紺色のひと

思考整理とか表現とか環境について、自分のために考える。サイドバー「このブログについて」をご参照ください

すべての会話を思考に置き換えること

ねとらじのことを考え始めたので、実験的にいくつかのことをやってみようかと思っている。
今まで僕が長い間やってきたのは、自分の思考を書きながら言葉にまとめて整理する、ということだった。書いて、自分の考えを知る。例えばこれを、話言葉でやってみるとどうなるのだろうか。経験上、話しながら自分の思考を整理しようとしてうまくいった試しは一度もなくて、大抵話題がずれていったり、自分でなにを言っていいかわからなくなったり、選ぼうとした言葉が詰まって話すことができなくなったり、修飾語が多くなって結論が見えなくなったり、ろくなもんじゃなかった。
そもそも朗読を行うにあたっては著作権の問題が発生するので、ほいほいと行うわけにはいかない。自分が書いたものか、あるいは許可の取れるもの、権利が切れているものをやる他ない。ただ他人様の書いた素晴らしい文章を読むというのでは、紹介という名目でも、引用の範囲を過ぎているという判断がされるだろう。
ともかく、「誰かが聞いているかもしれない」という縛りの中で、自分の考えていることを口語で表現してみる、というのは僕にとって今までやってこなかったことで、特に大げさだと評される身振り手振りや表情が断絶された状態で、僕がどういうことを喋るのかは興味がある。もうちょっと真剣に考えてみる必要があると感じた。