紺色のひと

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四度目

会社の先輩の結婚式に呼ばれて行って来た。会社の、と言っても彼とは職場以外での付き合いが深いので、僕は会社のひとたちとは別の、新郎新婦友人席みたいなところに座った。会場の隅の、写真を撮るのにいい場所だった。
1年半前に初めて結婚式に出席して、これで4回目になる。余興も幹事も神前式の参列も経験した。教会はまだだ。きっと、今までになかったことを重ねて当たり前に「してゆく」のが、歳を重ねるとかそういう言葉で表されることなのだろう、と思った。時間は過ぎるものではない、過ごすものであるはずだ。
またしても新婦の手紙朗読で泣いてしまった。娘もいないどころか結婚もまだだけれど、娘を嫁に出す父親の心境、というのが想像を超えて僕の心にリンクしてしまうから、毎回僕は新婦のお父様の表情を見ている。顔をしかめて涙をこらえているひと、どこか呆としているひと、なにを考えているのだろうと想像しているうちに涙が出る。
披露宴は滞りなく終わったのだけれど、参加されていた社長が酔っ払い、二次会に参加したうえ会社のひとたちに引っ張られ三次会にまで連れていかれたせいで、新郎新婦の顔を最後に見たのは二次会解散でだった。元々僕には会社の諸先輩と街に繰り出して飲む習慣がなくて、そのおかげで「宴会で重宝される類の人間」という扱いを受けずに済んでいたのだけれど、社長の行きつけというバーでカラオケが始まり、結局ばれてしまった。結婚した先輩は最後まで現れなったけれど(用意された三次会に参加していたからだ)、彼への祝いの言葉で溢れた飲み会はつつがなく終了した。
おっさん受けする歌をそれなりに歌うのは得意だし、盛り上がる曲を振りつきで歌うこともできるけれど、得意なだけであって大好きというわけではない。ただそれも会話の種や可愛がられる元になると思うから打算を含め精一杯やるわけで、その精一杯さだけがひとり歩きして「誠実」とか「真面目」というレッテルになっているのだろうな、と思っている。
その後ふたりの先輩にスナックへ連れて行かれたのだけれど、終電を理由に30分で切り上げ、恋人の待つ部屋へ戻った。3人で1時間で1万円なんて価値観は社会人3年目になっても身につかない僕は、「ここ雰囲気いいだろ?」という先輩の言葉にも曖昧に頷くことしかできず、お姉さんの胸の谷間を見ないようにしながら、ここで会社の愚痴を言い合うことになんの面白みを見出せばいいのだろうと考えていた。