巡らせるとき、僕は恋人のことも考えるし、子どものことも考える。帰りの時間、給料、住まい、エトセトラ。数日前、恋人と引越しの日程について話をしていて、彼女がぽろりと言った。
「あれ、家、買うつもり?」
僕はその言葉で、自分の将来について自分がどれだけ考えていなかったかを思い知らされた。庭が欲しいな、という漠然とした欲求はあって、それに加えて上司から住宅ローン金利についてのそそのかしを受けたり、住むのにいい場所を探したりしているうちに、すっかり僕の中で「札幌で家を買うもの」という道に収束してしまっていたのだ。
これは違う。家を買うか買わないか、の前に、いくらでも考えるべきことはある。職業は、土地は、家族は。そうしてみたら、ぱあっと選択肢が足元から広がるのを確かに感じた。陳腐だけれど、確かに感じたのだ。僕は自分のほんとうにたいせつなものがなにかを考え、感じて、決めて、そのために行動するべきだ。
「どこだって、ついてくよ」
僕はもう、ひとりじゃない。