紺色のひと

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軽蔑のひと

僕は普段の生活を送る中で、他者への軽蔑をごく日常的に行っている。もちろん、心のどこかで思っていることを表立って表現することに僕はなんら意味を感じないし、こんな僕だって好き好んで他人の悪口なんて言いたくはない。大抵、黙っている。酔っ払ったり、心に隙があったりすると、ぽろりと漏らしてしまうことがあって、僕はそれを聞いていたのが心許せるひとであれば安心し、そうでなければ弁明する(今のところ深刻な弁明の経験はほとんどと言っていいほどない)。
さて、自分の負の感情を出さずに生活していると起きる弊害として、反論ができなくなる、というのが挙げられることに気づいた。恋人と話していても、職場で上司と話していてもそうだ。職場においては「思考はどうあれ結果的にイエスマン」とまで笑われている始末だ。以前「議論の余地しかない(議論ニガテについて) - 紺色のひと」というエントリでも言及したけれど、僕は自分の考えていることを、マイナスなら出さない、プラスなら出すとかではなく、もっと柔軟に主張してゆくことを覚えなければならないのではないか、そんなことを考えている。