紺色のひと

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かえってゆく場所 Last season

改めて言うと、僕は旅が好きだ。理由なんてない――なんて言えたら少しは格好がつくのかも知れないけれど、理由はひどく陳腐で、僕がないものねだりをする男だからだ。言ってしまえばその非日常性に惹かれているのだ。別にありきたりのことが悪いとは思わないけれど、ここまでよくある理由だと(「普段の暮らしでは味わえない感覚を旅は教えてくれるから」――、へっ、へっ!)嫌気が差すのもまた事実で、同時にそのどうしようもない陳腐さを持つ人間というのが僕だということに気づいて憮然としたりもする。
ところで、日々の暮らしの中で輝きを見つけようとしていた僕の目が「今ここではないどこか」に向き始めたのは15を過ぎてしばらく経った頃だったと思う。僕にとってのどこか、というのはこれまた北の人間にありがちの南で、少しだけ南の持つ意味合いが異なっていたのは、いわゆる南国ではなくて、夏緑樹林から照葉樹林に変異するあたり、つまり日本は本州の中部・北陸以北だった点だ。
その憧憬を捨てられなかった僕は大学入学を機に南東北へと旅立ち、四年の後また北へと戻ってきた。あの頃確かに日常であったものが、今思うと長い非日常だったのではないかとさえ思うことがある。それくらいあの地での出来事はひとつひとつがブッ飛んでいたし、同時に日常としてのリアリティを備えていた。だから今も旅の出来事のように思い出すのかもしれない。
仕事を始めて、僕の旅の範囲は北の島の中に留まった。毎週のように高速道路を走り回り、たまには飛行機にも乗る。自由度は学生の頃に比べようもないけれど、その制限の中で見つけたひとつの視点がある。今のこの時間が、自分の帰る場所を見つけるためのものだと思えるようになったことだ。僕は土地としてのこの街にさほど魅力を感じていなくて、居場所を常に探しているような気持ちを抱えている。故郷と心に刻んだ東北日本海側のあの町を離れて以来、僕はずっと帰る場所を探しているのだ。
それが町でも土地でも、あるいは自分以外の誰かがいるところでもいい。今の旅の生活が、かえってゆく場所を見つけるための文字通り道程となることを僕は望んでいるのだ。今んとこはまぁ、そんな感じなんだ。
さて、君の旅の具合はどうかな? そっちはどうだ、うまくやってるか?