紺色のひと

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御者座のひと

当方齢二十五にして、漸く自らの御し方に気づき候。
些細な連絡の行き違いと僕の阿呆な勘違いが重なって、しばらく街で時間を潰していた。持ってきた本も読み終わり、姿勢を正すと、背もたれのないベンチに長時間座っていたせいで腰が少し軋むようだった。僕は伸びをしてひとの溢れた改札前を離れ、駅前の割に閑散としたベンチに場所を移した。サルノコシカケのように柱にベンチが据え付けてあるので、今度は腰を気にしなくてもよさそうだった。
居眠りから醒めて時間を確認すると、あっという間に小一時間が過ぎていた。と、僕がそこに来る前から座っていた男が腰を上げた。男は傍らの、なにか細長いものを手に取り歩き始めた。それは紫の、濃い紫色の和傘で、僕は反射的に顔ごと視線を向け直した。昔、少しの間だけ和傘を持ち歩いていたことがあったから、僕は男に強い親近感を覚えた。手入れが面倒で使うのをやめてしまったけれど、彼はこの街で、雨の日に和傘を使うようになってどれくらいになるのだろうか。声をかけてみようかとも思ったけれど、そもそも紫の傘に「朱塗りの」、という言葉を使っていいのか迷っているうちに、男は颯爽と目の前を通り過ぎ、霧雨の街へと続くドアを開けて行ってしまった。
空腹が僕の体を満たしていた。そろそろアパートに帰ろうと鞄の中身を詰めなおしていたら、どこへやったかと思っていた煙草とライターが転がって出た。僕が初めて買った煙草と、初めてもらったライターだった。包み紙の中身はしけって潰れていた。火をつけてみようと思って腰を上げたけれど、駅前は禁煙であった。
最寄り駅に降り立ち、僕はコートの襟を立ててその陰で火をつけた。19mg、苦くてまずい。好きでもないのになんでこんなものを、と思ったけれど、儀式だと考え直して、極力体の中に取り込まないようにしながら、ゆっくりと煙を上へと噴き出した。半分くらい燃えたところで火を消し、家路の途中のラーメン屋に入った。中華鍋がコンロにあたるがつがつという音が入り口まで聞こえてきていた。僕は店のおばさんに「肉チャー大盛り」とだけ告げて席に腰を下ろした。新聞を読み、運ばれてきたスープを飲み、続いて運ばれてきたエサのようなチャーハンをかっ込む。いつもどおり塩味がきつくて、僕はこの味が嫌いではない。ただ皿を空にすることに集中し、食べ終えて、レジでまた「肉チャー大盛り」と言って800円を払い、ごちそうさまと呟いて店を出た。外はけぶるような霧雨だった。街灯に透かして小さな雨粒がやっと見えた。僕はさっきまで感じていた苛立ちが完全に収まっていることを確認し、ゆっくりと息を吐き出して、アパートへと向かった。
機嫌が悪くなっていることを自覚したら。ひとつ、ゆっくりと煙草を一本だけ吸う。ふたつ、さっさと腹になにか詰め込む。僕の場合、それで万事解決なのだ。こういう感じの、負の状態から自分を掬い上げる御し方をひとつでも知っていれば、これからもやってゆけると僕は確信している。