紺色のひと

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のんのんばあとおれ〜サウスポーになれなかった男のはなし

「ここんとこ感情を吐き出すような記事が多いね」と言われた。そりゃそうです。そのために書いてんだもの。ただ、くだらないこともたくさん考えているわけで、文章のアウトプットを意図的に暗くしたいわけではない。ということで、くだらないことを書きます。
なお、自己防衛ではなく、客観的な事実として述べておくと、僕の振るネタは、

  • 前フリが長い
  • わかりにくい
  • そしてつまらない

と三拍子揃っています。まったく期待せずにどうぞ。






昭和の始め頃、とある鳥取の港町にて。
あるガキ集団では、大将が町を離れるのに伴い、次期ガキ大将の選出が行われようとしていました。候補はふたり、少年ゲゲと、そしてライバルのカッパ。
皆の提案で、ふたりは度胸試しのため、町はずれの廃屋「たたりものけの家」で一夜を明かすことになりました。たたりものけの家についてはこういう噂が立っていました。

昔そこに阪神ファンの家族が住んでいた。自分たちの子どもが甲子園に出場するのを夢見て、ひとり息子に野球をさせていた。息子は右利きだったがサウスポーへの転向を強要され、慣れない左手で日々鍛錬に励んでいた。
時は流れ、息子は高校野球部のエースとなっていた。自慢の左腕を振るい、チームは順調に勝ち進んで行った。地区予選決勝は壮絶な投手戦となった。2対1、息子チームのリードで迎えた9回ウラ、ツーアウトランナー1塁の場面で息子は突如左肘に痛みを覚えた。この左で投げるのは無理だ、けれど交代はしたくない。彼はおもむろに右手のグローブを外し、ボールを右手に持ち変えて振りかぶった。誰もが驚いたが彼のモーションは止まらない。渾身の力で右手から放たれたボールは真っ直ぐにキャッチャーミットへ向かい、バッターは迷うことなくそれを打ち返した。
サヨナラホームラン
チームメイトからも、観客からも、そして家族からも非難された彼は、自宅に戻ったその夜、命を絶った。彼の右手はナイフでずたずたに引き裂かれていた。家族もその町に居づらくなり、間もなく家を出た。
その後、何度か住むひとは代わったが、誰もが口を揃えてこう言うという。
「息子が自分の非力を嘆き、このミギウデさえなければ、この右腕が、と言って、まだこの家に残って居るのだ」

さて、夜も更けてそろそろ丑三つ時。ゲゲとカッパは意地を張り合い、「ほら、怖いなら帰ったらどや」「お前こそ母ちゃんが恋しくなってきたんか」とお互いをつつきあっています。
その時、ふっと風が吹いて、立てていた蝋燭の火が消えました。ふすまは閉めていたはずです。ふたりはがたがた震えながら、恐る恐る障子を開けて廊下を覗いてみました。なにも居ません。ほっとして振り返ったそのとき、なにかがふたりの目の前に飛び出しました。大きな体。ただれた皮膚。そしてなにより、苦しそうに挙げた声がふたりの鼓膜を震わせました。
ふたりは命からがら逃げ出して家に戻りました。ゲゲは布団の中で朝まで眠れませんでした。
次の朝、ゲゲは朝ご飯もそこそこに、お手伝いのおばあちゃんに昨夜のことを話しました。おばあちゃんは”のんのんばあ”と呼ばれ、妖怪や化け物のことにとても詳しかったのです。
「そうかあ、ほんまにおったんやなあ」のんのんばあは納得したように言いました。「そんで、しげーさん。それはなんて声だったんかね」
思い出すのも恐ろしい。恐怖を吹き飛ばすようにゲゲは叫びました。そう、ミギウデを振り上げて。


「うわんっ!」


のんのんばあとオレ - Wikipedia
うわん - Wikipedia

のんのんばあとオレ (講談社漫画文庫)

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